ASEAN・日本財団共催 ハンセン病と人権プロジェクト開始記念式典

インドネシア・ジャカルタ

ご多用の中、お集まりいただいた皆様に心から御礼を申し上げます。

本日こうして、スリンASEAN事務局長、ASEAN事務局(ASEC)、そしてインドネシア・ハンセン病回復者組織の代表として本事業のプロジェクト・マネージャーを務めるAdi Yosep氏とともに、ASEANと日本財団による「ハンセン病と人権」共同プロジェクトの立ち上げを宣言できることを喜ばしく思います。

なぜ今ハンセン病の問題を取り上げるのか、ハンセン病と皆さんとどう関わりがあるのか、不思議に思われる方も多いと思います。この機会をお借りし、なぜハンセン病がここにいるすべての方々と関わりが深い問題なのか、なぜ今取り組まなければいけないのかをご説明させていただきたいと思います。

ハンセン病は、細菌によっておこる慢性的な感染症で、皮膚や末梢神経が冒される病気です。早期診断と適切な治療が受けらない場合、手足や顔などに変形をもたらし、障害が残ることがあります。

この病気は紀元前6世紀のインドの書物や中国の古典などにも 記述が見られるほど、古くから存在します。

外見が変わってしまうこと、またかつては原因不明で不治の病であったため、長い間この病気はたたりや天罰などと人々から恐れられてきました。ハンセン病に感染した人が家や村を追い出され人里離れた山奥や離島に追いやられるなど、信じがたい差別が近代まで世界中で行われていました。多くの国々において、ハンセン病患者は国の政策として社会から隔離されてきました。

フィリピンでは、1904年に、クリオン島に療養所が創設され、累計で50,000人に上るハンセン病患者が強制的に隔離され、世界最大の隔離の島といわれてきました。シンガポールやマレーシアにおいても、英国の支配下で隔離政策が続けられてきました。このほか、タイ、ベトナム、ミャンマーにおいても、アクセスが困難な地が隔離の施設に選ばれています。インドネシアには故郷を追われたハンセン病患者・回復者が肩を寄せ合って暮らす定着村が69箇所あります。世界には数知れない隔離の島々や施設が存在しました。

差別の被害者は、患者自身のみではありません。患者の子どもなど家族までもが社会から偏見の目でみられ、差別の対象とされてきました。このため、ハンセン病を一度発病すると、親族の名誉のために自らの名前さえ消し去り、社会に存在しない者となった例は、アメリカや日本でも多く存在します。ましてや患者自身が社会的に発言することなどまったくできず、自らのアイデンティティを完全に失っていたのです。ハンセン病の歴史は、ひとつの病気が、一人の人間の、そして家族の、全人生を決定してしまうということを如実に物語る歴史でした 。

1980年代にようやくMDT(多剤併用療法)という有効な治療法が確立され、ハンセン病は治る病気となりました。早期診断と適切な治療が受けられれば後遺症が残る可能性はほとんどありません。

治療法の開発と、各国保健省やWHO、NGOを始めとした関係者の努力の結果、公衆衛生上の問題としてのハンセン病はようやく解決の見通しがついてきました。過去20年の間で治癒した人の数は約1600万人にのぼりました。ASEAN加盟国を含むほとんどの国で、公衆衛生上のハンセン病の問題は解決したといえます。

しかし、その医療面の闘いが進む一方で、社会の側にはハンセン病患者・回復者に対する偏見と、それに基づく差別が根強く残っています。社会に残る目に見えない壁が、未だにハンセン病患者・回復者を社会から疎外し続けているのです。

私は40年来、このハンセン病の問題に携わってきました。これまで世界中の数十カ国以上の国を訪れ、何千人ものハンセン病患者・回復者の方々と直接会い、彼らがどのような状況下で生活しているかを目の当たりにしてきました。こうして世界各国の現状を見ると、残念ながら社会の厳しい偏見は、現在の状況からそう変わっていないといわざるを得ません。何千万人もの人々が今もなお、日常生活のあらゆる面において、偏見からくるいわれのない差別と権利の侵害に苦しんでいます。

インドのオリッサ州では、ハンセン病患者・回復者が公職に就くことを禁じる法令がいまだに存在しています。昨年8月の最高裁判決では、かつてハンセン病を患った候補者が不適格とされた措置を合法とする判決が下されました。

2007年にインドネシア南スラウェシ州のあるホテルで、ハンセン病患者・回復者が集まりワークショップを開催した際には、ホテルから「他の客の迷惑になるから」と利用を断わられるという事件がありました。その場にいた人たち全てが病気は完治しており、感染の危険性は全くないのにも関わらず、一般の客は彼らが同じロビーを使うこと、彼らと同じ部屋で朝食を取ることを拒んだのです。

この一件には後日談があり、患者・回復者による抗議と働きかけの結果、地域のホテルマネージャーを集め、ハンセン病に関する正しい知識を学ぶための啓発ワークショップが開催されました。

社会に根強く残る偏見をなくしていくためには、粘り強くかつ戦略的な取り組みが必要と考えます。国際機関、各国政府、NGO、医療関係者、マスメディアなどを巻き込み、社会を変える大きな波を創り出していくことが必要です。

国際社会もようやくこの問題に関心を寄せ、動き始めています。私はこの問題を国際社会で取り上げてもらおうと、2003以来、国連への働きかけを行ってきました。その結果、ようやく昨年2008年6月に国連人権理事会でハンセン病患者・回復者に対する差別撤廃のための決議が日本政府によって提出され、全会一致で採択されたのです。政府代表が集まる公式の場で、ハンセン病患者および回復者、家族の人権の問題が議論され、差別の撤廃が謳われたのは歴史上初めてのことであり、大変画期的なことです。

この決議には、フィリピン、インドネシア、タイなどのASEAN加盟国を含む58カ国の政府が共同提案国として賛同しています。この決議を受け、今年の9月までに国連人権諮問委員会において、差別撤廃のためのガイドラインが作成される予定です。

この兆しを受けて、実際に社会のこの病気に対する誤った認識を変えていくためには私は3つのアプローチが特に重要であると考えています。

ひとつめに、国の指導的立場にいる人たちに対し、差別をなくすよう働きかけをすることです。国の指導的立場にいる方々には、現行の政策や制度の中に見過ごしている差別的な要素がないかどうかを検証し、あれば改善していただきたい。同時に社会に根付いたハンセン病にまつわる偏見を取り除くために、啓蒙活動に取り組んでいただきたい。

2つめに、教育や啓発活動、マスメディアによる発信等を通して、社会の隅々まで正しいハンセン病の知識を行き渡らせ、社会全体の認識を変えていくことが必要です。

そして3つめに、人々の心に最も訴えかける力をもつ回復者自身の声を発信していくことです。世界各国でハンセン病回復者の方々が自ら尊厳を回復するための行動に立ち上がり始めています。

今回のASEC-TNFプロジェクトこれら3つのアプローチが含まれています。この事業は、ASEAN加盟国において、ハンセン病回復者が、自らのイニシアチブで、尊厳の回復と社会復帰を実現してゆくために起こす地域的な新たな試みです。

まず、社会の各セクター、すなわち政治指導者、メディアなどに働きかけ、病気に対する正しい理解を進めてもらう啓蒙活動に力を入れてゆきます。

一方で、回復者自身の能力開発を進める教育セミナーなどを実施し、彼らが社会に向けて声をあげ、経済的な自立を図り、社会の主流に参画することを目指します。

ハンセン病患者・回復者の社会復帰を可能とするためには、彼らが普通の人々と同じ生活が送れるように、経済的な基盤を確立できるようにすることが重要です。今日はここに企業の代表の方々もお見えになっていると存じますが、雇用の機会、社会参加の機会をより多くの回復者やその家族に提供してゆくには、民間企業の積極的な支援が望まれます。

私はハンセン病の問題をよくバイクの両輪に譬えてお話します。前輪が医療面における病気との闘い、後輪が社会面における差別との闘いとすると、両輪が同じ大きさでないとバイクは真っ直ぐは進みません。両輪の大きさのバランスがとれ、医療面と社会面両方の問題が解決されてこそ初めて、真のハンセン病のない世界が実現できるのです。

ASEANは、地域内諸国の経済・政治・安全保障・文化協力を通した豊かな生活の達成を展望した、未来志向の国際組織です。だからこそ、人々を社会の隅に追いやっている見えない壁を取り払い、すべての人が豊かな未来を享受できる社会をつくりだしていただきたい。地域連合体としてこの有史以来の人権問題に取り組むことは、世界的にも例がなく、大変意義が深いものです。

政治的指導者、回復者、メディア、そして企業その他の社会組織がそろって問題を共有し、力をそろえれば、この有史以来社会が持ち続けてきた偏見という病を取り除き、回復者やその家族がほかの人と同じ権利を享受する社会を作り出すことは必ずできます。ASEAN加盟国から病気と差別がなくなり、ハンセン病がなくなったといえる日が一日も早く来るように、本日お集まりいただいた皆様のご協力をいただきたいと思います。