熱海土石流災害で、地元消防士はなぜ災害ボランティア活動をはじめたのか

写真:IRON WORKS肥田義光さん。画面右下に「皆様のおかげで今の熱海があります IRON WORKS副会長 肥田義光」の文字
IRON WORKS肥田義光さん

2021年7月1日未明から2日間にわたり、東海地方・関東地方南部で大雨が降り続きました。そして、3日の午前10時30分頃、熱海伊豆山地区で土石流が発生。死者27名、全壊した住宅が53棟。稀に見る大規模な土石流災害となりました。

家屋の土砂出し、瓦礫や倒木の撤去など、現地の復興に向けて尽力するボランティア団体の中でも要となった存在が地元・熱海の消防士の有志により結成されたIRON WORKSです。災害の発生から復興までの道のりで、地元ボランティアチームの彼らは何を感じ、どう行動したのか。IRON WORKSの肥田義光さんにお話を伺いました。

目の前まで迫ってきていた土石流

熱海の土石流災害から1年以上が経過しました。IRON WORKS・肥田さんにお話を伺ったのは被害のあった伊豆山地区の高台にある熱海の災害ボランティアセンター。センターからは被災現場の現在の様子が一望できます。

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被災地の現在の様子。まだ整地している途中の場所も

土石流が通った後は、土砂や瓦礫は撤去されているものの、まだ地面がむき出しのまま。「支援感謝」と書かれた横断幕が下げられたビルも土がこびりつき、窓ガラスはまだ割れたままです。その様子からは災害の爪痕の深さが感じられます。

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倒壊を免れたビルには、まだ土砂がこびりついている

土石流が発生した7月3日、肥田さんは当直明けで午前8時30分頃に帰宅。仮眠をとり、ふと10時過ぎに目が覚めると、消防署から「土石流が起きた」という連絡がありました。

「直前にも熱海の別のエリアで小規模な土砂災害があったんです。線路横の花壇が雨で流された程度で。話を聞いた当初はまたそこが決壊したのかな、くらいにしか思っていませんでした。でも登庁して、人が埋まっているという情報を聞いて。すぐに支度をして既に集まっていた5名ほどのメンバーで出動しました」(肥田さん)

写真:IRON WORKS肥田義光さん。

現場に到着した肥田さんを待っていたのは見たことのない惨状でした。

「現場付近にある消防団の詰め所の1階が埋まっていました。これはやばいな、と。もう頭が真っ白な状態でした。その詰め所の下にアパートがあるのですが、そこに人が埋まっているという情報があったので、とにかく助けに行こうと思った矢先、上から再び大きな土石流が来て、すべてをさらっていってしまったんです。
凄い音がして、とにかく逃げようと坂を下りました。やっと土石流が止まったと思い振り返ってみたら、もうあと5メートルくらいのところまで、人の2倍くらいの高さの土が迫っていました。それからしばらくは放心状態で、体の震えが止まりませんでした」(肥田さん)

「自分たちに何かできることはないか」という想いから災害ボランティアへ

大災害へと発展した土石流。またいつ土石流が起こるかわからない状況は続きました。予断を許さない緊迫した状況での救助活動に、自衛隊や緊急消防援助隊が各地から駆けつけます。地元・熱海の消防隊員は後方支援に回ることになります。

「まだ行方不明者もいましたし、消防士として現場へ行きたいという気持ちはもちろんありました。でも、後方支援する立場の自分たちが勝手に行動することはできません。
自分たちに何かできることはないか。仲間で話し合っていると、同じ消防隊員の矢野が、ボランティアという手段がある、と提案してきたんです」(肥田さん)

肥田さんたち、地元消防のメンバーは2021年4月からIRON WORKSとして、有志でロープレスキューなどの消防・救助活動の訓練・研究活動を行っていました。若い消防隊員を中心に約20名。彼らはIRON WORKSとして地元の災害復興のためのボランティアに参加すること決めます。

そして、IRON WORKSは、災害ボランティアのコーディネーションをしていたOPEN JAPANと合流。コロナ禍であったために熱海市外からのボランティアを制限しなければならない状況だった当時、地元消防隊員たちは心強い存在でした。家屋の土砂出しや瓦礫の撤去、半壊した家屋からの貴重品の取り出しなど、さまざまな作業を行います。

写真:IRON WORKS肥田義光さん。

「私たちは消防士なので、ボランティアの中でも危険がありそうな場所や重機を使った作業などを担当していました。消防隊員の仕事は二部制で、誰かが仕事だったら誰かが休みなので、ほぼ毎日、私たちのチームのメンバーが入れ替わりでボランティアに参加できるようにしていました」(肥田さん)

7月半ばから12月までの約半年間、毎日ボランティア活動をしていたIRON WORKS。その半年の間に土砂だし57件、家屋養生固定23件、倒木処理7件、その他にもさまざまな現場で活躍をします。その中にはこれまで訓練していたロープレスキューが活かされた場面も。

「『支援感謝』という横断幕が掲げられたビルの土砂出しの際には、ロープを使って活動しました。一階部分が土砂で埋まっていて、それを2階部分の穴からロープを使って降りて──。正直、一番大変な現場でしたね」(肥田さん)

災害ボランティアにはゴールがない

土石流の発生から1年以上が経過しました。しかし、肥田さんは「復興には時間がかかる」ことを実感しているそうです。

「消防士の仕事はゴールが決まっているんですよね。火を消したり、救助できたら、そこがゴール。でも災害ボランティアにはゴールがありません。被災者の方たちの立場になれば、『もっとこうしないと』というのは当然あるわけで。
家屋の再建や再開発などの工事も、もちろん時間がかかると思います。でも、一番は気持ちじゃないですかね。被災者の方たちの気持ちは、なかなか戻らないのかなと思います」(肥田さん)

日本財団へ皆さんから寄せていただいた災害復興支援金の一部は、IRON WORKSの活動に充てられています。重機免許の取得、チェーンソー・エンジンカッターなどの備品の購入など、ボランティアに必要なさまざまな費用に使っていただきました。

また災害復興支援金はIRONWORKSさんだけでなく、熱海の災害ボランティアで活動したOPEN JAPANをはじめとするさまざまな団体にも使われています。

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IRON WORKSのメンバー

最後に肥田さんから寄付者の皆さんへ、メッセージをいただきました。

「私たちの活動もそうですが、寄付を通じて、日本財団さん、OPEN JAPANさん、DRTさん、DEFさんなどの災害ボランティア団体も活動することができて、熱海に来てくださいました。それがなかったら、本当にここまで復興は進んでいなかったです。OPEN JAPANさんがボランティア活動をコーディネーションしてくださったから、私たちも活動することができました。本当に寄付のおかげで、今の熱海があるんです。ありがとうございます」(肥田さん)