パラスポーツ支援

写真:パラリンピックの車椅子アスリート
©X-1

東京2020パラリンピック競技大会とは

第16回夏季パラリンピックは、2021年8月24日に開会式が行われ、翌日から競技を開始し9月5日の閉会式まで、東京を中心に13日間の会期で開催されます。1964年の第2回大会以来、東京では2度目のパラリンピック開催となります。夏季パラリンピックを同一都市で2度開くのは東京が史上初めてで、22競技539種目が21会場で実施されます。
この大会は2013年9月に開催が決まり、2020年8月23日に開会式が予定されていました。しかし、2020年1月に新型コロナウイルス関連肺炎が世界的な蔓延となり、3月11日には世界保健機関(WHO)が「パンデミック(世界的流行)」を宣言しました。これを受けて2020年3月24日に安倍晋三首相(当時)と国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長とが電話会談し1年程度の延期を決定しました。そして、6日後の3月30日、2021年8月24日に開会式を行うことが決まりました。

パラリンピックとは

4年に一度開かれる障害者スポーツの祭典。1960年に始まり、前回の2016年第15回リオパラリンピックでは、日本を含む159の国と地域から約4300人が参加しました。

パラリンピックは、第2次世界大戦で負傷した兵士のリハビリテーションに、英国でスポーツが取り入れられたことが始まりです。そうしたリハビリ療法を取り入れていたロンドン郊外のストークマンデビル病院で1948年に開催されたストークマンデビル競技大会が原点です。この大会がその後、国際競技大会となり、やがて1960年ローマオリンピックの後に開かれた大会が第1回パラリンピックと認定されました。

写真:パラリンピックの車椅子バスケット
©X-1

こうした経緯から、競技は第4回大会まで車いす使用者が対象とされ、パラリンピックという名称も、「Paraplegia(パラプレジア=下半身麻痺者)+Olympic(オリンピック)」と理解されていました。競技はその後、肢体不自由全般、脳性まひなど他の障害にも広がり、名称も1985年からオリンピックを念頭に置いた、「Parallel(パラレル=もうひとつの)+Olympic(オリンピック)」となりました。
パラリンピックに出場できるのは肢体不自由、脳性まひ、視覚障害、知的障害のある人で、聴覚障害者にはデフリンピック、知的障害者にはパラリンピックに加えてスペシャルオリンピックスが開催されています。
日本における障害者スポーツは、1964年の東京パラリンピック開催が発展の契機となり、1998年には長野冬季パラリンピックを開催しました。その後、2004年のアテネパラリンピックでの好成績を経て、選手の強化に向けた体制が整備されてきました。2011年にはスポーツ基本法が成立。2015年からは厚生労働省から文部科学省の管轄に変わり、競技団体に対する強化費の増額など、オリンピックと同じ仕組みの選手強化策が採用されています。

日本財団パラリンピックサポートセンターが支援を開始

写真
日本財団パラリンピックサポートセンターエントランス 写真提供:日本財団パラリンピックサポートセンター

現在では理解と支援が広がってきた日本の障害者スポーツですが、まだ課題も多く残っています。たとえば、パラリンピックの約30の競技団体のうち、法人格を持っていない団体は10にのぼっていました(2015年6月2日現在)。専用事務所があるのは一部で、個人宅で代用している団体もあり、事務局専任スタッフもほとんどいない状態が長く続いていました。こうした状況では競技力の向上や、東京2020大会の準備に十分な体制を構築することができませんでした。

写真:パラリンピック研究会が主催したシンポジウムの様子

そこで、日本財団は2015年5月、「日本財団パラリンピックサポートセンター(外部リンク)(パラサポ)」を設立しました。「SOCIAL CHANGE with SPORTS」をスローガンに、パラスポーツを通じて、一人ひとりの違いを認め、誰もが活躍できるダイバーシティ&インクルージョン(D&I)社会の実現を目指し、設立以来、パラリンピック競技団体の運営支援をはじめ、パラアスリートや障がいのある当事者と一緒に知る、学ぶ、体験する、パラスポーツを活用したD&Iプログラムを展開しています。
パラサポ設立に先立ち、日本財団では2014年6月に「日本財団パラリンピック研究会(外部リンク)」を立ち上げました。パラリンピックや障害者スポーツといかに向き合い、どのような大会としていくべきか、という課題に対し、民間の立場で広く検討しました。その結果として、パラリンピックの一元的な支援事業を実施する「パラサポ」立ち上げに至りました。

パラサポは東京・赤坂の日本財団ビル4階ワンフロアに29競技団体との共同オフィスを整備しました。競技団体の共通業務を集約し、効率的な団体運営を推進するバックオフィス機能などを提供し、独自の業務に集中できる環境を整えています。また、オープンなデザインのオフィスでは、団体同士の有機的なつながり、メディアや企業など外部連携も促進され、一大拠点として活用されています。
「新しい地図」として活躍されている草彅剛さん、稲垣吾郎さん、香取慎吾さんがスペシャルサポーターとしてパラサポおよび日本財団の活動を応援してくださっています。

日本財団パラリンピックサポートセンターの事業

<パラリンピック・ムーブメントの推進>

写真
(写真左から)日本財団パラリンピックサポートセンター スペシャルサポーターの草彅剛さん、稲垣吾郎さん、香取慎吾さん

日本財団パラリンピックサポートセンターの主な実績

パラスポーツを活用した教育・研修プログラムの実施

あすチャレ!School、あすチャレ!ジュニアアカデミー、あすチャレ!Academyなど、パラスポーツを活用した教育・研修プログラムを実施しています。シリーズ累計で約27万人が参加しました。(2020年度末時点)

パラ駅伝の開催

さまざまな障害のあるランナーと、健常ランナーが一緒にチームをつくり、計8区(1区約2.3㎞)をタスキをつないで走ります。(2015年~2019年まで開催)

ParaFesの開催

パラスポーツの普及啓発を通じ、インクルーシブ社会の実現を目指すライブエンターテインメントイベントです。(2016年~2019年まで開催)

i enjoy ! パラスポーツパークの開催

障がいの有無にかかわらず、誰もが気軽に参加できるイベントの実施や、パラスポーツを体験できる場を提供したい企業・自治体向けプログラムです。

日本財団パラアリーナの建設および運営

パラアリーナは、東京2020大会に向けパラアスリートの練習環境を改善するべく、東京・お台場の「船の科学館」敷地内に2018年6月に建設されたパラスポーツ専用体育館です。

写真:パラスポーツ専用体育館

地上1階、鉄骨造りで建築面積3187平方メートル、延べ床面積2989平方メートル、メインフロアは2035平方メートルです。ユニバーサルデザインが随所に取り入れられ、車いすでも通行しやすいスライドドア、広い個室トイレを数多く設置するなど使いやすさが徹底されています。メインフロアには車いすバスケットボールや車いすラグビー、ゴールボールといった団体競技のラインが常時引かれており、また強力な空調設備により体温調節が難しいアスリートにも快適な環境が用意されています。。稼働率ほぼ100%と、各競技の練習拠点となっています。

パラアリーナは新型コロナウイルス感染拡大に伴って2020年4月に一時閉館し、病床を設置するなど感染症罹患者の療養施設として整備。同年7月には災害時の避難所などとしても活用可能な「日本財団災害危機サポートセンター」の一部として東京都に貸し出されました。
その後、東京2020大会開催まで半年となった2021年2月、東京都との話し合いで、再びパラアスリートを練習拠点として復活することが決定。2021年4月1日から練習が再開されました。

日本財団パラリンピックサポートセンターの継続へ

日本財団パラリンピックサポートセンターは、東京2020大会終了後、2022年3月までの時限的な活動としてきました。しかし、パラスポーツ界からの強い要請に加えて、新型コロナウイルス禍による支援体制の脆弱化、スポンサー企業の支援状況などにも考慮し、日本財団は2021年2月、「パラサポ」を持続することを決定しました。今後、恒常的にパラスポーツを支援していきます。
日本財団のこの支援により、日本のパラスポーツがより発展していくことが期待されています。

日本財団パラアスリート奨学金制度

日本財団は学校法人日本体育大学と連携、日本体育大学及び日本体育大学附属高等支援学校など日本体育大学の設置校に在学する身体障害または知的障害のある学生・生徒で、パラリンピック、オリンピックなどの世界レベルにおける活躍が期待できると認められる方を対象とした給付型の奨学金制度を2017年に設けました。

東京2020オフィシャルコントリビューター

日本財団は2019年2月9日、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会と東京2020大会における『オフィシャルコントリビューター』契約を締結いたしました。
東京2020オフィシャルコントリビューターとは、東京2020スポンサーシッププログラムとは異なるプログラムであり、東京2020大会の開催のために貢献する非営利団体対象のプログラムです。
日本財団はボランティアの研修や気運醸成に関する支援を通じて東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会に貢献しています。

  • 2022年1月1日より団体名を日本財団パラリンピックサポートセンターから日本財団パラスポーツサポートセンターへ改称