ミャンマー支援プログラム

写真:ミャンマーの子供たち

1976年にハンセン病患者への医療支援活動を開始して以来現在までに、日本財団はミャンマーで累計約70件の支援プロジェクトを実施。2011年以降は民主化の動きに合わせ平和構築支援等さらに活動を強化しています。

日本財団とミャンマー

日本財団は1976年に、笹川保健財団とともに、WHOを通じて、ミャンマーの保健省と協力してハンセン病制圧のための支援を始めました。軍事政権の時代も人道援助を続け、ミャンマーの人々と信頼関係を築いています。

これまでの主な活動

ハンセン病対策活動

日本財団は笹川保健財団とともに、1976年にミャンマーに対するハンセン病対策活動を開始、保健省を通じた薬品器材の供与など、医療面での支援を中心に行ってきました。86年には国際的にハンセン病の効果的な治療法として認められている多剤併用療法を導入、1960年代には人口1万人あたり250人とされたハンセン病患者数が、1990年には1万人あたり27・6人にまで減少。2003年に患者数は人口1万人あたり1人以下となり、ハンセン病の制圧を成し遂げました。制圧後は、定着村の患者や回復者の子どもたちに対する教育支援等にまで活動を広げています。

学校建設支援

軍事政権下で国際的にミャンマーが孤立する中でも、ハンセン病に対する活動を継続していた日本財団は、同国政府から学校建設に関する要請を受けました。教育環境の整備が遅れていた少数民族居住地域の一つシャン州で、校舎を建設するだけでなく、地域住民の協力により継続して学校を運営するための事業を同時に行う支援プロジェクトを2002年から開始しました。2012年からはバングラデシュと国境を接するラカイン州、2013年からはサイクロンの被害が多いエーヤワディ管区で、シャン州と同様に持続的な学校運営と地域開発を目指した学校建設支援行い、これまでに460校の学校を建設しました(2018年2月現在)。

写真:学校に入っていく子供たち

なぜ、ミャンマーへの支援が必要か

人口の約7割を占めるビルマ族以外に、130以上の少数民族が暮らすミャンマーでは、長い間民族間の対立が続いてきました。民主化後も緊張状態が残り、生活環境の整備が遅れている地域もあります。

ミャンマーを取り巻く地理的状況

ミャンマーはインドシナ半島の西部に位置し面積は約68万平方キロメートル(日本の約1.8倍)。西側から時計まわりに、バングラデシュ、インド、中国、ラオス、タイと国境を接しています。古くからベンガル湾沿いの大都市ヤンゴンを中心に発展してきましたが、2006年に中部のネピドーに首都機能を移転しました。
2014年9月現在、人口は約5141万人。その大半がビルマ族です。公用語はミャンマー語ですが、少数民族はそれぞれ独自の言語を伝えています。国民の約90%が仏教徒です。
主な産業は農業で、国土を縦断する大河、エーヤワディー(イラワジ)川流域を中心に盛んに稲作が行われています。2012年の国際連合食糧農業機関(FAO)「FAO統計データベース」によれば、コメの生産量は3300万トン(モミつき)で世界第7位。ちなみに日本は10位。

ミャンマーの歴史

9世紀頃までに現在ミャンマーで暮らす各民族が流入。諸部族が割拠する時代を経て11世紀半ばに、ビルマ族による最初の統一王朝パガン朝が成立しました。エーヤワディー川中流域の古都パガンには当時建設された仏塔が数多く残っています。
13世紀、モンゴル軍によりパガン王朝が倒れ、再び諸民族の分立時代となりますが、16世紀にビルマ族による王朝が再統一しました。
1886年に英領インドに編入されました。その後、第二次世界大戦の激化に伴い1940年代から日本軍が進出。北部ではインパール作戦、南部では泰麺鉄道建設が行われるなど、影響はミャンマー全土に及びました。
終戦後の1948年、ビルマ連邦共和国として英連邦から独立しました。日本とは1954年に「日本ビルマ平和条約」が結ばれ、正式な国交が始まりました。
1962年、軍部出身のネ・ウィン議長によるクーデターが発生、社会主義的な政策を推し進めましたが、1988年、民主化運動により退陣。しかし、その後、激化した民主化要求デモを鎮圧した国軍が政権を掌握し、長く軍事政権が続きました。
2010年11月、総選挙が実施され、翌2011年3月には軍事政権から新政府に政権が委譲され、テイン・セイン大統領が就任。民主化に向けてスタートが切られました。

写真:ミャンマーの市街地

民主化への歩みと課題

2011年3月に、テイン・セイン氏を大統領とする文民政権が発足、民政移管が実現しました。テイン・セイン政権は、民主化・経済自由化・国民和解の3つを柱とした改革を推進。特に国民和解については、ミャンマーの民主化・安定的な発展には不可欠な要素と位置づけ、1948年の独立以降対立が続いていた少数民族武装勢力らとの対話を通じた和解に尽力し、2015年10月にミャンマー政府と8つの少数民族武装勢力らとの間で全国停戦合意がなされました。

2015年11月に実施された総選挙では、アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が勝利し、2016年3月末に新政権が発足。新政権は、引き続き確固たる民主主義の構築に向けて、経済発展や国内和平、法の支配に積極的に取り組んでいます。

しかし、依然として少数民族居住地域では生活のインフラ整備の遅れ、経済面、教育面などの格差、長引く内戦により故郷から離れざるを得なかった人々の帰還・再定住問題など、課題も多く残されています。

写真:少数民族居住地域

支援実績

ミャンマーにおいて保健衛生、障害者支援、教育人材育成、紛争被害者支援など、さまざまな分野における活動を行っています。

保健衛生分野

ミャンマー保健省と協力し、現地の伝統医療を生かした医療サービスの普及を中心に、さまざまな活動を行っています。

障害者支援

他国での活動実績を踏まえ、障害者が社会に参画できるようにサポートするという方針のもと、新しい支援の仕組みを準備しています。

教育人材育成

シャン州、ラカイン州、エーヤワディー地域で、住民と協力して建設後も継続して学校を運営できるような学校建設プロジェクトを実施しているほか、公共の分野で活躍する人材の育成を支援しています。

紛争被害者支援

外務省資金等を活用しながら、ミャンマー国内の少数民族地域における紛争被害者に対して食糧支援、住居建設等の復興支援を実施しています。

関連リンク

災害支援

ミャンマー国内のサイクロン被害者に対して食糧などの援助を行っています。

その他の事業

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