「ハンセン病の日」2020 式典
ハッシュ・バルダン保健・家庭福祉大臣、ササカワ・インド・ハンセン病財団タルン・ダース会長、インド工業連盟チャンドラジット・バネジー事務局長、ラジブ・クマール博士、デレク・ロボ博士、ご列席の皆さま。
本日1月30日は、マハトマ・ガンジーがハンセン病患者、回復者の社会への復帰と差別解消に生涯をかけて寄り添い取組んだ功績をもとに制定された「ハンセン病の日」です。この記念すべき日に、皆さまに再会し、お話しできる機会を得られたことを大変意義深く思います。
また、モディ首相の強いリーダーシップにより、インド政府は「2030年までにインドをハンセン病及びハンセン病にまつわるスティグマ(社会的烙印)のない国にする」という野心的な目標に向けて懸命な取り組みをされています。バルダン閣下をはじめとする保健・家族福祉省の皆さま、多くの関係者の皆さまのご尽力に改めて感謝申し上げます。
私が初めてハンセン病患者に出会ったのは、今から40年前、亡き父、笹川良一に伴って、ハンセン病の療養所を訪れた時のことでした。彼らはハンセン病が原因で、家族から捨てられ、社会からも隔離され、自由や希望をも奪われた人たちでした。私は大きな衝撃を受け立ちすくんでおりましたが、父は、重い障害のあるハンセン病患者の手を握り、言葉をかけ、抱きしめ、そして号泣しました。それは私が生まれてはじめて見た父の涙でもありました。彼らに真摯に向かい合う父の姿を見て、胸に熱い想いがこみ上げてきました。その時、私は人生を捧げて父の活動を引き継いでいかなければならないと決意したのです。
以来、世界各地で私のハンセン病とそれにまつわるスティグマと差別の闘いが始まりました。「現場」には、必ず問題点と解決策があります。私は、アフリカのジャングル、不毛の砂漠、アマゾンの奥地など世界中の僻地を訪ね、数え切れないほど多くのハンセン病患者、回復者に会ってきました。私は81歳になりましたが、この40年間で世界120の国と地域を訪問しました。
「一人でも多くの人にMDT(Multidrug Therapy:多剤併用療法)を届けたい」。私は、多くの現場を訪れ、患者に会う中でこのような想いにいたりました。この想いから、日本財団は5000万ドルを拠出して、MDTを全世界で1995年から5年間無償配布致しました。その間、332万人の患者が治療されました。2000年以降は、ノバルティス製薬が協力してくださり、今もMDTの無償配布が続けられています。
私は、病気さえ治れば全てが解決すると単純に思っていました。しかし、私は間違っていました。当初思い描いていたのとは全く違った状況だったのです。薬は無料なはずなのに、全ての患者が治療したというわけではありませんでした。更には、発見されていない患者も数多くいました。なぜなら、ハンセン病に対して深刻な差別があったからです。
彼らは、ハンセン病というだけで、学校に行けなくなり、また仕事を失うといった差別に苦しんでいました。差別を恐れ、治療を受けずにいるうちに症状が進んでしまっている人も多くいました。私は、ハンセン病は、単純な医療の問題ではなく、社会が感染してしまったスティグマや差別という人権問題であることを認識しました。
ですから、私は、国連にこのハンセン病の人権問題を訴えることを決意しました。2003年にはじめてジュネーブの国連人権高等弁務官事務所を訪問し、ハンセン病を人権問題として扱ってほしいと説明しに行きました。しかし、私が落胆し、驚いたことに、ハンセン病はこれまで一度も人権問題として認識されたことがなかったのです。
その最初に訪れた折に、国連人権高等弁務官事務所の職員に向けた説明会の機会を得ることができました。しかし、はじめての説明会にはたったの5人しか出席しませんでした。当時のハンセン病問題への関心の低さを物語る結果でありました。
しかし、私は決して諦めませんでした。7年もの間、繰り返しジュネーブに足を運んだ結果、国連人権理事会の「ハンセン病の患者・回復者とその家族への差別撤廃決議」に結びつきました。そしてそれは、2010年12月に全会一致で採択された国連総会決議へとつながっていったのです。
私たちは、グローバル・アピールも実施しています。2006年から毎年実施しているグローバル・アピールも、このハンセン病に対する社会の差別やスティグマをなくすことを世界に訴える重要な取り組みの一つです。
グローバル・アピールの宣言文には、「ハンセン病は治る病気である」、「治療は無料である」、「社会的な差別をしてはいけない」、という3つのメッセージが含まれています。このメッセージをより多くの人たちに届けるために、宗教指導者や政治指導者をはじめ、経済界、法曹界、医師会など各界を代表する組織や個人と共同で世界に向けて毎年発信してきました。
そして、東京オリンピック・パラリンピックイヤーを迎える今年は、国際パラリンピック委員会がパートナーとなり第15回目のグローバル・アピールを先日東京から世界に向けて、共に発信いたしました。
ハンセン病との闘いは、このように多くの関係者の皆さまのご尽力によって支えられています。その中でも特に、ハンセン病回復者協会、ササカワ・インド・ハンセン病財団の皆さまには、インドにおけるハンセン病制圧活動そしてハンセン病にまつわるスティグマと差別の解消に向けた長年にわたる取り組みにおいて、多大なるご協力をいただいております。
そして本日、バネジー氏とダース氏のご尽力により、インド工業連盟とササカワ・インド・ハンセン病財団の覚書が締結され、新たにインド工業連盟がこのハンセン病との闘いに加わって頂いたことに感謝申し上げます。インド工業連盟とササカワ・インド・ハンセン病財団が協力して、インドの企業に対してハンセン病に関する正しい知識の啓発活動を行うことで、ハンセン病回復者の雇用機会が一層拡充されることを期待しております。
「ハンセン病の病院を開設するときではなく、閉鎖するときに声をかけて欲しい」と言われたガンジーの強い想いを受け継ぎ、2030年までにインドをハンセン病及びハンセン病にまつわる差別のない国にするために、これからも共に力を尽くしましょう!
ありがとうございました。