スケートをしてきて、良かった。安藤美姫が語るアスリートの強み
フィギュアスケーターの安藤美姫さんは、現役の頃から社会貢献活動に取り組まれてきました。2011年の東日本大震災を機に今も続くチャリティーのアイスショーを始め、被災地を積極的に支援。報道を通じて知った震災の実態に衝撃を受け、行動を起こしたと言います。
現役時代は、「フィギュアスケーターとしての安藤美姫」として見られることが苦しかった時期もあったそうです。しかし現在は、アスリートが持つ価値を実感。「社会のために動けるのは、フィギュアスケートをやっていたおかげ」と考えるようになったと言います。
そんな安藤さんが、自身の経験を次世代のアスリートに伝えていくべくHEROsのアンバサダーに就任。社会貢献活動を通じて感じたこと、引退した今感じるアスリートの強みや伝えたいことについて伺いました。
(取材日:2021年9月22日)
「アスリートだから、プラスになることがある」という気づき
私が現役の頃は、アスリートが社会貢献活動をすること自体まだまだ珍しかったですね。「そんな時間があるなら、練習しなさい」と批判を受けてしまう時代だったように感じます。
現役引退後に、他のアスリートの方との出会いもたくさんあり徐々に繋がりが増えていきました。フィギュアスケート界の中にとどまっていた小さな社会が広がった、と感じています。
HEROsの活動については、HEROsアンバサダーの元車椅子バスケットボール選手・根木慎志さんから、ご紹介いただいたのがきっかけでした。
フィギュアスケーターであることが苦痛だった時期もありました。でも、フィギュアスケートをやっていたから、出会えた方々も多いということに気づきました。
HEROsとの出会いもそう。やっていなければ出会えていなかった方は、たくさんいると思います。まさに、アスリートであることの価値を実感しているところです。
スポーツの力で、社会貢献活動を広めていく。より力強く明るい社会を作っていく。スポーツが持つ力を感じている中、HEROsが掲げる思いに共感し、HEROsアンバサダーになることを決めました。
初めて、「フィギュアスケートをやっていて、意味があった」と感じた
私が通っていた小学校は、チャリティー活動に積極的な学校だったんです。振り返ると、社会貢献活動は幼い頃から身近なものだったと思います。自分の中では特別な活動ではなく、「やっていて普通」という感覚なんですよね。
でも、いろんな方とお話しする中で、私のような感覚の人は少ないということがわかってきました。「何をして社会に貢献したら良いのかわからない」「募金ってしても良いものかな」などと、一歩を踏み出せない方がすごく多いんだなと。
当時は完全に世界情勢を理解していたわけではありませんが、スポーツを通じて世界の動きや社会との繋がりを体感することもありました。
私がジュニアデビューした2001年、アメリカで同時多発テロが発生しました。そして、アメリカの選手たちは大会出場を辞退したんです。「アメリカに敬意をはらうために、また自分の身の安全のために」と。
2011年も、世の中での出来事から影響を受けた年でした。日本で開催予定だった世界選手権が、東日本大震災の影響で急きょ1カ月延期されロシアでの開催となりました。
当時は福岡で練習をしていて、揺れを全く感じませんでした。でも、津波や福島の原発事故について周りがあまりにも話すので、テレビを見てみたんです。想像を絶する、東北での被害の様子が映っていて驚きました。同じ日本で起こっていることなのかと、受け入れられなかったことを覚えています。
そこから、「フィギュアスケートの力で何ができるのか」を真剣に考え始めたんです。福岡で試合の予定があったので、連盟の方や試合会場の方に「チャリティーショーをさせて欲しい」とお願いしました。段ボールで作った小さな募金箱で、被災地へ届ける募金を集めて。他の日本人のスケーターにもお声がけをして出演していただきました。
フィギュアスケートを通じて、人や社会との繋がりを実感した経験でした。助けを必要とされている方に、何かをできる。「フィギュアスケートをやっていて、意味があった」と初めて感じることができました。
これまで、スケーターとしての一面のみを捉えられてしまうことに悩み、辛い思いをしてきました。
でも「フィギュアスケーターの安藤美姫」だから皆さんが知ってくださっていて、アイスショーにも足を運んでくださって。社会のために動けるのは、フィギュアスケートをやっていたおかげだと思いました。
ロシアでの世界選手権でも、結果にこだわるというより、日本の皆さんへの思いを乗せて滑ろうと思って挑みました。私のスケーティングを通じて、笑顔や勇気、復興に向けて前向きな力を届けられたらと。そうすると優勝という結果もついてきて。「自分がどのような気持ちで滑るのべきなのか」すごく考えさせられた大会でしたね。
チャリティーという支援の方法を選んだのは、何を動かすにもまずお金が必要だと思ったからです。そのあとは随時物資も届けてきました。
物資もある程度そろい、現地の方々の生活が整い始めたら、地域の外から人に来てもらって街を活性化させる必要があります。そこで、アイスショーを現地で開催しました。自分なりに、「今何が必要か」を考えて、いろんなところにアンテナを張って支援をしたつもりです。
競技という強み。アスリートが秘める価値
アスリートは、競技という特技を持っていることこそが強みだと思っています。特にフィギュアスケートは、やったことがない方も多いです。フィギュアスケーターは、人と違う“スーパー特技”を持っているとも言えると思います。明確な強みがあることは、自信にも繋がりますよね。
競技を通じた経験や出会い、発見など、引き出しは多くなります。誰かのヒントになったり、刺激になる話もできるようになると思います。アスリートだから発信する機会も多くいただけますし、伝える場は多いです。スポーツという特技を起点に、人や社会との繋がりが作れると感じています。
またフィギュアスケートは、現役を引退しても競技に関わる場が多いことも特色だと思います。スケートは、アイスショーがさまざまなレベルや場所で実施されており、振付師で関われる機会が多いんです。もちろん、指導者という道もあります。引退後もそれぞれの強みを活かして競技に関われるという点で、スケートはかなり魅力的なスポーツだと伝えたいですね。
スポーツは、国語や数学のように明確な答えがないものです。その中で自分たちの答えを探しながら前へ進んで、より良いものや成果を作っていきます。
試合結果は、変えられません。やっている時に納得するまで追及するので、私は「こうしておけば良かった」と後悔することはほとんどないんです。今後も、そうやって歩んでいきたいと思っています。
もちろん、思うようにいかないことはあります。でも、取り組んだプロセスは必ず生きてくると思いますし、自分で考えながらやったなら悔いは残らないかと。
若いアスリートの方々には、誰かに決められた道を進んでいくのではなく、自分で出した答えを信じて進んでいって欲しいです。私は現役時代からずっと指導者になりたいと思っていて、今も夢の達成に向けて進行中です。
アスリートの方々は、それぞれ異なる環境でさまざまな経験をされていると思います。自分だけのストーリーを描きながら、決めた道を悔いなく進んでいってもらいたいですね。
HEROsについても、一人でも多くの方に知っていただいて、より多くの方々との繋がりを作っていけたらと思っています。フィギュアスケートなどのウィンタースポーツは、まだまだ競技外で活動しているアスリートが少ないとも感じます。ウィンターオリンピアンとして、ウィンタースポーツのアスリートが一歩を踏み出すきっかけを与えられればとも思っています。