学業成績優秀者 最優秀賞として大学から表彰 コミュニティに関する学びを活かして、一人でも多くの生命と笑顔をつなぎたい

写真:大森光さん

『日本財団 夢の奨学金』の5期生で、青山学院大学コミュニティ人間科学部の4年生、大森光さんは、2023年度学業成績優秀者 最優秀賞として大学より表彰されました。去る7月12日に表彰式が開催され、賞状盾及び副賞が授与されたということです。「これまで支えてくださった方々へ感謝を伝えるため、そして未来の後輩達へバトンと託すために目指していた賞です。これまで支えてくださった皆さんからのご恩をかみしめています」と喜びに溢れる大森さん。大学での学び、そして学びをどう社会に還元していきたいか、想いを語ってくれました。

希望の学部で存分に学びを深める

大森さんが学ぶ青山学院大学コミュニティ人間科学部は、地域貢献・社会貢献を強く意識した学部として2019年4月に開設されました。大学のホームページには、
『学生を、「地域活動を推進できる人」「地域を活性化できる人」「地域文化を継承できる人」「学び続けることができる人」になるよう支援しようとしています。地域社会を、自律的な行動ができる人びとによって構成される「コミュニティ」にしていくこと、そのために人びとを支援すること、学生自身がそのような人間になっていくことを目指しています。』とあります。大森さんはこの学部が開設されたとき『まさしく私が学びたいことだ』と意を決し受験勉強に励み見事合格。現在4年生となりました。今回は同学部においてトップの成績を修めたことで表彰していただきました。

「今回の受賞は、私の目標の一つでした。『夢の奨学金』を受給できることが決まり、大学にも入学できました。ところが、入学早々より新型コロナウイルスの影響で、登校もサークル活動も制限されました。そのなかで、『自分を支えてくださっている方々、そして未来の後輩達のためにもできることは何か』と考えました。私は夢の奨学金の5期生なのですが、この年はとても応募が多かったということです。その中で選んでいただいたので、皆さんに顔向けできるように当初は平均以上の成績を目指していました。すると、大学2年生のときに『学業成績優秀者 奨励賞』を表彰していただきました。これを契機に、『ここまできたら、学年で1位になれるくらい勉強を頑張ろう』と決意しました。その結果、4年目にして目標を達成できました。受賞のお知らせをいただいたときは、正直あまり実感が湧きませんでした。しかし、授賞式では同じく上位入賞した学部の親しい友人達や先生方が、表彰式当日に心からお祝いしてくださり、目標を達成したことを実感して、自然と笑顔と涙で溢れていました。

写真:大森光さん

コミュニティ人間科学部は地域社会学の総合学科のような学部です。地域社会学というと範囲が広くてわかりにくいかもしれません。例えば、インバウンドで外国人観光客が増えることで経済効果は向上します。では、地域住民たちへの精神的な負担はどうなるのか?というように、心理的な視点も踏まえて多角的に捉えていく。このほかにも、地域の歴史やアイデンティティを継承するための多彩な手段を学ぶだけでなく、人々の記憶の脆弱性についても学びを深める。このように、地域社会(コミュニティ)を取り巻くテーマについて、多角的な視点より学びを深めることができる学部です。そのなかでも、私は学校外の“学び”で人々の『生きる力』に貢献することを目的とした社会教育、特に『民間企業・民間団体による地域貢献活動』に焦点を当てて、学びを深めてきました。

私の所属している学部は、3年次での地域実習も必修科目となっています。実際、3年生の時に北海道へ4泊5日の実習活動に取り組みました。そのなかで、地元の菓子メーカーが自社の利益で運営している美術館や図書館、コンサートホールなどを現地で視察しました。個人的に取り壊し予定だった銭湯をリノベーションして、今もなお美術館として運用していたのが最も印象深かったです。さらに、2年次より取り組んできた事前学習の内容を踏まえて、関係者各位へインタビュー調査もさせていただきました。こうした実習活動より、企業だからこそ柔軟的かつ多角的にコミュニティの文化継承に貢献できる側面があるのだと、より理解を深めることができる貴重な経験でした。

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山梨県市川三郷町発祥、桑郷の「桑の葉茶」をPR

中学1年生で児童養護施設へ

中学1年生から高校3年生の18歳まで児童養護施設で生活した大森さん。中学1年生まで、厳しい家庭環境の中で育ちましたが、学校に行くのは大好きだったそうです。

「小学校時代は合唱部に入っていました。全国の音楽コンクールに出場していた小学校だったこともあり、やりがいも強く感じていました。『家に帰りたくない』という理由もあり、合唱部で朝練や放課後の練習に没頭していました。ある意味、自分にとっての逃げ場でしたが、合唱部での経験を通じて言葉を「届ける」楽しさを学ぶことができました。

そのなかで、合唱部を小学6年生の秋に引退。夢を叶えるために、合唱を続けたいことを伝えたところ、夢を否定されたうえに拘束や暴力が日々エスカレートしていきました。そして、中学1年生の中間テスト期間前にふと思いました。『このまま同じ生活を送っても、自分に明るい未来はあるのだろうか。自分のやりたいこと、夢に挑戦できないのではないか。とにかく、このままでは明るい未来は訪れない』と。そう思ってから、警察へ通報した後に家庭の状況を伝えました。その後、すぐに保護されて、児童相談所にて一時保護を受けた後、児童養護施設へ入所しました。

「警察から一時保護所まで車で送迎してもらったとき、目が痛くなるくらい晴れた空を見た瞬間、ここ数年は空を見上げることもできないくらい、思い詰めていたことを実感しました。あの時の空は、今でも鮮明に憶えています。『ようやく鳥籠から逃げることができた』という解放感から、涙が止まりませんでした。そして、これからも辛いことはあるだろうけど、自分の生きたいように生きながら、自分は誰かを守れる人になりたいと、強く思いました。通報するという大きな決断をして行動したことに、今も後悔はありません。

新しい環境に馴染むまで苦労することもありましたが、周りの人に恵まれていたこともあり、ありがたいことに少しずつ自分自身と向き合うことができました。入所した児童養護施設でも、転校先の学校でも友人に恵まれて、退所した今でも『しんどいときは相談してな』や『何かあったらうちに泊まりに来いよ』などと、よく声をかけて貰っています。

施設に入所してから、「やりたいこと」はあっても、明確に先のことを考えることはできませんでした。ですが、職員さんから『光くんはやる気があるし、塾に通ってみたら?』と声をかけてもらい、通塾することを決めました。

しかし、塾で嫌な思いをしたこともあります。施設で生活していることを知って、『なんでお前が塾に通っているんだ』というような小言を言われた経験があります。塾は学校以上に競争もありますし、おそらく親御さんからのプレッシャーにも悩んでいて、その怒りの矛先が私に向かったのかもしれません。このほかにも、施設の男子で初めて塾に通ったこともあり、施設内でも職員のいないところで嫌味を言われたり、宿題のプリントにいたずらされたこともありました。それでも認めてもらうためにも、勉強に励み成績を維持しました。そうするうちに周りも認めてくれたうえに、応援してくれる人も増えていきました。この経験から、長期的に行動で示していくことの大切さも学ぶことができました。」

奨学金を得てもう一度チャレンジ

勉強に励み続けましたが、挫折も味わったそうです。高校受験の時期になり、地域内の進学校を第一志望校に掲げていました。しかし、進学校から大学に進学するとなると、大学受験のために予備校にも通う必要があります。その傍らで、受験費用や学費を自分で貯める必要がありました。そのため、万が一に備えて就職も進学も選べるよう、第一志望の高校は諦めて商業課程の高等学校を選びました。高校進学後は成績を維持しながら、10種以上の資格も取得しました。そして、大学に進学することもできました。

しかし、家庭の事情により大学1年生で退学せざるをえない状況に。施設を離れて、大学進学して、何とかやってきましたが、このとき心身共に限界を迎えてしまいました。

「大学を辞めてからは、6年ほど税理士事務所に勤務しました。職場では中小企業の決算や確定申告、年末調整業務などを担当していました。税理士事務所での仕事は自分に合っていましたし、職場の上司にも恵まれていました。今でもお世話になっている上司から、自分で税法や確定申告書の作成方法について学んだことを評価されて、『勉強ができるのに、大学進学しないのはもったいないよ』と、よく心配されていました。これを機会に、大学進学して税理士や会計士の道を歩むか、真剣に悩みました。

写真:大森光さん

大学でもう一度学び直したいという気持ちも沸々と湧いていましたが、家庭の事情で退学したこともあり、『自分なんかが進学していいのか』と何度も悩みました。大学進学するにしても、『中途半端に進学できない』と。そして、私自身の経験や夢に基づき、一人でも多くの生命と笑顔をつないで、社会課題の解決や社会貢献に取り組み続ける人になりたいという、揺らがない想いがあることに気づきました。

そのなかで、2019年に青山学院大学にコミュニティ人間科学部が開設されたのを知りました。それから、インターネットで調べるだけでなく、実際にオープンキャンパスにも参加しました。そして、尊敬する教授が在籍していたこともあり、ここで学びたいと痛切に思いました。このとき、施設の仲間より『夢の奨学金』を教えてもらったことを思い出して、奨学金について相談してみたのです。

実際、周囲に『夢の奨学金』は挑戦している人はいました。しかし、なかなか合格できない、難しいと聞いていました。ですので、自分には正直無理だろうと思っていました。でも、やってみないとわからないからこそ、落ちる覚悟で応募しました。すると、ありがたいことに5期生として、採択していただいたのです。だからこそ、第一志望の学部に行くために猛勉強を始めました。9時から17時は税理士事務所、19時から24時までは受験勉強。職場の方の理解とサポートがあって勉強を続けることができました。

私が進学をしたいと思った理由は、純粋に自分自身が学びたいという点や挑戦したい仕事ができた点も挙げられますが、出身施設の先輩が自ら命を絶ってしまった、ということも大きく関係しています。表立って感情を出さないようにしていましたが、正直あまりにショックで辛くて……。このほかにも、退所した後に孤立して精神疾患を抱えたり、自暴自棄になってしまったりする仲間達も見てきました。そのたび、『みんな懸命に生きているのになぜなんだろう?』と悔しさを噛みしめながら、無力な自分自身に涙を流すことしかできませんでした。そして、『みんなが笑顔で安心して暮らせたらいいのに』という思いがどんどん込み上げてきました。

みんなが安心して笑顔で暮らせる社会を実現するためには、社会全体の課題に目を向けるだけではなく、地域や学校(教育)、家庭などに潜んでいるミクロな社会問題や『声なき声』と向き合う必要があります。そのうえで、社会課題を減らすだけでなく、予防するためには一人でも多くの人々が『つながる』必要があると、私は考えました。だからこそ、無力な自分自身を変えて、一人でも多くの生命と笑顔を繋げたい一心で、挫折を乗り越えて大学進学を決意しました。苦労することもありました。ただ、みんなの苦しみに比べたら自分はもっと頑張れる、という意気込みで大学受験に挑みました。

そして、大学に合格することができました。先ほども申し上げたように、これまで支えてくださった方へ感謝を行動で示しながら、未来を担う後輩たちへバトンを託すためにも、大学2年生より『最優秀賞を獲得したい』という決意をして、学業を第一に努めてきました。だからこそ、最優秀賞を受賞したうえに、親しい友人達も学業成績優秀賞を収めたなか、同じ会場のなかで学部を代表して登壇できたことは本当に嬉しかったです」

写真:大森光さん

社会的養護の経験を活かして、ゼミでは「家庭教育」を専攻

「大学3年生になってから、『こどもと家庭教育』を研究テーマとしたゼミに入りました。施設や夢の奨学金の仲間とは、それぞれの“家庭の事情“について話す機会はありました。しかし、家庭に纏わる論文の講読やゼミ内でのディスカッションを通じて、歴史的な家庭の姿を捉えながら、現代の日本社会における課題、そして各家庭を取り巻く多様な課題への理解を深めてきました。一見幸せそうな家庭であっても、法的に成人した後も子離れできない親(保護者)、または親離れできない子どもを抱えて悩んでいる家庭もあれば、本来なら保護すべき状況なのに厳しい状態が長引いたというケースなどがあります。こうした学びを通じて、各家庭内には多彩な”声なき声“が潜んでいることを強く実感しました。家族のカタチや家庭教育に”望ましい在り方”はありますが、“正解”はありません。しかし、日常的に“家族(家庭)”に関する話題になると、“普通”や“当たり前”というような単語がよく出る印象があります。だからこそ、『家庭教育』に関する知見を深めながら、多様な“家庭”のカタチと向き合いたい想いから、このゼミを選びました。

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ゼミの仲間たち

また、施設での経験を踏まえて、『こども・若者の自殺率』や『こども・若者の幸福感』というテーマも、自分の中で追究してきました。厚生労働省によると、2022年の18歳未満の自殺者は500人を超えたうえに、過去最多の記録を更新したそうです。非常に衝撃でした。また、文部科学省によると全国のいじめの件数についても、過去最多の68万件超えになっているといいます。

さらに、内閣府の調査によると、『自分は人の役に立っている』と実感している25歳未満の子ども・若者は約3割しかいません。一方、同調査で25歳未満のこども・若者の8~9割が幸せを実感していることも示されています。これは真の意味で“幸せ”なのか。“現代のこども・若者が抱える生きづらさは極めて複雑になってきている”と、私は考えています。だからこそ、今後も社会の中に埋もれている『声なき声』やあらゆる社会課題と向き合いながら、共に成長し続ける人でありたいと考えています。

「誰もが笑顔で安心して暮らせる社会を実現したい」。この想いが変わることはありません。情報発信を通じて、社会全体へ『声なき声』を届ける仕事もあれば、福祉に直接かかわる仕事もあります。いずれの仕事にしても、あらゆる日本の社会課題と向き合い続けたいです。なかでも、制度の狭間で支援を受けられない方々に目を向けながら、多彩な『声なき声』にアンテナを張り、行動できる大人でありたいと思います。

社会課題の解決や地域社会の活性化、一人でも多くの生命や笑顔をつなぐことは、簡単にできることではありません。これまでの経験より、まずは自分自身が行動をしたうえで、着実に目標を達成することで、共に歩んでくれる仲間が少しずつ増えることを学べました。これからも『誰もが安心して暮らせる社会』の実現に向けて、まずは自分自身が行動して信頼を得ながら、つながりの輪を広げていくことを肝に銘じていきたいです。

最後に、『夢の奨学金』に応募を検討している方々へメッセージをいただきました。
「結果はどうであれ、挑戦すること自体に意味があると思います。挑戦すること自体、簡単ではないことも分かります。自分自身の過去と向き合いながら、『人生のプランを書く』ということだけでも、人によって辛くなることもあると思います。私自身もその一人でした。応募する前から、期待と不安が混ざって何度も挫けそうになりました。それでも、自らを振り返って、見つめ直して、希望的な将来を綴ったことは、合否に関係なく自分の糧になりました。

だからこそ、『学びたい』という気持ちがある人はぜひ挑戦してみてください。その一歩が、皆さまの人生にとっても大きな糧となると私は信じています。『夢の奨学金』の後輩になってくださるのをお待ちしています。」