【リポート】「太鼓は地域の魂」~太鼓の修理を通じて、能登の伝統行事「キリコ祭り」再開をサポート
2024年の能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県珠洲市宝立町(ほうりゅうまち)春日野地区で、2025年9月、2年ぶりに地域の伝統行事「春日野キリコ祭り」が開催されました。もともと7基あったキリコのうち3基が津波に流され、太鼓や祭具の多くが土砂に埋まるなどの被害を受けながらも、わずか2年で祭りの再開を実現した地域の皆さんの取り組み、祭りにかける想いを取材しました。
能登半島地震の津波でキリコが流出、祭りの継続が困難に

キリコ祭りは能登半島各地で夏から秋にかけて行われる祭りで、キリコ(切籠)と呼ばれる巨大な灯篭を担ぎます。地域によって様々な大きさがあり、巨大キリコは20人以上の担ぎ手が必要です。疫病退散や大漁・豊作を願って夜の町を練り歩きます。キリコのデザインや大きさは地区によって異なり、中には10mを超えるものも。灯をともした巨大なキリコが太鼓や鉦(かね)の音に合わせて揺らされる光景は、圧倒的な迫力と幻想的な美しさで観客を魅了します。各地域の人々にとってキリコは地域の誇りであるとともに、地域の結束の象徴。地域同士がその雄姿を競い合うことで、祭りが今の形に発展してきたと言われています。
珠洲市宝立町春日野地区でも、江戸時代から毎年9月6日と7日の2日間にわたって、「春日野キリコ祭り」が行われてきました。春日野キリコの見どころは、地区の氏神・宿(やど)神社の神輿とキリコとの練り合い(ぶつかり合い)。神社に帰ろうとする神輿とそれを止めようとするキリコの激しい攻防、そして獅子舞奉納など、見どころの多い祭りとして知られています。しかし、2024年元旦の能登半島地震で春日野地区は壊滅的な被害を受け、地区が保有していたキリコ7基のうち3基が津波で流出。祭りの舞台となる宿神社の本殿も全壊しました。神事用の太鼓は倒壊した社殿の中から見つかり、キリコに用いる太鼓や獅子舞一式は、それぞれ別の集会所に保管されていた場所に津波が襲い、がれきの中から発見されました。

本殿は全壊(2024年3月、公益社団法人石川県太鼓連盟 浅野さんが撮影)

(2024年3月、公益社団法人石川県太鼓連盟 浅野さんが撮影)
住民の多くが避難生活を余儀なくされる中、キリコの担ぎ手の確保も難しく、2024年の春日野キリコ祭りは中止、神事のみの催行を余儀なくされました。
宿神社氏子総代の一人・金田直之さんは「私を含め自宅が全壊した住民が多い。生活の再建に必死で、正直祭りどころではない状況でした。ただ、このままキリコを途絶えさせることは絶対にできない。被害を乗り越えて春日野に住み続け、次世代にキリコを伝えていきたいという想いを持っていました」と振り返ります。

津波被害を免れて残ったキリコ4基を使えば、キリコの巡行だけはできます。しかし、太鼓や鉦がなければお囃子は演奏できません。また、担ぎ手の確保も大きな課題でした。
太鼓の音を再び!キリコ祭りに不可欠な太鼓の修理に着手
そこで立ち上がったのが、春日野で代々農業を営む宮崎宣夫さん(農事組合法人こうぼうアグリ代表理事)です。宮崎さんは長年、キリコのお囃子に欠かせない太鼓の演奏を行うとともに、地域の子どもたちに太鼓の演奏を指導していました。宮崎さんによると「キリコで演奏される太鼓は、リズムも音色も地域によって異なります。春日野の太鼓は少し哀愁を帯びた三拍子が特徴」とのこと。「このリズムを次世代に伝えていくためにも、祭りを再開させたい。そのためにも、まずは太鼓を使えるようにしようと決めました」。


宮崎さんはまず、宿神社の本殿倒壊現場で埋もれていた神事用の太鼓をはじめ、町内の集会所などで保管されていたキリコ用の太鼓、獅子舞道具などを回収しましたが、いずれも損傷がひどく、そのまま使い続けることはできない状態でした。そこで、宮崎さんが相談したのが、かねてより交流のあった公益社団法人石川県太鼓連盟の副会長の浅野正規さんでした。浅野さんは、石川県に伝わる太鼓芸能の保存・継承・太鼓の製造・修理も手がけています。

「震災で損傷した太鼓の修理・再生は、能登太鼓を次世代に伝えていくために欠かせない取り組みですから、もちろん喜んで協力させてもらうことにしました」と浅野さん。しかし、問題はその費用です。太鼓の胴の部分は汚れを取り除いて磨き、塗りを重ねることで修復できますが、一部の太鼓については革(牛革)を張り替える必要がありました。いずれも、熟練の技が求められる作業です。物価高騰の影響で牛革や鋲(皮を固定するための鉄製の留め具)の価格も高騰しているため、修理費用はかなりの高額に。そこで、日本財団からの寄付金により、公益社団法人石川県太鼓連盟は、春日野キリコ祭りで使われる4台を含む計8カ所において、獅子や太鼓、神楽台等14点を修復、7点を新調しました。
2年ぶりのキリコ祭り開催が実現!


そして迎えた2025年の祭り当日。2年ぶりのキリコを見ようと、会場の宿神社境内には地区内外から大勢の人が集まりました。本来、春日野キリコ祭りは9月6日と7日の2日間かけて行われますが、今年は規模を縮小して7日の午前‐昼間のみ開催。市外で避難生活を送る若者たち、学生ボランティアらがこの日のために春日野地区に集結、キリコの担ぎ手を務めました。昼間の開催となったため、火を灯したキリコが夜空に映える幻想的な風景は見られませんでしたが、真っ青な空を背景にして勇壮に練り歩くキリコに沿道の観客から大きな歓声が上がりました。

キリコの上で心地よいお囃子のリズムを刻んでいるのは、浅野さんの尽力で修理を終えたばかりの太鼓です。太鼓の修理と祭りの再開に尽力してきた宮崎さんは、2年ぶりに地区に響く太鼓の音に「元通り、張りのある太鼓の音が聞けて感無量です。戻ってきた太鼓で子どもたちと練習を再開して、来年も再来年も、ずっとキリコ祭りを続けていきたいですね」と話してくれました。

浅野さんは「太鼓は単なる楽器ではなく、『地域の魂』ともいえる存在です。太鼓の音が地域の皆さんの結びつきをさらに強め、それが震災復興の原動力になることを願ってやみません。今後も必要に応じて被災した太鼓や祭り道具の修理を続け、能登の皆さんの歩みに寄り添っていきたいと考えています」と話していました。


日本財団では、皆さまからお預かりしたご寄付を最大限に活用し、これからも被災地の復興支援に取り組んでまいります。
引き続き、災害復興特別基金への皆さまからの温かいご支援を心よりお願い申し上げます。