ジャダプール大学におけるヤングリーダー奨学基金10周年記念式典

インド・コルカタ

本日、ジャダプール大学 におけるSylffプログラム設置10周年を皆さまとお祝いできることを大変光栄に存じます。

Sylffプログラムは、世界の困難な課題に取り組み、人類に平和や幸福をもたらせるようなリーダーを育てることを目的に設立されました。ここ、ジャダプール大学では、毎年優秀なフェローが輩出され、すでに多くの方が社会をより良くするための優れた活動を実践していると報告を受けており、大変嬉しく思います。

さて、私にとって、インドは大変思い入れの深い国です。私は毎年世界各国を訪れていますが、インドは訪問回数が最も多い国の一つです。ジャダプールにも何度か訪れていますが、最後に訪れたのは、2005年の大学創立50周年記念式典です。その式典で、光栄にも私は名誉学位を授与いただき、心より感銘を受けました。

私が頻繁にインドを訪れるのは、ハンセン病制圧とスティグマや差別撤廃のための活動を、新規患者が圧倒的に多いここインドで特に力を入れて取り組んでいるからです。本日は、若く意欲に満ち溢れる皆さんの前で私のこれまでのハンセン病に対する取り組みについてお話できることを嬉しく思います。

おそらく皆さんが生まれるずっと前、私は韓国にあるハンセン病患者・回復者の療養所を訪問する機会を得ました。そこでの出来事は、それまで見過ごしていた世界があることを私に気付かせてくれました。そして、その後40年にわたるハンセン病との困難な闘いをはじめる契機となりました。

ハンセン病は最も誤解され、偏見の対象となってきた病気の一つで、古くから業病あるいは天刑病などといわれ、人々から恐れられてきました。その理由の一つは、発病した一部の人に皮膚の変色や顔や手足の変形といった特徴的な症状が現れ、人々に恐怖の念を抱かせたからであるといわれています。

やがて、ハンセン病が感染症であることが分かると、今度は感染を防ぐために、各国政府が強制的に隔離政策を行うようになりました。多くのハンセン病感染者が家族から引き離されて孤島や遠隔地に隔離されました。私が訪れた韓国の療養所でもハンセン病患者・回復者は、他の地域と同様に非常に厳しい生活を強いられていました。彼らは社会から完全に隔離され、人としての尊厳を奪われ、息をひそめてひっそりと暮らしていました。

私は、その時、初めて彼らのような人々がいることを知りました。世の中から隔離され忘れさられている人々。差別を恐れて声をあげられない人々。長年社会から隔離され、声をあげることすら諦めてしまっている人々。私は彼らの苦しむ姿にいてもたってもいられませんでした。

1980年代、ハンセン病との闘いを大きく前進させる出来事がありました。それがMDT(Multidrug therapy)という効果的な治療法の開発です。これによってハンセン病は治る病気となりました。早期発見と適切な治療により、今やハンセン病は、目に見える障害が現れる前に治るようになりました。さらに、1991年のWHO総会では、ハンセン病の患者数を人口10,000人あたり1人以下に減らすという公衆衛生上の具体的な目標が設定されました。この明確な目標設定により、各国政府、NGOやその他のステークホルダーが一丸となってこの問題に取り組むことになったのです。私たち日本財団はMDTを全世界に5年間無料配布するイニシアチブをとり、その結果、ここ20年間で約1,600万人のハンセン病患者の病気が治癒しました。

私は、多くの患者の病気が治癒すれば、ハンセン病患者・回復者に対する不要な隔離政策は廃止され、ハンセン病に対するネガティブなイメージが払拭され、長年の苦しみから解放されるのであろうと期待していました。

しかしながら、私が各国で目の当たりにしたのは、その期待とは大きく異なるものでした。隔離政策が廃止されたのにもかかわらず、彼らは未だにコロニーや療養所で暮らすことを余儀なくされていたのです。学校に通ったり、就職したり、公共の乗り物に乗ったり、ホテルやレストランを利用したりといった多くの人々にとって当たり前のことができていませんでした。

この現実に直面して、私は韓国の療養所で初めてハンセン病患者・回復者に会った時のことを思い出しました。そして、当時、聞き逃していた彼らの「沈黙の声」に気付き、ハンセン病を取り巻く問題の本質を理解したのです。つまり、ハンセン病を医療面で解決するだけでは、彼らの奪われた尊厳を回復するには十分ではなく、何世紀にもわたって社会とハンセン病患者・回復者の間に張り巡らされた「目に見えない壁」を壊すことはできない、ということに気付いたのです。そして、この気付きは、私を新たな道へと導きました。

2003年に、ハンセン病患者・回復者に対する差別について、彼らの「沈黙の声」を世の中に届け、社会の関心を促すために、ジュネーブの国連人権高等弁務官事務所にこの問題を人権問題として訴えました。そして、各国政府、NGO、ハンセン病患者・回復者組織等に、ハンセン病患者・回復者に対する社会の不正について関心を高めてもらうべく訴えかけました。そして、7年にも及ぶ関係者のたゆまぬ努力により、2010年12月21日、「ハンセン病差別撤廃決議」が国連総会の総意をもって採択されました。同時に、各国政府等が、「ハンセン病患者・回復者及びその家族に対する差別を撤廃するための原則及びガイドライン」に十分な考慮を払うことが促されました。

採択された原則はハンセン病患者・回復者とその家族の尊厳、基本的人権と自由を謳っています。そして、ガイドラインは、各国の取組むべき個別具体的な指針を示しています。具体的には、差別的な法律や制度の撤廃や全ての出版物から差別的な言葉を取り除くこと、ハンセン病患者・回復者に対するヘルスケア、社会参加を促進することなどについて明記されています。

ここインドにおいても、ハンセン病を理由に離婚を言い渡されたり、選挙への立候補が禁止されたり、公共の乗り物への乗車を拒否されたり、運転免許証の取得が認められなかったりということがあります。こうした現存する規制や法律が、この偏見を助長させています。法令集に掲載されている古い法律が、ハンセン病回復者とその家族に対する偏見や差別を煽り立てているのです。

国連決議に対する社会の認識を高め、同時に各国政府が原則及びガイドラインを適用するため、私たち日本財団は世界の5つの地域で国際シンポジウムを開催しています。

これらの活動は、ハンセン病に対する社会の意識を変えていくことを目的としています。しかし、何世紀にもわたる無知や誤った認識によって引き起こされたスティグマや差別を社会から完全に取り除くのは大変困難なことです。長きにわたり、ハンセン病患者・回復者と社会を隔ててきた高くて厚い壁を壊すためには、両側から壁を壊していくことが必要不可欠です。そのために、ハンセン病患者・回復者はこれまで様々な努力をしてきました。私たちの人材育成プログラムから勇敢なリーダーが誕生し、社会におけるハンセン病患者・回復者のための正当な立場を取り戻すため立ち上がっています。日本財団が設立支援したインドのハンセン病回復者組織であるナショナルフォーラムもその一例です。このハンセン病コロニーの全国的ネットワークは、回復者の社会的・経済的エンパワメントやスティグマと差別を撤廃するための啓発活動に取り組んでいます。

このような活動や社会の異なるセクターからの支援は、緩やかではありますが、確実にハンセン病患者・回復者に対して良い意味での変化をもたらしています。

しかし、スティグマや差別の「壁」が完全に壊れる兆しはまだ見えていません。壁を壊すには、より一層、社会の側から働きかけることが必要です。

皆さんが毎年率先してハンセン病療養所を訪問され、積極的に活動されていることを私は非常に嬉しく思っています。皆さんが訪問することによって、療養所で暮らす人々は、大変勇気づけられているでしょう。訪問することに加えて、皆さんのご友人やご家族に、ハンセン病を取り巻く問題について、発信していただきたいと思います。皆さんの活動や情報発信によって、少しずつ社会の意識が変わっていくことを期待しております。

ここにいる皆さんは、これから将来にわたって環境問題、貧困、民族紛争、ジェンダー、などそれぞれの専門分野でご活躍されるでしょう。皆さんが取り組もうとしている世界の課題はどれも複雑で、解決が困難なことが予想されます。上手くいくのではないかと思っても失敗することもあるでしょう。私も様々な問題に取り組んできましたが、失敗することや期待通りにいかないことも多々ありました。

しかし、その失敗や反省を通して問題の本質を学んでいった経験も多くあります。皆さんが失敗や反省から問題の本質を捉え、さらに挑戦し続けることで、世界の困難な課題を解決するリーダーになっていくことを願っております。

Sylffフェロー皆さんの益々のご活躍とジャダプール大学の発展を心より祈念しています。ご清聴ありがとうございました。