「はじまりの美術館」をきっかけに、すべての人が生きやすい社会を福島から日本へ

画像:「はじまりの美術館」館長の岡部兼芳さん。画像右上に「ともに歩んでいただいた10年に感謝!!はじまりの美術館 岡部兼芳」の文字
「はじまりの美術館」館長の岡部兼芳さん

日本財団は、アート企業カイカイキキが東日本大震災の復興支援のために開催したチャリティーオークションの売上金をもとに、New Day基金を設立。「東北から新しい日本をはじめる」をコンセプトに、支援事業を行いました。

そのひとつが、社会福祉法人安積愛育園が運営する福島県猪苗代町の「はじまりの美術館」です。障害のある方の作品展示などの活動を通じて、誰もが生きやすい社会に。そんな美術館のこれまでとこれからについて、館長の岡部兼芳さんに伺いました。

作家との対話を促す美術館

磐梯山をはじめとする雄大な山々と猪苗代湖に囲まれ、まだ古い町並みの残る福島県猪苗代町。雪景色の市街地のなか、「はじまりの美術館」はひっそりと、そして凛と、佇んでいました。

築約140年の酒蔵をリノベーションしたという建物は、土地の歴史と文化を受け継いだ趣を感じさせます。

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はじまりの美術館の外観

はじまりの美術館が設立されたのは東日本大震災から約3年が経った、2014年6月。同館では美術の伝統や教育などにとらわれないアール・ブリュットを中心に、障害のある方や現代アートの作品展示などが頻繁に開催されています。

取材当日は、脳性麻痺のために足で絵を描いているというアーティスト、森陽香さんの作品展が行われていました。

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館内展示の様子
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展示中の森陽香さんの先品

大胆で自由な筆致と色使いは、見ている者まで自由な気持ちにさせてくれるとともに、まだお会いしたことのない森さんの人間性まで伝わってくるよう。館内には作品の展示だけでなく、来館者もペンなどを使用して参加できるワークショップも実施されました。

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森陽香さんが描いた作品に重ねる形で、来場者も森さんのスタイルで作品制作に参加できる体験コーナー。パネルには森さんの制作の様子が投影され、一緒に制作しているかのよう

一歩一歩進むごとに作家の深い内面に入りこんでいくような、そんな不思議な感覚になります。

アートが育む創造性で、「障害を負った福島」をより良い場所に

はじまりの美術館を運営するのは社会福祉法人安積愛育園。郡山を中心に福島県下で50年以上、障害者の支援を行ってきました。

館長を務める岡部兼芳さんは福祉作業所で支援員をしていたときに、トヨタ自動車のメセナ活動である障害者の芸術活動を支援する「トヨタ・エイブル・アート・フォーラム」の実行委員会に参加。そこで障害者とアートの領域に取り組む安積愛育園のことを知り、後に入職することを決めたそうです。

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「はじまりの美術館」館長の岡部兼芳さん

「安積愛育園の成人施設では、ボールペンの組み立てや箱折などの『作業』が、利用者さんの活動の主なメニューでした。でもどうしても作業的な活動がご本人のニーズにマッチしない方もいらっしゃいます。『作業をしていて楽しいのかな?』と疑問に感じることもあるなかで、スタッフが話し合い、取り組んだものの一つが創作活動だったんです。」

はじまりの美術館の設立経緯は、2010年にアール・ブリュット・ジャポネ展がフランスで開催されたことに端を発します。日本の障害者の作品が多数展示され、これをきっかけに日本でもアール・ブリュット美術館を創設しようという動きがはじまります。

しかし、その矢先に起こったのが東日本大震災でした。

「アール・ブリュット美術館の創設会議という場が持たれて、全国に整備していく予定が組まれていました。でも、2011年に東日本大震災が起きて、長く足踏みをすることになってしまったんです」

美術館の構想が再び動き出すきっかけになったのが、New Day基金でした。アート企業のカイカイキキは東日本大震災の復興支援のためにチャリティーオークションを開催。売上金の約半分を日本財団に寄付いただき、New Day基金が設立されました。

基金のコンセプトは「東北から新しい日本をはじめる」。そこで美術館を中心とした街のコミュニティデザインに取り組もうとする、はじまりの美術館を支援することになったのです。

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アーティストと展示について説明してくださる岡部さん

「New Day基金のコンセプトを聞いたときに、すごく共感したんです。障害と震災ってすごく重なる部分があると思っていて、私は震災によって『福島は障害を負った』と感じたんです。障害は怪我ではないので、治るものではない。

でもそれは決してマイナスなことばかりではないんですよ。不便だからこそ工夫が生まれたり、視点を転換するきっかけにもなる。アートって鑑賞して癒やされるだけではなく、人の視点を変えてくれるものですよね。これは『東北から新しい日本をはじめる』にもつながることだと思うんです。美術館の名前を『はじまりの美術館』にしたのもまさにそういった思いがあったからです。

障害のことを知っていただくだけでなく、美術館で育まれた創造性を皆さんが持ち帰り、普段の生活に活かしていく。そしてさらには福島をもっと良くしていくことにつながっていく。そんなきっかけの場所になれればと考えていました」

美術館で生まれるつながりで、誰もが生きやすい社会に

はじまりの美術館を福島が、そして日本が変わっていくきっかけの場所に。そんな思いを実現するため、美術館の設立は地域の住民にヒアリングをして、アイデアを募りながら、住民との協働で行われました。

美術館ができあがると、遠方から猪苗代まで来てくれる来館者のほか、地元の方たちがふらっと立ち寄ることも。展示を気に入った小学生が後日友達や家族を連れてきたりと、はじまりの美術館は少しずつ地域に溶け込み、さまざまなきっかけを提供しています。

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はじまりの美術館の運営スタッフの皆さん

「『障害ってこういうことだよ』と言ってもなかなか聞き入れてもらうことはできません。でも、『この絵を描いたのは、こういう人だよ』と説明すると、障害者の方を見る目が変わったり、逆に人に見てもらうことで作家の方のモチベーションが上がったり。良い効果を生み出してくれているのを感じます。

また、障害のあるなしに関わらず、人は少なからず生きづらさを感じています。はじまりの美術館ではそれぞれがそれぞれの過ごし方をしてくれていいと思っているんです。お茶を飲みに来るだけの人もいるし、顔を見に来ましたと言ってくださる方もいます。

地域コミュニティのハブになり、つながりが生まれることで、誰もが少しでも生きやすくなる。そんな場所にしていきたいと思っています」

New Day基金では、はじまりの美術館の設立後も、公用車や空調設備、作品の収蔵庫の改修など、さまざまなサポートが行われています。

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はじまりの美術館の公用車
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離れにある作品の収蔵庫。デジタル・アーカイブをするための撮影設備も。

「はじまりの美術館は本当にさまざまな方の応援があってこそ成り立っているものです。皆さんの応援がはじまりの美術館を通じて広がっていき、少しずつ新しい日本をつくりあげていく。私たちはそんな場を育むお手伝いをさせていただいているのだと思っています。今後も暖かく見守っていただけたらと思います」