アテネ大学におけるヤングリーダー奨学基金制度20周年記念式典
本日、アテネ大学における「笹川良一ヤングリーダー奨学金(Sylff: The Ryoichi Sasakawa Young Leaders Fellowship Fund)プログラム」設置20周年を皆さまとお祝いできることを大変光栄に思います。
そして、Sylffプログラムの発展にご尽力いただいているアテネ大学のテオドシシ・ペレグリニス教授をはじめとするSylff運営委員、フェローの皆様にこの場をお借りして、深く感謝申し上げます。
1987年に始まったSylffプログラムは、様々な問題に立ち向かい、人々に平和や幸福をもたらせるようなリーダーを育成することを目的に設立されました。
私たちは、いつの時代も困難な問題を抱えています。それらの問題は目に見える、表面化しているものだけではありません。世の中には、見ようとしなければ見えない、聞こうとしなければ聞こえない問題がたくさん潜んでいます。
皆さんには、世の中にある隠れた問題に気づき、それらに立ち向かうことができるリーダーになっていただきたいと考えています。
本日は、1つの例として、私の経験についてお話したいと思います。
今から40年ほど前、私は韓国のハンセン病患者が暮らす病院を訪れました。その時の彼らとの出会いが、私に大切なことを教えてくれました。
ハンセン病は、世界中の病気の中で最も誤解され、偏見の対象となってきた病気の一つです。ハンセン病は古くから業病あるいは天刑病などといわれ、人々から恐れられてきました。その理由の一つは、発病した一部の人に皮膚の変色や顔や手足の変形といった特徴的な症状が現われ、人々に恐怖の情を覚えさせたからであるといわれています。
やがて、ハンセン病が感染症であることが分かると、今度は感染を防ぐために、世界中で隔離政策が行われるようになりました。例えば、スピナロンガ島は『アイランド』という本の中でも取り上げられているので、皆さんもご存知かもしれませんが、エーゲ海にあるスピナロンガ島とミコノス島はハンセン病患者の隔離島でした。
1980年代に有効な治療法が見つかり、ハンセン病患者の数は劇的に減少しました。
しかし、社会の中に深く根付いたハンセン病患者・回復者に対する社会的烙印と差別は消えることはありませんでした。差別を恐れるあまり、病院に行くことすらできず、病状を悪化させてしまう患者も多くいました。
私は、韓国のハンセン病患者が暮らす病院を初めて訪れた時、彼らのように世の中から忘れ去られている人々がいることを知りました。そこでは、ハンセン病を理由に社会から強制的に隔離された人々が息をひそめてひっそりと暮らしていました。
差別を恐れて声をあげられない人。
声をあげることすら諦めてしまっている人。
私は、声を発することのない彼らの「沈黙の声」を聞いたような気がしました。同時に、その「声なき声」は、決してどこにも届くことなく、消えてしまうのだと思うと、いてもたってもいられなくなりました。
私は、彼らの力になりたいという強い想いを胸に、ハンセン病制圧活動という新たな一歩を踏み出しました。
私たちは、自分の耳で聞こえるものや目に見えるものだけを現実に存在するものであると思いがちです。
しかし、世の中には隠れた問題が多々あり、聞こうとする意思、見ようとする意思がなければ、私たちには届かないのです。
私が気づかない問題に皆さんは既に気づいているかもしれません。皆さんはそれぞれの道を歩んでいかれますが、表面的な問題だけに捉われることなく、隠れた問題に気づき、それらの問題に立ち向かっていくことで、人々の平和や幸福をもたらせるようなリーダーになってほしいと願っています。
Sylffフェローの皆さんの益々のご活躍とアテネ大学の発展を心より祈念しています。