お互い様の気持ちで、桜島の見える住み慣れた場所で最期まで暮らすホームホスピス
2023年7月25日(火)、桜島が良く見える鹿児島県鹿児島市吉野町に、NPO法人ホームホスピスゆいたばーが運営する、鹿児島市内初のホームホスピス「メットライフ財団支援ホームホスピスあんまぁの家」が開所しました。
この「メットライフ財団支援ホームホスピスあんまぁの家」では病気や障害、認知症などの理由でご自宅での生活を続けることが困難な方々が、看護師や介護福祉士から24時間の見守りとケアを受けながら、最大7名で共に暮らします。
この法人の理事長山下初枝さん。与論島出身の山下さんは、看護師として与論島で仕事をされていらっしゃいました。その後、ご主人の病気の治療のため、5人の子どもを連れて鹿児島市吉野に引っ越してきたそうです。まだ子どもたちが小さかったこともあり、大変な時期ではあったものの、この地域の方たちの温かさに支えられたとおっしゃいます。
「子どもたちがいないと思ったら、隣の家で遊んでいたり、お茶をいただいていたり。地域のみなさんが温かく迎えてくれて本当にありがたかったです。(山下さん)」
一方で、看護師として病院で勤務する看護師として、抱える悩みもありました。
「病院の管理の立場にまでなったのですが、なかなか患者さんの要望に答えられない。終末期になって『家に帰りたいなぁ』と患者さんが言うけれど、何もしてあげることもできず、結局病院で亡くならざるを得ない状況がありました。看取りまで看護師がする、そんな状況でした。そこから、この地域の方たちに支えられたから、恩返しがしたいと思って。その時に、認定特定非営利活動法人ホームホスピス宮崎の「かあさんの家」理事長の市原美穂さんにたまたまお会いして、この思いを伝えました。そしたら市原さんからひと言、『山下さん、やったらいいよ』って言われて、それで決心をして、宮崎で半年研修を受けたんです。」
ホームホスピス宮崎の「かあさんの家」とは、日本で初めてできたホームホスピス。ホームホスピスとは、誰もが望むように生を全うするため、地域に馴染んだ民家をそのまま活用して、高齢や病気のために自立した生活の維持が難しくなった方が集まり、ともに最期まで暮らしていく『とも暮らし』の家のことです。このホームホスピスを開設するためには、一般社団法人日本ホームホスピス協会の研修を受講する必要があります。山下さんは、今行動を起こさなければ一生後悔をすると思い立ち、勤務していた病院を退職し、令和元年10月から半年間ホームホスピス宮崎の「かあさんの家」で研修を受けました。
施設名となった、「あんまぁ」とは与論島の方言で、「おかあさん」という意味です。研修した宮崎のホスピスの名前が「かあさんの家」だったことから、私がやる時は「あんまぁの家」だな、と心の中で決めていたそうです。
そして、研修受講後も、鹿児島県の日置市にある「NPO法人ホームホスピス鹿児島 もくれんの家」で働きながら経験を積みながら、自身でホームホスピスを立ち上げるため、物件を50件近く、約3年間探し続けた結果、やっと今回開所した、鹿児島のシンボルである桜島が良く見える、地域の方々と交流がもてそうな民家が見つかりました。桜島は鹿児島の人たちの心のよりどころでもあり、桜島を見ると安心すると山下さんは言います。
ホームホスピスは、国や行政からの支援はありません。そのため初期に必要な改修費に関しても大きなハードルとなります。今回は、メットライフ財団からの寄付により実施している、メットライフ生命保険株式会社と日本財団で行っている『高齢者・子どもの豊かな居場所プログラム』の支援を受け、改修工事を行いました。
7月25日に行われた開所式では、メットライフ生命 執行役常務 チーフコーポレートアフェアーズオフィサーのポール・マイルズ様、日本財団常務理事の吉倉和弘を始めとし、30名ほど地域の方々も参加されました。そして宮崎から、ホームホスピス宮崎の市原美穂様も駆けつけてくれました。
開所式の中では桜島の降灰にも負けず力強く育つ、桜島小みかんを植える植樹式も実施。入居された方が桜島を眺めながら、日々成長するみかんの木を見守ってくれるのではないでしょうか。また、地域の人々が訪れる交流の場として、ウッドデッキも併設しており、地域の子どもたちが気軽に立ち寄れる場所となる工夫もしています。
山下さんは今後の想いをこのように語ってくれました。
「ゆいたばー(与論島で「おたがいさま」と言う意味)の気持ちを持ちながら、この家で暮らす方々や、スタッフがそれぞれの自分らしさを出し、地域の方々にも助けて頂き、とも暮らしが出来る家にして行きたいと思っています。」