被災者の「個」を尊重する支援を~他人の目を気にせず入浴できる個室銭湯「箱湯」を設置
大規模災害の被災地では被災者の皆さんの生活の質が著しく低下しますが、その一因となっているのが「入浴の制限」です。令和6年能登半島地震の被災地でも長く断水が続いたことから、多くの被災者が数週間にわたって入浴ができない状況が続きました。そんな中、羽咋郡志賀町(はくいぐん しかまち)では震災発生から2カ月後の3月2日に仮設入浴施設「箱湯(はこゆ)」がオープン。被災地では珍しい「個室風呂」として注目を集めています。なぜ、「個室」にこだわったのでしょうか。関係者の皆さんにお話を伺いました。
「一人でゆったり」が叶う、個室タイプの入浴施設
仮設入浴施設「箱湯」が設置されたのは、能登半島のほぼ中央に位置する羽咋郡志賀町の西浦地区にある「西浦防災センター」の敷地内。同センターに震災発生直後から4月半ばまで開設されていた避難所が閉鎖された後も、箱湯の営業は続いています。
箱湯は、被災地によく設置される集団入浴用の施設ではなく、家庭の浴室に近い個室風呂です。風呂のタイプは①2~4人程度で入れる「家族風呂」、②1~2人用の個室風呂、③ペットと入れるシャワー室の3タイプ。浴室はそれぞれ脱衣所付で広さは約6㎡。壁や浴槽にはリラックス効果が高いとされるヒノキがふんだんに使われています。
利用はネットまたは電話での予約制で、入浴可能時間は平日12時~20時まで、土日祝祭日10時~20時まで(※2024年7月現在)。日本財団の支援により入浴料は無料、原則として誰でも利用することができます。取材に伺った日(5月中旬の平日)も予約は終日ほぼ埋まっており、近隣に住む被災者の方々が次々に入浴に訪れていました。
敢えて「個室風呂」にこだわった理由とは?
とはいえ、「箱湯」は個室タイプの浴室なので、1日に入浴できる人数はそう多くありません。
なぜ集団入浴できるタイプの浴室にしなかったのでしょうか。
箱湯の発案者でFran株式会社(京都府宇治市)取締役会長の荒木秀文さんは、その理由について次のように答えてくれました。
「理由は単純明快。人目を気にせず、リラックスしてお風呂を楽しんでほしいと思ったからです」。
これまでも東日本大震災をはじめ何度か被災地での支援活動を経験してきた荒木さんは、かねてから「避難生活=我慢して当たり前」という考え方に疑問を感じていたそうです。
「いつもの生活を奪われて心も体も弱っているのに、被災者の多くは不平不満を言わず、不便な生活に耐えています。お風呂の時間くらい、自分のことだけ考えてゆったり寛いでほしい。そう願って個室タイプの入浴施設を作ろうと思いました」と荒木さん。
「箱湯」誕生のきっかけは、被災高齢女性の一言
実は荒木さんは膜創造のプロフェッショナル。今回、入浴施設の設置という形での被災地支援をしようと決めたのは、震災発生直後に能登で出会ったある高齢の女性被災者の言葉がきっかけだったといいます。
「その女性と一緒に車で移動することになったのですが、なぜか助手席に座るのをためらうのです。不思議に思って理由を聞くと、恥ずかしそうに『もう何日もお風呂に入っていないから……』と。入浴や洗髪ができていない自分の体臭を気にして、私の隣(助手席)に座るのを遠慮していたんです」。女性の言葉に愕然とした荒木さんは、被災者を悩ませる入浴の問題を解決すべく、すぐに動き始めました。
「支援が必要な人がたくさんいる中、友人や知人に相談した結果、日本財団の対応は驚くほど迅速でした。数日後には、すでに能登に入って活動していた災害対策事業部職員と落ち合うことができました。」と荒木さん。
被災者のために~想いを一つにしたプロの技が集結
日本財団担当者らと協議を重ね、高齢者率7割を超える地域で自衛隊の入浴施設まで通えない人が多いこと、農業用のため池から入浴用の水が確保できることなどから総合的に判断し、西浦地区を設置場所に決定しました。
浴槽や浴室の製作は、荒木さんらの想いに共感した大阪府在住の若手職人が担当。「特に能登と縁のある職人でもなく、木で浴室や浴槽を作った経験があるわけでもありませんでしたが、純粋に被災者の皆さんのために何か自分にできることをやりたいと言って、一生懸命取り組んでくれました。そして、ほぼ出来上がった状態の浴室をまるごと大型トラックに乗せて西浦地区まで運んでくれたのです」と荒木さん。
入浴に欠かせない水は、西浦防災センター近くのため池の水を利用。ちょうど愛媛県今治市からの派遣で能登に入っていた水処理事業会社のメタウォーター株式会社(東京都)が「セラミック膜ろ過装置」でため池の水をろ過し、入浴に適した水に浄化する技術を提供してくれました。
「迅速に資金サポートを決めてくれた日本財団、浴室を作ってくれた職人たち、ろ過装置の使用を許可してくれた今治市、そして何より初めての試みを快く受け入れてくれた西浦地区の皆さんのおかげで、予想以上に短期間でスムーズに箱湯構想が実現、3月2日には1室目の個室風呂の利用をスタートすることができました。みんなの想いが一つになったときに生まれる『パワー』のすごさを実感しましたね」と荒木さんは振り返ります。
現場の運営・管理は被災者自らが担当
現場の運営管理を行うのは、地元・志賀町の皆さん。現在は基本的に施設長の亀田博之さんとアルバイトの勘田春枝さんとの2人体制で予約受付や清掃などを行っています。当初は「銭湯」という通称を付けていましたが、銭湯=有料と誤解されることが多かったため、「箱湯」に変更。今では無料で入れる入浴施設として地域にしっかり定着し、毎日のように利用する人も少なくないそうです。
「3月に入ってから、水道の本管は復旧したものの、各住戸に繋がる支管の復旧には至っていないため、未だに自宅で入浴できない方も多い。箱湯でしっかり湯につかって、リラックスしてもらえたら嬉しいですね」と亀田さん。
勘田さんは「私自身も被災者。幸い自宅は無事でしたが、自宅にずっと引きこもっていると気が滅入ってしまいます。ここで働きながら皆さんと交流することで、私も元気をもらっています」と話してくれました。利用者とはすっかり顔見知りになり、入浴前後に受付スペースで世間話をすることも多いそうです。
「箱湯は家庭の風呂と雰囲気が似ていますし、何より貸し切りなので『人目を気にせず寛げて助かる』という方が多いですね」とのこと。
個のニーズに寄り添う支援を、全国の被災地に
荒木さんらの狙い通り、箱湯は子連れの家族や介護が必要な高齢者など、集団風呂ではなかなか落ち着いて入浴できない被災者のニーズに寄り添う入浴施設として、大きな役割を果たしています。
「今回特に事例があったわけではありませんが、箱湯には例えば乳がんの手術で乳房を切除された方、さらにLGBTQの方など、集団入浴に抵抗がある方のニーズにもこたえられる可能性があると思います」と日本財団災害対策事業部の樋口は語ります。
箱湯の企画~運営までをサポートしてきた樋口も「これまで日本の災害被災地では『集団』を前提に支援が行われてきました。しかし、集団行動・集団生活による制約やストレスが被災者の心身の健康に悪影響を与えることがあるのも紛れもない事実です。『箱湯』の取り組みは被災者の個々のニーズに寄り添う支援を実践したという点で、被災者支援の在り方を問う議論に一石を投じたと思います。もちろん、個にとらわれ過ぎると支援効率や集団生活の秩序維持に支障が生じてしまいますので、うまくバランスを取っていく必要がありますが、日本財団でも箱湯での経験を活かしつつ、『集団』だけでなく、『個』にも寄り添った支援の在り方を模索していきたい」と話しています。
箱湯は2024年8月末まで設置しました。
「箱湯の設置終了後も、何らかの形で能登の復興支援に関わっていきたい」と荒木さん。「一過性の支援ではなく、箱湯の運営・管理でわずかながらも被災地のコミュニティを維持し、雇用を生んだように、地元の被災者の皆さんと一緒に能登の経済の活性化に繋がる取り組みを模索していきたいですね。また、次の災害は起こらないことが一番ですが、もしも起こってしまったときには箱湯で培ったノウハウを活かせるべく、準備を進めていきたいと考えています」。