逆算の思考で描く将来のビジョン海外でも経験を積み、理想の店を作りたい
「ここで泣いていても、落ち込んでいても何にもならないと悟ったんです」そう語るのは、日本財団 夢の奨学金の9期生として、愛知調理専門学校で2年間学んだ平橋さん。現在は卒業制作に打ち込みながら、春から始まる寿司店での勤務に向けて準備を進めています。過酷な幼少期を過ごしながらも「逆算の思考」で自らの人生をプランニングし、将来は世界を見据える平橋さんにお話をお聞きしました。

泣いていても仕方ない、未来を見据えて逆算する
幼少期の平橋さんは、両親と過ごした時期もありましたが、居心地の良い環境ではなかったといいます。環境が激変したのは小学3年生の時。学校帰りに担任の先生に呼び止められ「今日はおうちに帰れない」と告げられます。突然、保護が必要な状況になり、他に頼れる身内もいなかったため、児童相談所に一時保護となったのです。
「急に家に帰れないと言われて、着替えも教科書も何も持たず、全く知らない大人や子どもたちの中で数カ月過ごしました。“何なのだこれは”という感じでした」
その後、一度は家に戻れたものの、小学4年生の時に再び児童養護施設へ入所。さらに中学2年生で親元に戻りましたが、進路を決める中学3年生の冬に再び施設へ戻ることに。このときは仲の良かった友人にも連絡ができず、後日再会した際には「生きていたの!心配したよ」と驚かれるほどの激動の環境変化でした。
施設では「なぜ自分がこんな目に遭うのか」と涙を流す日々が続きました。しかし、「1カ月ぐらいで悟りました。ここで自分が泣いていても、落ち込んでいても何にもならないと。親にはもう頼れない、本当に自分の力でなんとかしていかないとこの先何にもなれないと。そう思ってからは他の子たちの倍は頑張ったつもりです」
その苦しい時期に身に着けたのが「未来を見据えて逆算する」という考え方でした。自分は何になりたいのか、そのためにはどういうプロセスを踏み、どこの学校に行き、どれくらいのお金が必要かを逆算して、他の人より早く行動できるよう努めました。
周りの子がうらやましい時期もありましたが、「よそはよそ、うちはうち」と割り切り、施設の先生たちの導きのもと、道を外れることなく自分を律して生きてきたといいます。
「施設の職員は厳しい方々でした。私よりやんちゃな子どもたちを懸命に諫めている姿を見て、ここで悪いことはできないなと思いました。とはいえ、私が家庭のことで追い詰められて泣いたときには支えてくれました。ちゃんと話を聞いてくれるという安心感がありましたね。ネガティブなことを心に溜め込まずに吐き出せたのはありがたかったです」
「楽しさ」を重視して料理の道へ、意外な高校生活
中学3年生で進路を決めるとき、平橋さんは仕事にするならお金よりも「楽しさ」を重視したいと考えました。思い浮かんだのは、小学生の頃、親が夜不在だったために自分でチャーハンや麻婆豆腐を作っていた記憶でした。
「YouTubeを見て見様見真似でローストビーフを作ったこともあります。料理するのが楽しかったんです。その時のことがパッと浮かびました。」
料理の道へ進むと決めた平橋さんは、最初から調理師免許が取れる高等専修学校への進学を希望しました。しかし、施設長からは猛反対にあいます。
「普通の高校に行って青春してこい」と。しばらく粘ったものの希望は通らず、最終的には一番近くにあった高校の「セラミックアーツ科」への進学を決めました。
「陶芸メインで勉強できるコースで、ろくろを回したり、3Dプリンターで愛知県の地形を立体的なパズルにして出力したりしました。現在の料理の道に活かせているのかわかりませんが、美的センスを磨くという意味では無駄ではなかったと思います」と胸を張ります。
高校生活では施設長の言葉通りに青春も謳歌し、充実した3年間を過ごしました。

運命を変えた「夢の奨学金」と恩師のサポート
高3の時、大きな転機が訪れます。施設の担当職員が、日本財団の「夢の奨学金」を見つけてくれたのです。全国で15名という狭き門であることに躊躇しましたが、「やらないで後悔するよりやった方がいい」と応募を決意しました。平橋さんの施設では進学する生徒は少なく、前例がない中で、職員が懸命に寄り添ってくれました。
「とても親身になってくださる方で、今でもお会いします。応募の作文にアドバイスしてくださり、面接の練習にも何度も付き合ってくれました。書類が通って東京の最終面接に行くとなった時は、とても喜んでくれました」
見事合格の通知が届いた時は、施設中が大騒ぎになったと言います。
「本当にありがたかったです。毎月の生活に追い詰められながら学校に行く必要がなくなり、安心して通えます」
奨学金のおかげで金銭的な余裕も生まれ、食事の経験値も上がりました。現在では自宅で和食を作る際、カツオと昆布から85度付近で1時間かけてじっくり出汁を取っているそうです。
「粉末出汁は絶対嫌です(笑)。自分で出汁を取って作る味噌汁が一番おいしいです」と笑顔を見せます。
カンガルー肉に衝撃、海外を肌で感じたオーストラリア留学
専門学校に入学した平橋さんは、1年目に和洋中を均等に学び、2年目からは念願の日本料理を専攻しました。専門学校での日々は、すべてが初めての経験でした。
「入学して最初に自分専用の包丁を揃えた時、『絶対誰よりも、自分の顔が反射するくらいピカピカに研ごう』と意気込みました。最初は歪んでしまうこともありましたが、今でも無心になれる包丁研ぎが好きで、自分の道具が成長していく感覚を大切にしています」
1年生の冬には学校のプログラムを利用して、オーストラリアへ2週間の短期留学を経験しました。現地ではレストランで食事をし、現地の食材を学ぶことがメインでした。
「一番記憶に残っているのはカンガルーのお肉です。牛肉よりも柔らかくて臭みもなくて、お世辞抜きで一番美味しいと思いました」
一方で、現地のフードコートにあったお寿司屋さんを覗いた際、マヨネーズがたっぷり使われたいわゆるカリフォルニアロールを見て、「雑だな」と少し悲しい気持ちになったと言います。
「でも、現地の人はこういう味が好きなのだなと。海外の人にとってはこのコテコテな感じが定番なのだと気づきました」
将来は海外で働きたいという目標を持つ平橋さんにとって、海外の食文化やニーズのリアルを肌で感じられたことは、非常に大きな収穫となりました。

専門学校外では、アルバイト先の寿司店でも実践的な経験を積みました。今年の成人式を控えた時期には、アルバイト先で出会った友人の依頼で、40人分のパーティー料理を一人で考案し仲間と協力して振る舞うなど、プロ顔負けの企画力を発揮しています。
経営も学べるSNSを駆使した寿司店への就職
就職活動では、早々にホテルへの就職を選択肢から外しました。
「私の場合は、厨房で調理するだけの現場より、お客さんの顔が見えるお店の方がやる気が出ます。お寿司屋さんのように、カウンターで目の前にお客さんがいて、コミュニケーションを取りながら調理をするのが好きなのです」
就職先に選んだのは、名古屋近郊の春日井市にある個人経営の寿司店です。このお店に惹かれた理由は、大将の異色の経歴にありました。「大将は大学卒業後、税理士事務所や不動産営業を経て店を継ぎました。SNSとお寿司の組み合わせでビジネスを思いつき、TikTokに動画を投稿して海外からのインバウンド客をたくさん集めているんです。素晴らしい『逆算』だと思ってほれぼれしました」
面接の際には、「料理だけでなく、お店の経営や動画撮影のノウハウも教えてほしい」と直談判しました。外国人客の対応に向けて英語の勉強にも意欲を燃やしています。
平橋さんの視線の先には、壮大な夢があります。
「10年後、30歳ぐらいまでには海外で働きたい。そして日本に戻ってきたら、今の有名チェーン店に並ぶぐらいの美味しい寿司のチェーン店を作りたいです。質が高くて本当に美味しいお寿司を提供できるビジネスモデルを作りたい」と熱く語ります。

やりたいことがあるなら、恐れずに挑戦してほしい
夢の奨学金の交流会や活動報告会では、同じ境遇や異なる分野で頑張る仲間との出会いが大きな刺激になりました。
同じ愛知県出身の9期生とは「横のつながり」を深めました。面接会場ですれ違った時から運命的な縁を感じました。草津温泉での交流会では、ボウリングや雪合戦を楽しみました。
また、夢の奨学金の先輩との交流も忘れられないといいます。
「奨学金に応募した際、ホームページで先輩のインタビューを読み、『この方すごいな』と衝撃を受けました。成果発表会で彼を見つけた時は真っ先に話しかけて一緒に写真を撮りました。当時、日本料理か中華か、あるいは料理の先生になるかで進路に迷っていたのですが『焦らなくていい、君ならできる』という一言が心強かったです」
最後に、同じように夢に向かって歩む後輩たちへメッセージをもらいました。
「少しでもやりたいと思ったことがあるなら、絶対にチャレンジした方がいいです。『自分にはできない』『難しい』と思うよりも、先に行動に移すこと。その行動が、自分の人生を一番良くしてくれます。
「もし悩んでいることがあるなら、言葉にして周りの人に話してみてください。何かしらのアクションを起こさないと何も変わりません。そして、自分の夢に向かって、ざっくりでかまわないので『逆算』してみてほしいです。私は『料理人になりたい』なら『学校に行かないと』『そのためには学費を稼がないと』と、メモに書き出すことで、今やるべきことが見えてきました」
自らしっかりと考えて道を切り拓いてきた平橋さん。彼が創り上げる、世界を見据えた新しいお寿司の世界に出会える日は、そう遠くない未来にやってくるはずです。