聞こえない子どもたちを「世界にたった1人」の孤独から救う、オンライン対話学習コミュニティ

写真:NPO法人Silent Voice代表の尾中友哉さん(写真右)、と井戸上勝一さん(写真左)。画像下側にメッセージ「いま、子どもたちに必要な「出会い」と「安心」をありがとうございます。NPO法人Silent Voice尾中・井上」の文字

NPO法人Silent Voiceは2020年8月から、日本財団「新型コロナウイルス緊急支援募金」を活用し、ろう児・難聴児のオンライン対話学習コミュニティ「サークルオー」の無償提供を実施しています。
コロナ禍で学校が休校になり、手話で話す場や安心できるコミュニケーションの場が減少した聴覚障害のある子どもたち。オンラインの学びの場は子どもたちに何をもたらしたのでしょうか。NPO法人Silent Voice代表の尾中友哉さんと「サークルオー」の運営を担当する井戸上勝一さんから寄付者の皆さんへ、ありがとうのメッセージをいただきました。

「支援」ではなく「一緒に価値を生み出したい」

耳が聞こえない両親の長男として育った尾中さん。家族の中で3兄妹が聞こえる状況だったため、電話がかかってきたらいち早く取り、旅行では常に先頭を歩く、家族の手話通訳者のような存在でした。5~6歳の時には周囲から「小さなお父さん」なんて、言われていたのだとか。

当時は特に家族をサポートしているという感覚はなく、「両親ができないことを自分がして、自分ができないことを両親がしてくれる」という、当然の助け合いだと感じていたそうです。

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NPO法人Silent Voice代表の尾中友哉さん

そんな尾中さんが世間に存在する「聞こえない人」と「聞こえる人」の壁を強く意識したのは、23歳の頃。当時在籍していた広告代理店を辞めて、何か新しいことにチャレンジしたいと思っていたときでした。

ふと、自分が手話をできることを思い出した尾中さんがインターネットで「聴覚障害」というキーワードを検索すると、画面には「支援」の文字が並んでいたそうです。

「自分は支援者になりたいのか?」

幼少期から当たり前のように耳が聞こえない両親と力を合わせて生活していた尾中さんは「支援」という言葉が自分に合わないと考えます。

「『聞こえる人』と『聞こえない人』で一緒に価値を生み出してみたい」

そう考えた尾中さんは、株式会社サイレントボイスを設立。「聞こえない人」ならではのコミュニケーションスキルを教える企業研修プログラムや、ろう・難聴者雇用のコンサルティングサービスの提供を始めました。

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会社の中では日常的に手話での会話が行われている

ろう児・難聴児の「世界にたった1人」の孤独

株式会社サイレントボイスの事業が順調に育つ一方で、尾中さんは新しくろう児・難聴児向けの教育事業を検討します。

「耳が聞こえない子どもがいる家庭が、他の家庭よりも多く教育費がかかるという状況は避けたい」という思いから、利益を追わなければならない株式会社ではなく、新たにNPO法人を設立。寄付を募り、家庭への負担が少ない形での事業運営を模索します。

そして、大阪市内に、ろう児・難聴児専門の総合学習塾「デフアカデミー」を開校。ことばの習得プログラムや、アクティブ・ラーニングによる主体的な学びのプログラムはもちろん、なにより放課後の居場所として子どもたちにとって欠かすことのできない場所になっていました。

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デフアカデミーの教室の様子

しかし、尾中さんはろう児・難聴児向けの教室運営に課題を感じていたそうです。

「聴覚障害のある子どもはおよそ1000人に1人と言われています。教室運営が成り立つのは必然的に人口の多い地域の交通至便の地しかありません。教室型では他の地域の子どもたちに教育を提供することは難しいのです」(尾中さん)

尾中さんが聴覚障害のある子どもの孤独を実感したエピソードがあります。

写真:尾中友哉さん

「以前、滋賀県在住の中学2年生の聴覚障害のある女の子とオンラインでつながる機会がありました。当時の彼女は手話に触れる場所がなく、手話を知りません。僕は最適な会話の手段に気づくのに15分ほどかかりました。

長い文章では理解がしづらいので、短く単語を紙に書いて指差しで会話をして、なんとか『僕の両親も耳が聞こえないんだよ』ということを伝えると、彼女が突然ぶわっと泣き出したんです。

実は、彼女は耳が聞こえないのは世界に自分1人だけだと思っていたようなのです。耳が聞こえないのが自分だけじゃないという事実を知り、思わず感情がこみ上げてきたのでしょう。

耳が聞こえない子どもが地域にたった1人というのは、どれほどの孤独なのだろうと強く関心を持ちました」(尾中さん)

そしてSilent Voiceは、全国に点在しているろう・難聴の子どもたちが取り残されないように、オンラインで教室を実施しようと基本方針を固めたのです。

コロナ禍が奪った、聞こえない子どもたちのコミュニケーションの場

教室のオンライン化への準備を着々と進めたSilent Voiceは、その事業構想を日本財団ソーシャルイノベーションアワード2019で発表し、最優秀賞を獲得。1,000万円の活動奨励金を元に、本格的に事業化に乗り出そうとしていました。

しかし、そんな矢先に新型コロナウイルスの猛威が日本を襲います。そして、新型コロナウイルスによって、ろう児・難聴児たちがさらに分断される状況になってしまったのです。

写真:デフアカデミーの教室の様子。手話の勉強のための書籍が並んでいる。

「2020年の3月には学校が休校になり、デフアカデミーに通う子どもたちも教室に来れなくなりました。4月上旬くらいにインフラがようやく整って、教室に通っている子どもたちとオンラインでつながったとき、手話で話せることに涙ぐむ子もいました。

必ずしも耳が聞こえない子どもとその家族がコミュニケーションを取れているとは限りません。家族の中で1人取り残された感覚になってしまう子もいます。また、コロナ禍ではみなさんマスクをしていますから、口の形から発言を読み取ることもできません。

学校やデフアカデミーに通えなくなることで、100%分かるコミュニケーションができる場を失ってしまう子どもたちがいました」(尾中さん)

コロナ禍によってあらためて必要性が浮き彫りになった、ろう児・難聴児へのオンライン教育事業。Silent Voiceはオンライン教育事業の取り組みを一層早めました。

そして、2020年の8月、ろう児・難聴児のためのオンライン学習コミュニティ「サークルオー」をリリースさせます。日本財団が募った新型コロナウイルス緊急支援募金の支援先となったSilent Voiceは、無償で全国のろう児・難聴児に個別授業を提供しています。

尾中さんから事業を引き継ぎ、運営を担当するのはSilent Voiceの井戸上勝一さん。実は井戸上さんも尾中さんと同じように耳の聞こえない両親の下で生まれ育ったそうです。障害福祉の会社で働いていた井戸上さんは、同じ境遇で育った尾中さんとの出会いが縁になり、Silent Voiceで働くことを決めます。

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NPO法人Silent Voiceの井戸上勝一さん

「子どもたちの中には手話をできる子もいれば、できない子もいます。サークルオーでは子どものコミュニケーション手段、性格、学びたいテーマに合った先生を選び、オンラインで授業を受けることができます」(井戸上さん)

サークルオーでは大阪の教室でも実施していた、ことばを習得するためのプログラムのほか、学校の勉強をサポートする教科学習、そして集団授業として聴覚障害のある全国各地の大人との交流から生き方を学ぶロールモデル授業などを提供しています。

サークルオーの取り組みはクチコミで徐々に広がっていき、全国各地の子どもにこれまで延べ1300回以上の授業が無償で行われました。

写真:井戸上勝一さん

「申し込みをしてくださった親御さんから話を聞くと、子どもが誰かとつながれる場所が近くになかったという方がとても多いです。手話ができない親御さんも少なくなく、どうしてあげることもできないと感じていた方も中にはいらっしゃいます。

やってみてわかったのは、オンライン授業のつながりが家庭にも循環していくことです。オンラインでの1対1の授業が基本ですが、後ろから覗き込んでいたご両親がいつの間にか一緒に参加していることもありました(笑)。

授業で覚えた言葉が、後で家庭の共通言語として用いられたり、それがきっかけで家族の関係性も少しづつ変わった、そういった声もありました」(井戸上さん)

誰1人取り残さない。聞こえない子どもたちのインフラを目指して

写真:尾中友哉さん(写真左)、と井戸上勝一さん(写真右)。

コロナ禍によって推し進められた、ろう児・難聴児へのオンライン学習環境の提供。しかし、まだ日本には尾中さんが出会った女の子のように、孤独な子どもたちがいるはずです。

井戸上さんはサークルオーを「聞こえない子どもたちのインフラにしたい」と語ります。

「サービスを展開する中で、まだまだ日本のローカルな地域には私たちの存在が伝わっていないと感じます。広報の基盤をしっかりと作ることで、まだ出会えていない子どもたちとの接点を作りたいと思っています」(井戸上さん)

また、代表の尾中さんはコロナ禍でのサークルオーの立ち上げを次のように振り返ります。

「聞こえない人の課題を十把一絡にすることはできません。さまざまな種類の課題がコロナ禍の中で表出したように思います。聞こえる人にとっては理解が難しい課題を、日本財団さんは同じ目線で考えてくれました。

インターネットもパソコンも以前からあるもの。聞こえない子どもたちのオンライン教育事業に特別なテクノロジーは必要ありません。ただ、そこにお金が流れていなくて、組織的にやる人がいなかったのだと思います。今回みなさんの寄付で挑戦する機会をもらえました。とてもありがたいことだと感じています」(尾中さん)