第6回日本財団アジアフェローシップ リージョナル・ワークショップ

フィリピン・ダバオ
写真:会場の様子
京都大学やタイ・チュラロンコン大学、地元のアテネオ・デ・ダバオ大学など 東南アジア諸国連合(ASEAN)関係者など、70人が出席したワークショップ

今回6回目を迎えるAPI(Asian Public Intellectuals )ワークショップを、当地ダバオで開催できることは、日本人の私にとって大きな意味を持っております。

ご存知の方も多いと思いますが、20世紀の初頭、日本人が多数このダバオに入植しました。彼らは、地元の人々に暖かく迎えられ、一緒に汗を流し、アバカを中心とした当地の産業振興に力を注ぎました。

アジアにおける人、モノ、情報の移動と交流は古くからの歴史があります。グローバリゼーションはアジアでは当たり前のことでありました。日本とフィリピンの関係をとってみても、先のダバオの日本人移民の例もそのひとつですが、古くは日本の倭寇(わこう)という日本人商人の集団がフィリピンにまで到達し、ルソン島に日本人町を作った歴史があり、近代では、フィリピンの英雄ホセ・リサールが、日本に滞在し、明治維新という革命的な日本の近代化の状況を目のあたりにした歴史があります。

ただ、リサールは日本のよいところだけを見たのではなく、冷静にその社会観察もしていました。彼が日本でひとつ驚き、気に入らなかったことは、人力車という人が車を引いてお客を運搬するという人力タクシーでした。

これを見たリサールは日本はなんと遅れた国なのかと驚いたといいます。それから100年を経た今でも、日本には、日本リサール協会(Rizal Society of Japan)というホセ・リサールを崇拝する人々の組織が存在し、また東京の中心にある日比谷公園にリサールの銅像があることはあまり知られていません。

もう一人のフィリピン人の革命家で、この時代に日本と関係が深かったのは、マリアナ・ポンセMariana Ponceでした。彼は1899年から1901年までフィリピンの首席代表として、アギナルド(Emilio Aguinardo)の要請で横浜に住み、日本亡命中の孫文や日本の政治指導者大隈重信、犬養毅らと接触し、フィリピンのアメリカからの独立運動のために、日本の友人の援助を得て武器を調達し、フィリピンに送ろうとしましたが、残念なことにこの運搬船は、上海で沈没して実際の役にはたちませんでした。しかし、ここには国を超えて思いを同じくする人々の信頼と友情があったのです。

その後、太平洋戦争という悲しい経験も日本とフィリピンの間にはありましたが、現代の日比の関係は、相互の信頼の上に立つ、人の交流、モノや情報の交流が以前に増して飛躍的に増加しています。

日本とフィリピンの歴史的な人の交流の話を申し上げたのは、アジアにおける人の交流、知識の交換、そして共通の問題についての相互理解と相互協力がこのAPIのテーマであり、目的であるからです。

現在のアジアには二律背反的な二つの潮流があると考えます。一つは非常にポジティブな潮流であります。これは、各国の経済的発展に裏打ちされた中産階級の勃興です。金持ちとはいえないまでも、高い教育を受け、ある程度の水準の仕事と収入をもつミドル・クラス、すなわち中産階級の人々の間では、国境や文化的伝統の境を越えたアジア的中産階級文化が醸成されています。

これらの人々は民主主義、平等な分配、発展や成長への意欲、教育機会の増大など共通な問題意識をもち、また、音楽、映画、漫画、アニメーションなどのポピュラー文化や共通の価値観を共有しています。彼らの間には、国家とか国境といった国民をひとつにまとめていた思想や制度はあまり大きな意味をもちません。

一方でもうひとつの潮流は、社会格差の進展による持てるものと持たざるものの間の対立、民族や宗教間の対立、資源の分配をめぐる対立というような国家というつなぎとめるメカニズムが弱体化することによって生じる対立・紛争の潮流です。ここミンダナオにもそのような対立が顕著に存在しています。

このような二律背反的なネガティブとポジティブな二つの側面をもつアジア社会で、一方で人々の生活文化をより豊かにしてゆく活動が必要であり、また一方で、直面する対立や紛争などの問題を解決し、平和の構築とさらなる発展をもたらすための活動が求められます。

写真:スピーチする日本財団の笹川陽平会長

しかしながらわれわれ皆が知っているのは、国家がこのような問題に対処する能力には限りがあるということです。問題は一国家だけの問題でない場合が多いのです。地理上線引きされた国境を越える問題や、遠く離れた異なる国のコミュニティ同士が共通の問題に直面している例は数限りなくあります。

 

このような問題に対処するには、国家を超えたところでお互いをよく知り、学びあい、自由な発想のもとで協力して問題解決にあたる地域的な広がりをもった人々の層を厚くしてゆくことが必要です。

APIはまさにこのようなニーズに答えるために創造されたプロジェクトであります。いままで象牙の塔の中や、極めて限定された分野・地域でのみ行われてきたアジアの知的交流に広がりを持たせ、「公益」、すなわちpublic goodのために自ら貢献する強い意識と決意をもったあなたがたAPIフェローのような知的リーダーたちを発掘し、彼らが他のアジア地域に渡り、隣人から学び、同様な問題意識をもつ人々と交流することをもとに、お互い協力して、人々の生活を豊かにし、直面する問題に具体的な解決策を提示する、そのような新たな地域的知的コミュニティregional intellectual communityの形成を目指したものであります。

アジアには様々な知的ネットワークが存在しますが、パブリック・インテレクチュアル、それも官僚もいればNGOの活動家もおり、芸術家もおりジャーナリストもその仲間であるという広義の知的リーダーのネットワークは存在してきませんでした。

2005年にタイのプーケットで開催された第4回APIワークショップで、私は「APIコミュニティは、アジアの発展のために、国境を越えてパブリック・インテレクチュアルが結集し、知恵と経験を持ち寄って、問題の解決法を考え、実行するシンクタンク、ドゥータンクを目指して欲しい」とフェローの皆さんにお願いをいたしました。

それから2年。この期間に、各国でカントリー・ワークショップが開催され、地域レベルでの委員会が組織され、APIコミュニティとして最初のリージョナル・プロジェクトが、「人々と環境」をテーマに着々と準備が進んでいると聞きました。これは、大変喜ばしいことです。

研究者、NGO関係者、芸術家など、多種多様な専門性を持つ人々が集うAPIコミュニティでなければできないプロジェクトとして、アジアの社会に広く受け入れられる新たな概念や価値観そして、具体的な活動の形成につながるような成果があがることを期待いたします。

最後に第一回のAPIワークショップの折のコラソン・アキノ元大統領のお言葉を引用いたします。

「私の熱い願いは、この成長し続けるアジアのパブリック・インテレクチュアルのコミュニティが、アジアのもつ特異な部分と複雑な部分を尊重して失わないようにしてくださることと、しばしば混乱と非人間的な動きをもつグローバリゼーションにわれわれがいやおうなくさらされる中で、われわれの多くの声が他の世界に聞かれるように努力していただくことであります。」

私も、APIコミュニティが皆さんの参加意識と努力によって、さらに斬新な研究や実践活動を進め、アジア社会の発展にますます貢献していただくと同時に、アジアの域内だけにとどまらず世界に向かってアジアを代表する「声」を発信する集団としても成長することを心より期待しています。