グローバル・アピール2011 宣言式典 〜ハンセン病に対するスティグマ(社会的烙印)と差別をなくすために〜

中国・北京

「恐いのは病気自体ではありません。病気に伴う偏見と差別のほうがはるかに辛いのです。」これは世界のどの国でも、ハンセン病患者・回復者から聞く言葉であり、多くのハンセン病患者・回復者の心の叫びであります。

ハンセン病は、顔や手足の変形という特殊な症状の現れにより、長い間、不治の病として人々に恐れられていました。かつては、世界各地で天罰や遺伝病とも考えられてきました。

こうしたハンセン病に対する誤った認識により、世界中でハンセン病患者が社会から強制的に隔離されました。フィリピンのクリオン島、南アフリカのロベン島、ハワイのモロカイ島、四川省や雲南省の奥地の村をはじめ、多くのハンセン病患者が収容された隔離の島やコロニーは世界中に数多く存在しています。そして、彼らは社会から隔離されるだけではなく、差別の対象となったのです。

やがて、医学が進歩し、1980年代には多剤併用療法(Multi Drug Therapy)を使った有効な治療法が開発されました。これにより、この30年間で約1600万人のハンセン病患者の病気が治癒しました。ハンセン病が完治する病気となり、患者数が激減した現在、皆様は、ハンセン病は過去の問題であると思われるかもしれません。

しかし、病気が治っても、ハンセン病回復者に対する差別は続きました。一度、ハンセン病という「社会的烙印(stigma)」を押された人々に対する差別は、深く根を下ろしたまま、消えることはなかったのです。世界には、今も、多くのハンセン病患者・回復者が故郷や家族のもとに帰ることができず、人里離れた療養所やハンセン病患者・回復者だけで構成された定着村に暮らしています。彼らは他の人々と同じように自分の力で生きたいという意欲も能力も持っています。しかし、彼らの多くは学校に通い、友達をつくり、就職をし、やがて結婚して自分の家庭をもつという、人として当たり前の生活を送ることができずにいるのです。

さらに、回復者の子どもたちまでもが、就学や結婚という場面において、世代を超えた差別から抜け出せずにいます。このように、今なお、ハンセン病という「社会的烙印」を押された人々やその家族が、社会生活を送る上で最も基本的な権利を奪われ続けているのです。病気が治った後も差別され、家族までもが社会に受け入れられないハンセン病は“過去の問題”ではありません。ハンセン病という社会的烙印は、ハンセン病回復者に一生つきまとう恐怖であり、“現在も続いている問題”なのです。

私が訪れたどの国でも、ハンセン病回復者は過去に自分が病気を患っていたことを必死で隠そうとしています。それは、自分の病気が同僚や友人に知られることで、失うものがあまりにも大きいと怯えているからです。インドでは、ある勤勉で優秀なハンセン病回復者の女性が、病気の後遺症を隠して公務員として働いていました。しかし、自分が元患者であることを同僚の親友に告白すると、そのことが瞬く間に職場中に広まってしまいました。そして、同僚は皆、彼女のもとから離れていき、彼女は孤立してしまったのです。私は、このような境遇の人々に出会うたびに、彼らの悲しみや絶望を想像し、胸がしめつけられる想いがします。こうした問題は単に一例にすぎません。このケースにみられるように、現在においても、社会的烙印は消えずに残っているのです。

私たちは、自分の心の中にある偏見や差別の意識に気づき、自覚し、自分自身の問題として捉えていかなくてはなりません。私たちにとって大切なことは、彼らの苦しみに気づき、これまで無意識のうちに見過ごしてきた問題に目を向けることなのです。

かつては、日本や中国も例外ではなく、ハンセン病患者の定着村や療養所は、長い間孤立した存在でした。しかし、ここ中国では、10年ほど前から日本と中国の学生グループがハンセン病回復者の定着村に寝泊まりし、家屋の修繕や水道・トイレの設置など村人の生活環境の改善のための活動を重ねてきました。はじめのうちは、定着村の周辺に住む人々は、ハンセン病回復者と学生たちが手をつなぎ、街に出て買い物をしたり、病院へ付き添う姿を目の当たりにし、大きな衝撃を受けました。やがて、その光景が日常のものとなり、住民達もハンセン病回復者を彼らのコミュニティに受け入れるようになっていきました。日中の学生たちによる地道な活動が、人々の意識を確実に変えてきています。それだけではありません。定着村の人々の諦めや自らを蔑む心を希望に変えていったのです。そして、何より学生たちが自分の心が豊かになっていくことに気づきはじめています。こうした心の変化の連鎖が少しずつ社会に広がり、社会側の意識を変えていくのだと私は信じています。

私がハンセン病の問題と闘いはじめてから40年の歳月が経ちました。近年、こうした草の根の活動が少しずつ広がってきていることに、私自身が非常に勇気づけられております。一方で、差別をはじめとするハンセン病を取り巻く問題解決のための道には、依然として越えなくてはならない大きな壁が立ちはだかっています。なぜなら、ハンセン病を取り巻く問題は非常に重層的で、奥深いものであるからです。

だからこそ、ハンセン病を取り巻く問題の解決にあたっては、多面的なアプローチとあらゆる分野で活躍する方々の協力が不可欠であると考えています。

問題解決のための方法は一つだけではありません。現場での活動に加えて、国連への働きかけやこのグローバル・アピールという取り組みも重要な活動の一つであると考えています。

昨年12月には、国連総会本会議において、私の長年の夢であった「ハンセン病患者・回復者及びその家族への差別撤廃」が決議され、それに伴う原則及びガイドラインが承認されました。これにより、世界中の国々に、ハンセン病回復者やその家族に対するあらゆる差別が違法であるとして、その撤廃に向けて取り組むことを課すこととなりました。これまでの長く厳しい差別との闘いを大きく前進させた一歩であり、共に手を携えて歩んでくださった関係者の皆様には心より感謝いたしております。

グローバル・アピールを世界に向けて発信するのは今年で6回目です。これまでも、ビジネスリーダーや世界の宗教リーダー、人権擁護団体の代表者の皆様からの賛同を得て、ハンセン病に対する誤った認識を改めることの必要性や現在も根強く存在する差別の問題について、共に世界に訴えてきました。

本日、ここにお集りの教育界の皆様には、差別の撤廃に向けたメッセージにご賛同くださったことに心より感謝申し上げます。教育を通じて、社会に正しい知識や情報を届けることは重要です。さらに、他者の痛みに気付き、自分の問題として捉えるというような倫理観を養うことができるのも教育だと私は考えます。皆様にはそれぞれの立場から、この問題に継続的に取り組んでいただけるよう、ご協力をお願いしたいと思います。

人類の長い歴史に根ざした偏見や差別は、未だに社会の中に根強く残っています。しかし、私たちはこの差別の問題と闘い続けていかなくてはいけません。皆様の力をお借りすることで、さらに大きな前進を遂げることができると信じています。ハンセン病を体験した人やその家族が一人の人間として尊厳のある生活を送ることができる社会を共に築いていきましょう。