Valuable500とのパートナーシップ発表

ビデオメッセージ

ポール・ポルマン・Valuable500代表、キャロライン・ケーシー・V500創設者、ジェフ・ドッズ・ヴァージン・メディア最高執行責任者。

日本財団は創設から50年以上にわたり世界各国で障害者支援を続けてきました。私自身もハンセン病の根絶をライフワークとして40年以上にわたり活動しています。障害者支援もハンセン病の病気そしてそれに伴う差別をなくすための支援もすべて、だれもが参加できるインクルーシブな社会を実現したいという想いからです。「現場には必ず問題と答えがある」という信念に基づく活動の中で、いくつか私が現場で経験したことをご紹介したいと思います。

かつて、ベトナムでは人前で手話を使うことは恥ずかしいという風潮があり、人が通りかかると手話を使うのを隠してしまうということを私は現場で何度も目にしました。手話を言語と考え、手話に誇りをもって生活できる環境を醸成するため、ろうの子供たちが小学校から大学まで一貫して手話で勉強できる学校を作ることで社会参加を促進し、今では大学教授も誕生しました。バイリンガルろう教育は今ではアジアに広く普及し始めています。ここまで20年かかりました。

また同時に、世界中のろう者が高等教育を受けるために直面している課題にも気付きました。そこで、アメリカのギャローデット大学やロチェスター工科大学において奨学金事業を立ち上げ、彼らの進学に必要な高等教育を提供することにしました。その結果、30年後の現在も活動を続けている多国籍ネットワークが誕生しました。

東南アジアでは地雷やテロ、交通事故により、手足を失った大勢の方に私は出会いました。彼らが生きる自信と夢を再び取り戻せるよう、東南アジア6か国で、世界水準の義手や義足を製作できる医療専門家を養成する大学コースを整備しました。今では多くの方が自分の体に合った義肢装具を受け取り、笑顔で新しい人生を歩みだすようになりました。30年かかりました。

世界中で聖書の時代からハンセン病に対する差別は苛酷を極めてきました。私はアマゾンの奥地から、時には険しい断崖に囲まれた絶海の孤島、灼熱の砂漠、そして時にはアフリカのジャングルまで、社会からの差別を逃れ生活しているハンセン病の患者・回復者を訪ねてきました。私はこの問題を国連総会で取り上げハンセン病の患者・回復者とその家族への差別撤廃の決議を得ました。しかし、40年以上続くこの差別との闘いはまだ道半ばです。

私は、人生の大半を「社会の主流から取り残された人々」を支える人道支援活動に充ててきた中で、一つの確信に至っています。それはマイノリティである当事者に対する支援と、政府や国連などの公的機関への働きかけだけでは社会は変わらないということです。社会の多数派が変わらなければ世の中は変わりません。福祉という観点ではなく障害者雇用の促進であるV500の取り組みは、世界中の大企業という社会の主流派を巻き込む初めての挑戦です。

障害者にとって社会に参加するとは、働くことであり、タックスペイヤーとなることです。働くことで才能が一層開花され、生きる自信と誇り、そして喜びに繋がります。多種多様な個性が自由闊達に議論され、活躍できるインクルーシブな職場環境。V500の取り組みは私の想いとも一致しており、日本財団がV500のグローバル・インパクト・パートナーとして協力できることを大変嬉しく思います。V500という新しいプラットフォームを最大限に活用し、インクルーシブな社会を目指す取り組み、即ち「ゲームチェンジャー」として皆さまと一緒により良い社会の実現を目指していきたいと心から願っています。

※本ビデオメッセージは、日本財団YouTube(外部リンク)にて視聴できます。