バングラデシュ全国ハンセン病会議

バングラデシュ・ダッカ

シェイク・ハシナ首相、ザヒード・マレク保健大臣、シェイク・ファズール・カリム・セリム保健省常設委員会委員長、アシャドゥル・イスラム保健省次官、伊藤直樹駐バングラデシュ日本国大使、皆さま。本日は、バングラデシュにおけるハンセン病対策活動を推進するため、様々なセクターの方にご参加いただいたことを大変喜ばしく思います。

この会議は、今年2月にシェイク・ハシナ首相と面談した際に、ご賛同をいただいたことを受け、実現に至りました。このように国の指導者からの力強いコミットメントは大変心強く、嬉しく思います。

私はハンセン病を世界からなくすことをライフワークとして40年以上にわたり、世界中を飛び回わり、ハンセン病についての正しい知識を社会に広める活動をしております。

今やハンセン病は薬で治る病気となり、その薬も無料で配布されております。そして早期発見、早期治療により障害も防ぐことができます。

特に、子どもたちが、ハンセン病により苦難な人生を歩んできた悲劇をなくすために、子どもの段階で早期発見・早期治療に力を入れていくことが、何よりも重要です。

しかし、いまや簡単に治るのにもかかわらず、ハンセン病は恥ずかしい病気との誤解から、患者さん自身がハンセン病と診断されることを恐れてなかなかクリニックや病院に診察に行かないケースも多くあります。

そして、この病気の初期段階では皮膚に斑点が出る以外ほとんど自覚症状がないという特徴は、患者の診断を遅れさせてしまう要因の一つでもあります。

そのため、私は世界中で、テレビやラジオに出演して、家庭においてハンセン病の症状である白いパッチが身体にないかスキン・チェックをするよう啓発活動を行っています。

また、私たちは、社会が感染してしまったハンセン病に対する偏見や差別とも闘わなければなりません。

ハンセン病を理由に、家族から引き離されてしまった人、学校に通えなくなってしまった人、仕事を失ってしまった人。彼らは完治した後も、「元患者」というレッテルをはられ、差別を受け続けています。

私は、世界各地でこうした差別に苦しむ人々に数多く接してきました。ハンセン病は、単純な医療の問題だけではなく、人権問題でもあるということは明らかです。

ですから、私は、国連にこのハンセン病の人権問題を訴えることを決意し、2003年にはじめてジュネーブの国連人権高等弁務官事務所を訪問し、ハンセン病を人権問題として扱ってほしいと説明しに行きました。しかし、私が落胆し、驚いたことに、ハンセン病はこれまで一度も人権問題として認識されたことがなかったのです。

その最初に訪れた折に、国連人権高等弁務官事務所の職員に向けた説明会の機会を得ることができました。しかし、はじめての説明会にはたったの5人しか出席しませんでした。当時のハンセン病問題への関心の低さを物語る結果でありました。

しかし、私は決して諦めませんでした。7年もの間、ジュネーブの国連人権理事会の総会に足を運び説得した結果、ついに、2010年12月、国連総会で、ハンセン病の差別撤廃決議が全会一致で採択されました。

このようなハンセン病の病気とスティグマ、差別のない社会に向けた取組の中で、世界中のハンセン病の回復者の皆さまが、私たちの強力なパートナーとなりました。

ここバングラデシュでも、回復者の皆さまが、次世代の子どもたちに彼らが味わってきた苦労を経験しないように、このハンセン病をなくすための活動しよう、という強い想いを持って、全国から集まっていただきましたことに心から感謝を申し上げたいと思います。明日、バングラデシュでは初めてとなる回復者の皆さまによる全国規模の会議に参加するのを楽しみにしております。

最後に、バングラデシュ政府の力強いハンセン病対策プログラムにより、ハンセン病の患者数は減少傾向にあります。しかしながら、いまだに多くの新規患者が国内で発見されているのもまた事実です。皆さまにはさらなる活動を期待しております。

本会議での活発な議論を通じて、バングラデシュにおいて2030年までに「Zero Leprosy」を達成するための具体的な動きを加速させるように、お互いに協力していこうではありませんか。私たち日本財団、笹川保健財団も協力をおしみません。

本会議の成功と、本会議の成果が世界の他の国でもモデルとなるようになることを願っております。

ありがとうございます。