根木慎志と3人のアスリートが少年院へ。車いすバスケを通じ、彼らに伝えたこと
2022年3月24日、元車いすバスケ日本代表の根木慎志さんが、石川県金沢市の少年院「湖南学院」を訪れました。パラスポーツの普及活動を行なう一般社団法人センターポールの協力のもと、少年院の院生に向けた講演会と車いすバスケの体験会を実施するためです。
2017年のHEROs発足時からアンバサダーとして活動する根木さんは、講演会や競技の普及活動に精力的に励んでおります。
3月3日にも同院を訪れており、短いスパンでの再訪問となりましたが、今回は異なる点がひとつあります。それは、アスリート3名の参加です。
三段跳びの日本代表として2016年リオデジャネイロオリンピックに出場した長谷川大悟さん、トップリーグでプレー経験のあるラグビー指導者の忽那健太さん、元競泳日本代表の竹村幸さん。この3名は、アスリートがスポーツで培った自身の価値を認識し、競技以外の世界で活躍するための一歩を踏み出すためのコミュニティ「HEROs ACADEMIA」の受講生です。
根木さんを含めた4人のアスリートが院の少年たちと過ごした時間と、彼らに伝えたメッセージを振り返ります。
「“できない”と思われていたことができた。それを伝える役目がある」
講演会と車いすバスケ体験会に充てられる授業の約2時間前に一同は湖南学院に到着。施設職員の方から簡単な施設案内や注意事項を受けた後、会場である体育館へ下見に向かいます。
そして、十数名の刑務官の方々と合流し、根木さん自ら講演会から車いすバスケ体験までの流れを説明しました。前述の通り前回開催時から期間が経っていないため、根木さんはリラックスした様子です。
一方、「どんな子どもたちがいるんだろう、と移動のときから気になっていました」という竹村さんの言葉に表れていたように、人生で足を踏み入れることがなかった“異空間”に初めて訪れた3名のアスリートの表情からは、緊張と少しの不安が読み取れました。
場所や配置と授業の流れを確認した後、メンバーは控室に戻り院生が体育館へ来るのを待ちます。
院生達が体育館に集まり着席したことが告げられた後、メンバーは再び体育館へ戻り少年たちと対面しました。
「よろしくお願いします!」
授業開始の号令で体育館いっぱいに院生達の声が響き渡り、授業がスタート。
根木さん含めた4名のアスリートが前に座り、それぞれの自己紹介が始まります。竹村さんは競泳のターンについて「200グラムの負荷をかけてタッチをしなければいけない」という豆知識を伝え、長谷川さんは三段跳びにおける自身の記録を「この体育館の横幅、端から端を3歩で横断できます」とわかりやすく説明します。忽那さんはラグビーボールを手にし「誰かパスを受けたい人はいますか?」と呼びかけ、積極的に手を上げた院生とペアを組んでスクリューパスを実演しました。
取り組んできた競技について熱量を持って話す3人に、院生たちも興味津々な様子でした。
続いて根木さんが自身の来歴と、オリンピック・パラリンピックについての歴史や背景についてスライドを使って紹介します。
根木さんは18歳のときに事故で脊髄を損傷し、車いす生活を余儀なくされました。絶望に打ちひしがれていていましたが、入院中に出会った車いすバスケに没頭し、本格的に選手を目指して努力を重ねます。そして、36歳にしてパラリンピック出場を果たしました。
「僕自身が“できない”と思われていたことをできるようになったので、それを伝える役目がある。色々な困難を乗り越えてきたけど、そこには出会いや自分の頑張りがあったから」
20年近くかけて夢を叶えた車いすバスケ選手としての人生を振り返って語ったこの言葉が、とても印象的でした。
講演の次は、車いすバスケ体験会です。
まずは根木さんから基本的な指導を受けます。車いすでの進み方や方向転換、そして競技ルールなど。合間合間に根木さんの実演も入り、会場は湧き上がりました。
一通りの説明・実演を終えた後、メインであるチーム対抗戦へ。
3人のアスリートがそれぞれキャプテンとなり、院生たちとチームを構成し総当たり戦に臨みました。白熱した対抗戦は2勝を挙げた忽那さんチームが優勝しました。そして最後は、根木さんが参加して構成されたHEROsチームと、院生と職員で構成された湖南学院チームの対戦です。
HEROsチームが先制するも、湖南学院が追いつき、逆転に成功します。アスリートの意地とプライドを見せるために終盤はHEROsチームが攻め込み、根木さんがスリーポイントシュートを放つも……わずかに外れて試合は終了。湖南学院チームが勝利しました。
大きな盛り上がりの後、院生からアスリート達への質疑応答の時間に入ります。「今日いらっしゃった3名のアスリートの方に質問はありますか?」と根木さんが院生に声をかけると、複数名が手を上げて質問を投げかけました。
競技を通じて感じたことについての質問が主でしたが、中でも特に院生に響いていたのが「競技を続けて嬉しかったことは?」という質問に対しての3人の回答でした。
「自分を含めた4人のきょうだいを育てて苦労した両親が喜んでいる姿を見たとき」(竹村)
「2016年のリオ五輪に日本人選手として三段跳びで12年ぶりの出場を決め、関わってくれた周りの人が喜んでくれたとき」(長谷川)
「勝ちたいと思った相手に1年間努力して勝利を掴んだとき」(忽那)
支えてくれる人たちの存在や努力を続けたエピソードに、院生たちは真剣な眼差しと共に耳を傾けていました。
質疑応答を終えると、代表の院生4人から根木さんを含めた4人のアスリートへ記念品のハンカチが贈呈されました。このハンカチは湖南学院内の職業指導の一貫として院生によって製作されているもので、石川県の伝統工芸である友禅染が用いられています。
贈呈の際、アスリートと対話する院生の中には「プロのスポーツ選手を目指していたのに、ここに来てしまったことを後悔している」と涙を流しながら語る少年もいれば、「出所してからもう一度夢に向かって頑張ります」と”約束”をする少年も。
アスリートと過ごしたこの時間が、彼らの心に与えたものは大きかったのだと、強く感じさせられました。
記念品の贈呈後、最後に根木さんからメッセージが送られました。
「僕はこういう活動を続けているけど、車いす生活にはなりたくなかったし、みんなと同じように歩きたかった。バスケを頑張っていたけど苦しかった。でも、最終的に受け入れるしかなかった。
僕らがここで色々伝えられたことも縁だけど、ここで会うべきではなかったよね。この場所でなくて良かった。
でも、それを受け入れてほしい。この後もここで苦しむこともあると思うけど、次の未来にその思いをぶつけてほしい。それぞれが翼を持っているから、それを忘れずにいよう」
“「ここで会うべきではなかった」”
根木さんが語気を強めて口にしたこの言葉は、この日で最も体育館内にいる全ての人に響いたように思います。講演と体験会の間、笑顔や笑いが溢れる時間がほとんどでした。その瞬間を切り取ると、一般的な学校で行なわれている活動のように見えます。
しかし、ここは少年院であり、彼らは過ちを犯したからこの場所にいます。
その事実は忘れないでほしい。でも、受け入れて反省し、次の未来へ希望を持って羽ばたいてほしい。
根木さんが最後に彼らにかけた言葉には、そういった強い思いが込められていました。
一方、少年たちが過ちを犯した背景には家庭や生活環境などの社会が抱える問題も多分に影響しています。この現状と向き合い、構造を変えていくためのアクションも私達に求められています。
この2時間は、双方にとって印象深いものとなったことは間違いないでしょう。4人のアスリートが伝えた競技を通じて培った経験や考えが、院生達の未来を明るく照らし一歩を踏み出すきっかけとなることを、願ってやみません。
取材・文・写真/竹中玲央奈(Link Sports)