ボーローグシンポジウム 〜進化するアフリカ農業〜

エチオピア・アディスアベバ

メレス・ゼナウィ首相、カーター元大統領、並びに各国農業大臣閣下、ご参集のみなさま、本日はここにお集まりいただき、心よりお礼申し上げます。

先ほどのドキュメンタリーにもよく映し出されていましたが、ボーローグ博士は生前いつでも、立ちはだかる困難に対して決して諦めることなく、常に前向きな姿勢で問題に取組んでこられました。ご自分が癌に侵されていた時でさえその姿勢は変わらず、アフリカの農民たちの幸せをいつも一番に考えて行動されていました。ドキュメンタリーを拝見して博士のそのようなお姿を新たに思い出し、思わず目頭が熱くなってしまいました。

本日は、このアフリカの地において心身共に捧げてくださったボーローグ博士を皆様と一緒に偲ぶとともに、この場をお借りして笹川グローバル2000プロジェクト(SG2000)の創設者のひとりとしてご挨拶させていただきます。

SG2000が始まるきっかけとなったのは、1984年に発生した干ばつによるエチオピアの大飢饉でした。この模様は世界中でも大きく報道されましたが、なかでも私が特に衝撃を受けたのは、食べ物を口に入れる余力さえ無く、そのまま死んでいく子供たちのあまりにも悲しい光景です。その深刻な事態に外国からは続々と救援物資が集まってきましたが、私もすぐさま日本財団から救援物資を届けました。

エチオピアの飢餓は確かに深刻な事態であったものの、エチオピアに代表されるサブサハラ以南の国々は、飢饉に襲われる以前から深刻な食糧危機にさらされていました。ご存知の通りアフリカの大部分の土地はただでさえ痩せているうえ、日常的に安定した降雨も期待できない悪条件にあります。それにも関わらず農民たちは、ただ単純に種をまくだけの昔ながらの農業を行っていたため、彼らが生きていくのに必要な最低限の食糧さえ確保することができなかったのです。

しかし、飢饉の状況が改善されると、救援物資を送った各国は、アフリカの食糧問題に対する関心を徐々に失っていき、アフリカの人々は明日の食糧に対する不安を抱える日々に戻ってしまったのでした。

当時日本財団の会長を務めていた父と私は、この飢饉をきっかけに、アフリカが抱える食糧問題解決のために何かできないかと想いを巡らせました。そこで専門家や有識者と議論を重ね、いろいろな意見の中から何ができるか慎重に判断した結果、人口の7割以上を占め、常に明日の食糧の不安を感じながら生きている農民たちが自分達の力で食べていけるよう、アフリカの土地と気候に合った農業生産技術の指導に取り組むことが最善の策であるとの結論に達しました。

そしてアフリカの農民達を救えるのはアジアで緑の革命を起こしたボーローグ博士しかいないと確信していた私達は、当時70歳で引退を考えていた博士に熱く協力を求めたのです。また、アフリカで公衆衛生事業を展開していたジミー・カーター米国元大統領からも積極的な賛意を寄せていただき、この3者の協働でSG2000を進めることになりました。

ご存知のとおり、SG2000は少量の化学肥料とその土地に合った優良な種子を使う計画的な農業を、農業普及員が小規模農家に直接指導していくプロジェクトです。それまでただ種をまくだけの旧来の農法で、最低限の収穫量しか得ることができなかった農民たちが、自分らの力で生産量を増やし、空腹な状態から抜け出すことを目指しました。

世界中の優秀な農学者が担うカントリーディレクターのリーダーシップのもと、普及員たちが農家を一軒一軒訪ねて回り、情熱をもって新しい農法を指導してきました。すると、農民と普及員との間で徐々に信頼関係が芽生え、当初は様々な不安と疑心を持っていた農民たちの意識に「家族が安定的に食べられるように新たな農法に挑戦したい」という変化が見え始めたのです。

そしてSG2000開始から10年後には、プロジェクトに参加したほとんどの農家で収穫量が2〜3倍になることが実証され、地域によっては余剰作物がでるまでになりました。こうしてプロジェクトが成果を挙げるにつれ、農民たちは次第に自信と将来への希望を持ち始め、農民たちの食糧事情は大いに改善されていくかのように見えました。

しかし増産が可能になったにも関わらず、農民たちは生きていくためのぎりぎりの生活からなかなか抜け出せずにいました。

その理由は様々でしたが、大きな理由のひとつは、増産に成功し、余剰作物ができたとしても、収穫期に皆が集中して余剰作物を市場に持ち込んでいたため、市場に作物があふれ価格が下がり、思うように収入につなげられなかったことでした。収入が得られなければ、農民達は必要な種や肥料を買うこともできず、今まで以上の収穫を期待することは出来ません。この努力が報われない現実に落胆した農民たちのモチベーションは大きく低下し、再び昔ながらの農法に戻ってしまうケースも出てきたのです。

普及員たちはこのような状況にもめげず、農民達がSG2000の農法を取り入れてくれるよう粘り強く地道な指導を続けました。そして私たちも現状を打開するため、90年代半ばからは、従来の作物増産という方針と並行して「ポストハーベスト」、「農作物加工」という新たな取り組みを始めました。

それまで農民は、非常に限られた加工技術や保存技術しか持たなかったため、余剰作物を腐らせたり、売れずに廃棄したり、低価格でしか取り引きせざるをえませんでした。しかしこれら技術を習得したことにより、余剰作物を無駄にすることなく、市場でも次第に有利な条件でこれらを売ることができるようになってきました。そして作物増産が収入につながることを体験した多くの農民たちが、再びSG2000の手法に納得し、頑張ろうというインセンティブを持ち始めたのです。私達の新しい取り組みは、彼らがモチベーションと自信を徐々に回復し、農業にやりがいをもって取り組むようになるきっかけとなったのでした。

それでもアフリカ全体を見ると、まだまだ食べていくのがやっとという状態から抜け出すことができていません。しかし一方では、SG2000が着実に進化していく中、「自分達の収穫した作物から収入を得て生活の改善を図る」ことについて、今まで以上に真剣に考える農民達が増えてきているのも事実です。

そこでSG2000では、引き続きプロジェクトの柱である農業生産技術の指導に力を入れつつ、今後は生産現場から販売に至るまでの一連の流れやその他様々な課題をしっかりと把握し、これまで以上に農民たちの収入や生活の改善につなげていく仕組みづくりにも挑戦していくつもりです。

さて、私は本日この場で、SG2000プロジェクトの視点からアフリカの食糧事情について話をしてまいりました。しかしながら、いま私が申し上げた、我々が今後引き続き取り組まなければならない増産や、農民の収入につなげるためのバリューチェーンといった課題は、私たちSG2000関係者だけの問題ではなく、ここにご参集の、アフリカの農業を考えるみなさまにとっても注目すべき課題であるに違いありません。

ボーローグ博士は「アフリカの子供たちが空腹を抱えたまま眠りにつかないように」という強い想いのもと、アフリカの農業の発展に人生をかけて取り組んでこられました。そして、その想いを胸にフィールドで農民たちと取り組んだのは、単に畑を耕すことや種を植えることだけではありませんでした。彼は技術と同時に、農民の心に「夢」という土壌を耕し、「希望」という種を植え、「情熱」という水と太陽を注いだのです。そして彼はアフリカの農民の心に「自信」という作物を実らせたのでした。

私は昨年、ボーローグ博士がSG2000という新たなチャレンジを始めた時と同じ70歳になりました。博士の精神力と行動力にはとても及ばないかもしれませんが、私は博士の遺志をひきつぎ、チャレンジを続けてまいります。「Never give up」というボーローグ博士の精神に基づき、どのような困難にも立ち向かっていくことをこの場でみなさんに誓い、ご挨拶とさせていただきます。

ご静聴ありがとうございました。