Being ALIVE Japan 北野華子「長期療養が必要な子供に青春を」
今月は、スポーツを活用した社会貢献活動の表彰HEROs AWARD 2018で、大賞にあたるHEROs of the Yearを受賞したNPO法人 Being ALIVE Japanのプロジェクト「長期療養が必要な子供に青春を」について、代表の北野華子さんの想いをお届けします。
皆さまからのご寄付は、HEROs AWARDを受賞した活動をより拡大していくためにも活用させていただいております。
スポーツの持つ注目度や、多くのファンを持つアスリートが社会貢献することで、埋もれがちな社会課題に光を当て、みんながみんなを支える社会を作っていくことを目指しています!
【青春】年の若い時代。人生の春にたとえられる時期。(広辞苑より)
学校でできた友人と笑い、泣き、恋をして、成長する。当たり前のように、そんな青春時代を過ごしてきた人々にとって、「青春不足」という世界を想像することは少し難しいかもしれません。
難病や慢性疾患等、長期療養を必要とする子供の数は日本全国で25万人以上。彼ら彼女らの多くは病院の中で懸命に自らの病気と向き合いながら、ゴールの見えない日々を過ごしています。
NPO法人『Being ALIVE Japan』は、そんな子供たちに「青春」を取り戻す“きっかけ作り”に取り組んでいます。
自らも5歳から18歳まで原因不明の難病で長期療養の日々を過ごしていた北野華子代表は、活動の意図をこう説明します。
「病院の中はどうしても治療が優先なので、いろいろなことを我慢しなければならない。医療者もご両親も、気持ちの中では、この子に『こういうことやらせてあげたい』、『どうやってそれを実現させてあげようか』、『代わりになるものはなんなんだろう』と悩んでいます。
私たちはスポーツを通して子供たちに“青春”を作りたい。治療優先で身体的な制限が設けられる長期療養児は、体力低下のみならず、同世代と同じことができないことによって自信喪失や友達との繋がりも希薄になりがちとなります。」
北野さんは、長期療養中の子供たちが抱えるさまざまなチャレンジを一歩一歩解決するために、スポーツの力を利用したいのだと言います。
「スポーツには、2つの大きな力がある。諦めない力、そして、困難から立ち上がる力を感じることができる。長い療養生活というゴールが見えない中で、スポーツとふれあう機会を作ることで、その2つの力を感じて欲しいのです」
同団体は、主に2つの軸を元に活動している。一つ目は、入院中の小中高校生向けにスポーツ活動の場を提供する「HOSPITAL事業」。アスリート、病院と提携し、院内のスペースでさまざまなジャンルのスポーツを行います。
2015年秋、東京で初めて開催。「お医者さんに一番わかってもらえるコミュニケーションツール」という学会に自ら応募し、プレゼンテーションを定期的に実施するうちに『うちの病院でもやりましょう』と声がかかり、現在では、兵庫県、福島県、沖縄県と活動の幅を広げ、年に40〜50回の院内活動を各地で行っています。
「アスリートやスタッフがひとり病院に来るだけで、子供たちにとっては『病院の外の人が来てくれた』と、社会参加できる。やはり、ご両親は心配になりがちですが、いざスポーツをさせてみると『うちの子もこんなことができたのか』『こんな顔するとは思わなかった』とよく言われます。子供たちは『今日が終わらなきゃいいのに!』と言ってくれます。
病院で治療だけしていると一日がとても長く感じ、早く嫌な日が終わってほしいと思いますからね。」
もう一つの軸となる活動が「TEAM MATES」である。スポーツチームの正式な一員として子供たちが入団し、約4〜6カ月間、定期的に練習や試合等に参加するプログラムです。
入団式から始まり、プロスポーツ選手のように契約書のサインやユニフォームの贈呈も行い、入団後は、チームの一員として選手やチームスタッフをサポートし、ファンとも交流します。
現在、男子プロバスケットボールクラブのアルバルク東京、大阪エヴェッサ、レバンガ北海道、横浜ビー・コルセアーズ チアリーディングチーム(ビー・ローズ)、アメリカンフットボールクラブのノジマ相模原ライズ、慶應義塾体育会野球部に、計6人の子供たちが入団中だ。
「大阪エヴェッサに入団した森川遥翔くんの背番号は99番。“チームを一番後ろから支えられる存在になりたい”という彼の思いが込められた番号です。彼とご両親は、白血病という病名を公表することよって、同じ病気のともだちの励みになれればと話してくれました。
病気と前向きに向き合う子供たちとご家族の存在は、私たちの活動の原動力となっています」
北野さんは、5歳の頃から病気の症状が出始め、9歳の頃から入退院を繰り返していました。元々運動が好きで走ることが大好きな少女だったが、病院で治療を始めた時から、走ることを制限されたといいます。すべては病気を治す、というゴールの見えない戦いを続けるために。
「学校に行くこともできないし、友達と同じことができないことが増えていく中で、私の中ではいろんなことが制限されていた。正直、もっとできるのに、もっとやりたいのにというのが、ずっとありました。
走ってはいけないというのも、足が動かなくなったのではなくて、体調面を考慮してもらっただけ。自分ができると思っても、周りから言われていることがジレンマでした」
病名が18歳で判明した途端、それまでは10種類ほどの薬を飲んでいたのが、1種類だけになり、病気も克服しました。
その時に「これまでの薬の量や、我慢はなんだったんだろう」と、ふと気付いたのだといいます。
「療養生活を振り返った時に、病気のつらい経験よりも、病気の時に『友達とこういうことがあった』とか、『こういう経験ができた』とか、『こういう人と会えた』とか、そっちの方がふっと出てきたんです。そうすると、今までの療養生活も受け入れられた。
結局、支えてくれるのは、治療以外のもの。今、私たちの活動に参加している子供たちも、高校生とか大学生になった時に、療養生活でつらかったという時間よりも、そこで起きた青春時代を思い出してもらえるように活動していきたいと思っています」
この活動が可能性に満ちているのは、療養中の子供たちのみならず、アスリートやスタッフの視野をも広げることができることです。そもそも、「青春」とは人それぞれによって捉え方は千差万別であるし、その期間が過ぎ去って初めて気付くものなのかもしれません。
『Being ALIVE Japan』は、スポーツの偉大さを最大限に生かしながら、これからも活動の幅を広げていきます。病気療養中の子供たちが大人になって振り返った時に、ふと「あの頃は、私の青春だった」と少しでも前向きな人生を送れるように。
(※一部GOETHE公式WEBから引用)
HEROsチーム 長谷川隆治