日本財団職員による現地レポート:令和8年熊本地震支援(10月21日)

令和8年熊本地震の発災から2カ月余りが経過した10月4日、熊本県氷川町の公民館に暫定的に設置されていた福祉避難所は、その役割を終え、閉鎖されました。
発災直後から、高齢者や障害のある方など、避難生活に特別な配慮を必要とする方々を受け入れ、被災者に「安心」を提供し、地域の暮らしを支えてきた避難所。

今回は、福祉避難所の運営を担ってきた「NPO法人スポーツクラブ・エスペランサ熊本」の活動を振り返りながら、一人ひとりに寄り添う災害支援の大切さをご紹介します。

最大約70人を受け入れた、地域の福祉避難所

地震の発生直後、氷川町の公民館には、避難先を求める住民が次々と集まってきました。
発災当初、この公民館は行政が指定した避難所ではありませんでした。しかし、電力が確保されていたこともあり、地域の方々が一人、また一人と集まってきました。やがて、高齢者や障害のある方など、避難生活に特別な配慮を必要とする方々も集まり、福祉避難所としての役割を担うようになりました。多い時には、70人近くが避難していました。

氷川町公民館の指定管理者であったことから、この福祉避難所の運営サポートを自主的に引き受けたのが、「NPO法人スポーツクラブ・エスペランサ熊本」です。

一人ひとりの状況に寄り添った、避難所運営の日々

避難所の運営は、決して容易なものではありませんでした。休日・夜間を問わず対応が求められ、同団体の光永誠司理事自身も、公民館に泊まり込みながら、避難者への支援を続けてきました。

特に苦労したことの一つが、食事の確保だったといいます。避難所には、お弁当が配給されていたものの、必ずしも全員が同じものを食べられるわけではありませんでした。「唐揚げなどはお年寄りの方が食べられず、対応に苦労した」と光永理事は振り返ります。
高齢者や障害のある方など、それぞれの健康状態や抱える事情によって、必要な支援は異なります。食事を届けるだけでなく、その人が実際に食べられるものなのか。安心して休める環境が整っているのか。避難者一人ひとりの状況に目を配り、必要な支援を考え続けました。

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高齢者や障害のある方など、それぞれの健康状態や抱える事情によって、必要な支援は異なります。
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発災直後で混乱していた当時を振り返る光永理事

避難所の閉鎖後も続く、地域の暮らしを取り戻すための支援

10月4日、公民館に設置されていた福祉避難所は、その役割を終え、閉鎖されました。しかし、避難所が閉鎖されたからといって、被災された方々の生活がすべて元通りになったわけではありません。

地域では、配慮が必要な方々を支える福祉施設の一部が今も被災したままです。住み慣れた地域を離れることに不安を抱く方々もいましたが、災害派遣福祉チーム(DWAT)の協力を得ながら、熊本市内などの福祉施設へと移っていきました。
これまでの活動を振り返り、光永理事は「やってよかった」と語ります。その一言には、休む間もなく避難者を支え続けてきた日々の苦労と、地域の人々の力になれたという思いが込められていました。
福祉避難所としての役割はひとまず終わりましたが、住民から寄せられた公民館の復旧を望む声に応えるため、建物の修理や後片付けに奔走しています。

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シフト表や支援物資が福祉避難所として使用されていた時を物語ります
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住民が避難生活を送っていた体育館

誰もが安心して暮らせる地域を取り戻すために

災害時、誰もが同じように避難できるわけではありません。
年齢や障害の有無、健康状態によって必要な支援は一人ひとり異なります。だからこそ、一人ひとりに寄り添い、安心して生活を続けられる環境を整えることが重要です。氷川町の福祉避難所で続けられた支援は、その大切さを改めて教えてくれます。
避難所の閉鎖は、支援の終わりではありません。地域の暮らしを取り戻し、住民が再び安心して集える場所を取り戻す事も災害からの復興に欠かせない一歩です。

日本財団では、皆さまからお寄せいただいたご寄付を活用し、被災された方々の多様なニーズに寄り添う、地域に根差した支援活動を後押ししていきます。

被災された方々が一日でも早く安心した生活を取り戻せるよう、引き続き皆さまの温かいご支援を心よりお願い申し上げます。