第10回フォーラム2000 〜特別セッション・開発途上国における人権〜

チェコ共和国・プラハ

写真:スピーチする日本財団の笹川陽平会長

 

ロビンソン女史が今朝のセッションでおっしゃったように、世界人権宣言はその第一条において、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利について平等である」と謳っています。

しかし、残念ながら、私はこれまで世界の各地で、全く異なる現実を目の当たりにしてきました。様々な理由からその尊厳と権利を否定される人々が数多く存在します。平等は多くの人にとっての夢に過ぎず、差別も広く存在します。

人類社会のもつ最も古い差別の例の一つがハンセン病患者に対するものです。ハンセン病は、有史以前から人類を苦しめてきた感染症です。この病気については紀元前6世紀のインドの古文書、新・旧約聖書、中国の古文書などに既に記述があります。

数千年にわたり、ハンセン病は強い伝染性の病気であると考えられてきました。罹患すると皮膚と神経系統に後遺症を残すために、患者は恐れられ、人々から遠ざけられてきました。

世界の宗教社会では、ハンセン病患者は、穢れた者と考えられてきました。このことが、隔離・差別の根底にあり、結果的に彼らは長い間世間から隔離され、社会から追放されてきました。

19世紀になって、ハンセン病が「らい菌」による感染症であることが明らかになりましたが、治療法は見つかりませんでした。また、感染源もはっきりしませんでした。

ハンセン病患者を隔離する法律ができ、日本では「断種」、強制不妊手術までが合法化されました。患者の治癒でなく死に絶えるのを待つ撲滅を目指した政策がまかり通ったのです。

しかし、この20年ほどの間に状況は大きく変わりました。Multi Drug Therapyによる複合療法が確立されたことにより、1980年代からこれまでに1,500万人もの患者が治癒しました。早期発見と治療により、身体に障害を残すこともなくなりました。

しかし、スティグマと差別は根深く社会に存在します。これは簡単には消えません。

「不治の病」、「遺伝病」、「天罰」などという誤った認識がいまだに消えずに残っています。そのような間違った認識により、差別がいまだに存在しています。

単純に計算しても、1億を超える数の人々がこの地球上でいわれのない差別の犠牲者となっていると推定できます。問題は大きいのです。

しかし、犠牲者たちの姿は見えません。差別を恐れるが故に彼らは世間から身を隠し、声を出さずに生きてきたのです。あるいは、社会の側が彼らの声を聞こうとはしてこなかったのです。

写真:回復者の女性と交流する笹川陽平会長

 

アジア、アフリカ、南米などにはハンセン病患者・回復者・その家族のみが住むコロニーが存在し、そこに暮らす人々はほとんどが物乞いによって生計をたてています。不道徳な差別から抜け出す機会も与えられず、貧困状態を余儀なくされています。

3年前、私はこの問題が人々の目に見えないところにある巨大な人権問題であると考え、行動を起こしました。具体的には、国連人権委員会に働きかけました。

3年が経過し、ようやく一条の光が見えてきました。ここにおられる横田洋三教授(中央大学法学部)ともども、新たに再編された国連人権理事会にこの問題を正式議題として取り上げてもらい、基本的な原則とガイドラインを作成することを進めてもらうよう運動しているところです。

これは構造的な差別を廃止することです。では、差別という感情、「心の問題」をどうするのでしょうか?長い歴史とともに存在してきた認識や信念を変えることはたやすいことではありません。たとえその認識が誤ったものであり、その信念が真実にのっとっていないと知っていても、です。

ハンセン病患者に対して、物理的な壁が彼らを社会から隔離していましたが、その壁は次第に低くなりつつあります。しかし、見えない壁は残っています。私たちの安全で平和な生活を守るために、心の中に壁を作っているからです。

その差別の根底にあるのは、異なるものに対する恐怖の感情であり、排除の思想であると私は考えます。どのようにすればわれわれは、自分たちを異なるものから隔てるその壁を低くすることができるのでしょうか。

そこに必要なのは、お互いの存在を認め合うことであり、そうすることで全てのものが共生できるようになります。

それぞれの問題を、他者の問題としてではなく、われわれの問題として、われわれが自分たちで解決し自分たちに責任があるのだと考えなければなりません。積極的な討論が我々の進むべき道を提示してくれることを願ってやみません。