Sylffラトビア大学国際式典

ラトビア・リガ

私がはじめてラトビアを訪れたのは、2002年の「笹川良一ヤングリーダー奨学金(Sylff: The Ryoichi Sasakawa Young Leaders Fellowship Fund)プログラム」設置記念式典の時でした。本日、ラトビア大学を再訪し、これまでのSylffプログラムの発展を知ることができ大変嬉しく思います。

Sylffプログラムは、世界の困難な課題に取り組み、人類に平和や幸福をもたらせるようなリーダーを育てることを目的に設立されました。ここ、ラトビア大学では、毎年優秀なフェローが輩出され、様々な専門分野において活躍していると伺い、大変嬉しく思います。

本日は、この機会に、私が生涯をかけて取り組んでいるハンセン病制圧活動を通じて学んだことを皆さんにお話ししたいと思います。

今から40年ほど前、おそらく皆さんが生まれる前のことですが、私は韓国のハンセン病療養所を訪れました。ハンセン病は世界中の病気の中で最も誤解され、古くから業病あるいは天刑病などと言われ、人々から恐れられてきました。その理由の一つは、発病した一部の人に皮膚の変色や顔や手足の変形といった特徴的な症状が現れ、人々に恐怖の念を抱かせたからであるといわれています。19世紀後半から、様々な国々で感染を防ぐための隔離政策が行われ、ハンセン病患者は家族から引き離されて孤島や遠隔地で暮らすことを余儀なくされました。ここラトビアでは、リガとタルシにハンセン病患者のための療養所があったと伺っています。私が訪れた韓国の療養所でもハンセン病患者・回復者は、他の地域と同様に非常に厳しい生活を強いられていました。彼らは社会から完全に隔離され、人としての尊厳を奪われ、息をひそめてひっそりと暮らしていました。

世の中から隔離され忘れされられている人々。
差別を恐れて声をあげられない人々。
長年社会から隔離され、声をあげることすら諦めてしまっている人々。

私は社会から見過ごされた人々を目の当たりにし、彼らの苦しむ姿にいてもたってもいられなくなりました。私は何をすればいいのかと自問自答しましたが、その時は、自分のすべきことがすぐには分かりませんでした。

1980年代に入ると、ハンセン病との闘いを大きく前進させる出来事が起こりました。それはMDTという有効な治療法の開発で、これにより、ハンセン病で苦しむすべての患者の病気を治癒することが可能になったのです。また、早期発見・早期治療により、目に見える障害が現れる前に病気が治るようになったのです。この動きが大きな後押しとなり、1991年にはWHOが公衆衛生上の制圧目標を掲げました。私たち日本財団は、一人でも多くのハンセン病患者の病気を治したいとの想いから、MDTを全世界に無料配布し、ここ20年間で1,600万人の病気を治癒することに貢献しました。

当時、私は多くの患者が病気を治癒することで、ハンセン病患者・回復者に対する不必要な隔離政策は廃止され、ハンセン病に対する偏見や差別も徐々になくなっていくだろうと期待していました。

しかし、私が世界各地で目の当たりにしたのは、それとは全く異なる光景でした。医療面での問題が解決したにも関わらず、ハンセン病患者・回復者は依然、社会から切り離された場所でひっそりと暮らしていたのです。そして、彼らの多くは、学校に通えなかったり、仕事に就けなかったり、さらには、公共の乗り物を利用することさえできずにいたのです。

私はこの現実に直面し、自分の考えが甘かったということを思い知らされました。つまり、ハンセン病を医療面で解決するだけでは、彼らの奪われた尊厳を回復するには十分ではなく、社会とハンセン病患者・回復者の間にそびえ立つ厚い壁を壊すことはできないことに気づいたのです。そして、この気づきは、私を新たな道へと導きました。

2003年、私はハンセン病に対する差別撤廃を訴えるために、ジュネーブの国連人権高等弁務官事務所の扉を叩きました。それから7年の間、この問題の重要性について各国政府、NGO、ハンセン病患者・回復者の協力を得て、国際社会に向けて繰り返し訴え続け、2010年、遂に「ハンセン病差別撤廃決議」が国連総会の総意をもって採択されたのです。そして、今も、世界中からハンセン病に対する差別をなくすための闘いは続いています。

これは私の人生の旅路です。ハンセン病以外にも様々な活動をしてきましたが、予想外や想定外の状況に直面することは多々ありました。むしろ、予想通りに進むことの方が少なかったかもしれません。しかし、私はこうした紆余曲折の中でも諦めずに試行錯誤を繰り返すことこそが、問題解決への打開策を見出す道へとつながっていると信じています。

これから、皆さんは幾度となく困難な問題に直面するでしょう。解決の糸口がなかなか見えないこともあるかもしれません。Sylffフェローの皆さんには、そういう時こそ、粘り強く挑戦し続けられるリーダーになってほしいと願っています。

Sylffフェローの皆さんの益々のご活躍とラトビア大学の発展を心より祈念しています。