《総括》理事長 尾形武寿(1/2)

写真:理事長 尾形武寿

2012年に刊行した50年史で、私は日本財団の前身である(財)日本船舶振興会の草創期にふれた上で、常に時代の流れに対応して自己改革を遂げてきた当財団の特質を述べた。初代会長の笹川良一から第二代会長の曽野綾子、そして現会長の笹川陽平へと引き継がれた事業運営の哲学にも言及した。今回の60年史では、当財団の活動の原資を生み出しているボートレース(競艇)業界の実情について、率直な意見を述べておきたい。その理由は、以下のように要約できる。
2021年度までの30年間、ボートレース事業は急下降から急上昇へというV字の軌道を描いた。史上最高の売上を記録したかと思えば、20年後の売上はその4割以下にも落ち込む。ところが、再び上昇し、その後10年で新たな史上最高の売上を記録……。この激しい浮き沈みは、ボートレース事業の良い点と悪い点の両方を象徴している。だとすれば、ありのままを年史に書き留めておかなければならない。健全な運営によるボートレース事業の隆盛がなければ、当財団も活性化しないと考えるからである。

近代化を牽引した「BOATRACE振興会」

ボートレース事業は、1952年に長崎県の大村競走場でレースが初開催されたことに始まる。第二次大戦後、我が国の経済は「東洋の奇跡」と言われ、株価も給与水準も史上最高額を更新し続け、1968年にはGNP(国民総生産)で当時の西ドイツを抜き、米国に次ぐ世界第2位の経済大国となった。高度経済成長期の好景気に日本中が沸き上がり、「これから世界の基軸通貨は米ドル、西ドイツマルク、日本円の3通貨体制になる」とまで指摘する学者も現れた。
1973年の石油危機で我が国の高度成長は一旦終止符を打つが、その後1980年代中頃から始まったバブル景気の波に乗って、ボートレースの売上も上昇を続けた。初開催から39年後の1991年度、売上は当時の史上最高額である2兆2,137億円を記録したのである。
しかし、この時、既に日本経済は陰りが見え始めていた。バブル崩壊である。1991年3月から景気は後退局面に突入する。ボートレースの売上も93年度には2兆円を切って下降線をたどり続けた。
ところが、8,435億円にまで落ち込んだ売上も2010年度を境に反転し、最初はゆっくりとだったが再び上昇を始める。そして、わずか11年後の2021年度の集計によれば、売上はそれまでの最高額を大きく上回る2兆3,926億円に達した。驚異的な回復力といえる。
ボートレース事業がV字回復を成し遂げたのには様々な要因が考えられる。だが、第一の要因として私は、公営競技業界では他に例を見ない競技運営の総合企画団体である「(一財)BOATRACE振興会」が果たした役割を強調したい。

実際のボートレース(競艇)の写真

BOATRACE振興会は1990年、当財団理事長(当時)の笹川陽平が主導し、ボートレース事業の一層の近代化を目指して設立された「(財)モーターボート競走近代化研究センター」を前身とする組織である。
この組織の立ち上げには思いのほか難航した。それは、当該組織の事業資金を当財団が負担する計画であったことと、事業の中身のほとんどがボートレースの運営にかかわっていたことに起因している。この新組織の目的・業務が、本来はボートレース事業の施行者である地方自治体が独自に実行すべき内容であることから、新組織が財団法人の形態を取っているとはいえ、当財団への交付金が再び施行者である自治体に還流していると見做される恐れがあったからである。そこで、以下のように知恵を絞った。
まず、新組織の事業基金については、最終的には造船関連業界の振興・発展にあてる日本財団の1号交付金を活用することとした。そして新組織の業務内容に小型船舶エンジンの開発、ボートの製造などを加えることで違法性を阻却したのである。
現在の「BOATRACE振興会」はこのようにして発足した。当財団から、1990年度に初期の費用として30億円が拠出され、高度情報化のためのリース事業が開始された。具体的には施設改善資金の融資、設備投資への資金の融通、機器の普及のためのリース事業、計算機センターの充実、電話投票のソフト開発、情報・映像配信の充実など多岐にわたる事業が展開された。

業界の総売上はかつて最高額を記録した1991年度の翌年度から下降線を辿ったことは前述の通りであるが、1990年度には1,845億円あった施行者の開催利益が、2000年度には総売上額が1兆3,348億円であったにも関わらず、127億円にまで下落した事実を私は注視した。この頃、施行者からは「船舶振興会(日本財団)に交付金を納めるためにボートレースを開催しているようなものだ」といった声が沸き起こっていたのである。
ボートレース事業は1952年の競技の初開催以来、開催経費が膨張の一途を辿ってきたが、売上は約40年もの間、概ね右肩上がりだった。その陰に隠れ、経営体質の問題点が表面化することなく推移してきたといえる。十分な収益が確保できないのは、競技運営の経費が膨大となっているのに経営合理化などの対応策を取って来なかったことに起因していた。国家であれ、地方自治体であれ、行政府というのは経費削減とか組織の合理化には不向きな体質を持っている。運営主体が地方自治体であるボートレース事業も同じことが言えた。
もともと、ボートレースは競馬・競輪など他の公営競技と比較すると、運営経費は格段に安上がりである。従って、ボートレース場内における券売の自動化、業務従事者の削減、レース場の規模の縮小など経営体質の改善に成功すれば、収益の向上が実現することははっきりしていた。
施行者協議会の2000年度総会に出席した当財団会長(当時は理事長)の笹川陽平は、施行者側に経営体質の改善を求め、競艇躍進計画の推進を提案した。その一方で、この年には業界待望の3連単の賭け式が導入されている。しかし、売上の下落は止まることはなかった。
2001年度、再び競技運営の合理化と施行者の経営体質の改善を目的に競艇躍進計画が立案され、計画推進のためにボートレース振興会に428億円の基金を創設した。業務従事員の整理、施設の改善、自動発払機の拡充のほか、電話投票(インターネット販売)の実施など数々の対応策が実行に移された。

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最新の自動発払機。かつては人の手で、発券・払い戻しを行っていた
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最新の自動発払機(拡大)。
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ボートレース津の大型映像装置

2007年度、モーターボート競走法の改定で、法第25条に規定されている当財団への交付金の算出表(通称別表)の改正が行われ、交付率が平均3.3%から2.6%になった。この時の考え方は売上の少ない施行者には交付金の交付を猶予し、売上の多い施行者から納付してもらう趣旨だった。但し、将来売上が元に戻れば、再び交付率が3.3%になるように算出表を作り変えるとした。のちに国土交通省と当財団が別々に作り、照合したら寸分違わない算出表になったのは僥倖であった。
2010年度を底に売上は回復基調となり、2021年度には2兆3,926億円と史上最高額の記録を打ち立てた一番大きな原因は何か。私は、業界が一致団結して考え得る施策を打ち出し、それをBOATRACE振興会の指導のもとで実行したことである考えている。そして手前味噌ではあるが、当財団が資金を投入し、合理化を支えてきたことも大きいと自負している。