国際ガンジー賞授賞式

インド・ワルダー
写真:スピーチする日本財団の笹川陽平会長

 

国際ガンジー賞を頂戴することは私にとって身にあまる光栄であります。

私は、30年以上にわたってハンセン病制圧の仕事にかかわってきました。私とハンセン病との邂逅には、私の父、笹川良一の影響が大きくあります。

1995年に96歳でこの世を去った父の生涯の願望が、ハンセン病で苦しむ人々を解放することでありました。若いときに彼は、ハンセン病にかかった人々や家族の悲惨な苦しみを目のあたりにし、その救済のために働くことを心に決めたのです。

病で苦しむ人を慰め、力づけるだけでなく、その治療がそれを必要とするすべての人々に行き渡ることに彼は心を砕きました。私は、彼の息子として、この仕事を続け、未完了だった仕事を完了させるために精一杯の努力をしてきました。

父が亡くなった年に、日本財団はWHOを通じて全世界に5年間にわたりMDT(治療薬)の無償配布を始めました。その結果、500万人の患者を病より解放しました。その仕事は現在ノヴァルティスに受け継がれております。

1985年に122カ国あった蔓延国が現在は5カ国まで減少したことは喜ばしいことであります。公衆衛生上の問題としてのハンセン病は、制圧から撲滅へ向けての歩みを速めております。

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左が日本財団の笹川陽平会長。右は国際ガンジー賞の選考委員長でもあるインドのシェクハワット副大統領

 

しかし、ハンセン病のもう一つの側面である、社会的な問題、すなわち、患者、回復者、その家族に対するスティグマや差別といった問題の解決にはまだ遠い道のりを歩かなければなりません。

このスティグマや差別のない社会を作らない限り、ハンセン病で苦しむ人々に真の解放はないのです。

皆様ご存知のガンジーの言葉に、「心の病は、身体的な病よりもっと危険なものだ。清い心があれば、身体の病は自ずと消え去るのだ」というものがあります。

私達は、ハンセン病の患者、回復者が持つ心の病を無くすことにより努力をしなければなりません。すなわち、彼らが心に病をもたざるを得ないような誤った考えや、差別的な態度が充満する社会を変えて行く必要があります。

病気からの解放と、スティグマや差別からの解放、この二つはモーターサイクルの前輪と後輪であり、そのどちらかが機能しなければ車は前には進みません。

特に、後輪のスティグマや差別からの解放は、社会の人々に正しい情報を提供し、彼らのハンセン病についての認識を変えるという難しい問題との闘いです。

私は、私だけの力ではなにもできないということを強く感じ、昨年からこの問題を世界に訴えるグローバル・アピールという仕事をはじめました。

昨年は、世界の指導者の方々、例えば、ジミー・カーター元米国大統領、ダライ・ラマ師、デスモンド・ツツ師などにアピールに参加していただき、今年は回復者の指導者の皆さんにアピールに参加していただきました。

このような地道な努力を重ねることが社会を変えてゆく原動力となると信じてやみません。

国際ガンジー賞は、いままで主として医療関係の専門家でハンセン病の制圧に多大な貢献をされた方々に授賞してこられました。

今回、私を受賞者とお選びいただいたことは、ハンセン病の社会的側面での仕事に対して光をあてていただいたということで、選考委員の方々のご見識に深い敬意と感謝の意を表明いたします。

これは、私や私の父がこれまでやってきた仕事に対していただいたものではありますが、それ以上に、これは私に対してこれからの社会的差別との闘いの長い道のりを最大の努力をして歩き通すように、そのための力をくださったものと理解しております。

そして、このことは、多くのハンセン病の回復者の方々にとっても大きな励みとなると信じております。

皆様のご期待に背くことなく、歩んでまいりますので、ご理解とご協力を頂戴できますよう、心からお願い申し上げます。