ヨーク大学名誉学位授与式

英国・ロンドン

ブライアン・カンター学長、スルタン・バラカット教授、会場の皆さま、この度、創立50周年を迎えられたヨーク大学から名誉学位を授与いただきましたことを心より光栄に思います。

先ほどバラカット教授よりご紹介いただいた活動は、いずれをとりましても、多くの方々のご協力なしにはできないことばかりです。ですから、この名誉学位は、高い志を持って一緒に取り組んできた皆さまとともにいただいたものだと思っております。

バラカット教授と私は、ヨルダンのハッサン・ビン・タラール皇太子とともにつくったWANA(西アジア・北アフリカ)フォーラムというプロジェクトを通じて、交友を深めてきました。戦後の再建に関わる分野における先駆者であるバラカット教授がWANAフォーラムに参加してくださったことは非常に心強いことでした。また、バラカット教授のご指導のもと、ヨーク大学が戦後の再建と発展に関して、世界的にも最先端の研究業績をあげられていることに非常に感銘を受けております。

さて、本日、ヨーク大学を卒業する皆さん、そしてご家族の皆さま、本当におめでとうございます。皆さんの輝かしい門出を共にお祝いできますことを、私も大変嬉しく思います。

私は今月74歳になりました。きっと皆さんのおじいさんと同じくらいの年齢かもしれませんね。ただ気持ちだけは、若い皆さんに負けないつもりでいます。

実は私が皆さんの年の頃は、とにかくビジネスで成功することを夢見ていました。私に転機が訪れたのは今から40年ほど前、韓国のハンセン病のコロニーを訪れた時のことでした。彼らは、ハンセン病を理由に社会から強制的に隔離され、息をひそめてひっそりと暮らしていました。その時、初めて彼らのように世の中から忘れ去られている人々がいることを知りました。そして、彼らの「沈黙の声」は、誰かが彼らの声の代弁者にならなければ、決してどこにも届くことなく、消えてしまうのだと思うと、いてもたってもいられなくなりました。

当時の私はビジネスも順調で、やりがいも持っていました。正直なところ、この道を捨ててしまうことは、非常に勇気のいることでしたし、苦悩しました。しかしながら、彼らの力になりたいという強い想いを胸に、ハンセン病制圧活動という新たな一歩を踏み出したのです。

それ以来、私はハンセン病患者・回復者の声なき声を社会に届ける活動を続けています。また、ハンセン病に限らず、アフリカの貧困地域に住む人々など、同じように声をあげられない人々の声を聞き、その声を社会に届けることを使命として活動しています。

私たちは、自分の耳で聞こえるものや目に見えるものだけを現実に存在するものであると思いがちです。しかし、このような「沈黙の声」は、聞こえないから存在しないのではなく、聞こうとする意思がなければ、私たちには届かないのです。

本日から、皆さんはそれぞれの道を歩んでいかれます。皆さん一人ひとりが周囲の「沈黙の声」に耳を傾けることで、より良い世界をつくることができると私は信じています。