第14回フォーラム2000 〜我々が望む世界〜

ヨルダン・アンマン

ハヴェル大統領、ご来賓のみなさま。
21世紀の最初の十年が終わろうとしている今、私たちは重要な問題について考えるためにここに集いました。「私たちがどんな世界に住みたいか」を私たち自身に問うためです。この問いは一見シンプルなもののように思えます。しかし、よくよく考えてみると他のさまざまな問いを呼び起こすだけの問いなのです。

まず初めに、「どんな世界か」について問う前に、私たちは自身に対して「私たち」とは誰のことを指すのかを問わなければなりません。私たちは「私たち」という言葉を使って誰を意味しているのでしょう。

私たちが「The World We Want to Live in」について話すとき、「私たち」とは、本日ここに集まっている人たちのことだけを指しているのではありません。「私たち」とは、家族、友人、同僚、あるいは同じ国の国民のことだけを意味しているのではありません。あるいは、「私たち」とは、今日この地球上で生活を送る60億人の人々だけを想定しているわけでもありません。

「私たち」とは、今に至るまでこの世界を継承してきた人々、今まさにこの世界に生き、この世界を形作っている人々、そしてそれらのすべての人々が去ったあとに、この世界を末永く引き継いでいく人々すべてのことではないでしょうか。

当然ながら、ここで問題になるのは、この世界を構成する数限りない個人、コミュニティ、文化が「住みたい世界」についてそれぞれに異なる価値観を持ち、それらの中には無理なく共存できるものもあれば、競合するものや、相反するものがあるということです。

そもそも今日この世界が直面している多くの諸問題は、そのような価値観の違いに根差していると言う人もいるでしょう。この問題をどうすればよいのでしょう。あるいは、今夜この場にいる「私たち」はこの問題に対して何ができるのでしょうか。

私たちは、この世界において「私たち」を主張する数限りない人々の立場に自身を置き換え、人類社会全体が一体何を必要としているのかを探るというほとんど不可能に近い課題を自身に課したのです。私たちは、私たちの中の多様性を尊重し育む世界を実現するための術だけでなく、より良い世界の共通のビジョンに向かって人々が一緒に取り組んでいくための術を模索するためにこの場に集まったのです。

そしてそれこそが、そもそもの始まりのときからフォーラム2000が目指したビジョンだったのではないかと思います。そのビジョンは、ハベル大統領の広島訪問によってもたらされたものです。

みなさん、明日の晩、私たちはここプラハで広島・長崎の展示会開催を記念するセレモニーを開きます。私たちが広島と長崎の出来事を学び、ときに振り返るのは、そこで何が起こったのか、どう起こったのか、個々の命と世界に対してどのような影響を及ぼしたのか、そしてどのような影響が残り続けたのかについてより深く理解しようとするためでしょう。しかし、同時にそれを本当に理解することがどれだけ難しいかを知るためでもあるのです。さらには、それがどれだけ不可能に思えようとも、理解しようとすることをやめてはいけないことを自身に思い出させるためでもあります。

私は、今回の展示とフォーラムでのすべての議論が、私たちに共通の倫理的、精神的価値の探求を継続するための力を与えてくれること、そして過去、現在、未来のすべての人々が誇りを持って住むことのできる世界に向かって私たちが一歩を踏み出す勇気を与えてくれることを願っています。