アテネオ・デ・マニラ大学名誉博士号授与式

フィリピン・マニラ

ファーザー・ヴィラリン学長、ファーザー・クルズ副学長、羽田浩二日本大使閣下、ご列席の皆さま。

本日は、アテネオ・デ・マニラ大学に戻って来られ、大変嬉しく思います。私たちは長年のパートナーシップを組んで、未来のリーダーを育成してきました。この場にも、私たちの奨学生が参加されていて、再会できたことも大きな喜びです。本日は、特別な日です。私の生涯の仕事であるハンセン病制圧活動に対して、長年の良き仲間からこのような名誉博士号をいただきましたこと感謝申し上げます。

2007年にアテネオは世界にハンセン病のスティグマ(社会的烙印)と差別の撤廃を訴えるイベントに協力してくださいました。式典では、ハンセン病から回復した11歳の少女が、力強く「差別は決して正当化されない」と声をあげてアピールを読んでくれたことに感動しました。

今から40年前、私は、はじめてハンセン病の療養所を訪れ、ハンセン病患者たちに出会いました。彼らは、家族からも、社会からも捨てられてしまった人たちでした。彼らは、将来に対する夢も希望ないように見えました。私はこの時のことを決して忘れることができません。以来、ハンセン病とそれにまつわるスティグマと差別をなくすことが私の生涯の仕事となったのです。

今やハンセン病は有効な治療薬で治る病気となりました。そして早期発見、早期治療により障害も防ぐことができます。しかし、一度ハンセン病を患った人は、教育、雇用、結婚などの機会を奪われています。スティグマと差別は、永遠に彼らの中に残るのです。

この状況を変えるために、私はこれまで40年間で120の国と地域で活動してきました。長年にわたり、私と一緒に活動してくださっている皆さまのご協力に感謝申し上げます。

フィリピンのクリオン島では、歴史を保存するための資料館が建てられました。
ニューヨークの国連総会では、差別撤廃決議が全会一致で採択されました。
バチカンでは、ローマ教皇庁が、差別について考える国際会議を共催してくれました。

これらは、私のハンセン病との闘いのほんの一例に過ぎません。

本日、私はこれまで共に活動をしてくださった皆さまと、この名誉博士号をいただきました。そして今、残りの人生を捧げて、さらに精力的に活動しようと勇気付けられました。本日、アテネオ・デ・マニラ大学の式典の場に立てることを誇りに思います。皆さまには、引き続き、ご協力とご声援をいただけますようお願い申し上げます。

ありがとうございました。