「グローバル・アピール2020」参加登録受付中パラアスリートやアーティストと「ハンセン病差別撤廃」を訴える

日時:2020年1月27日(月)
場所:ANAインターコンチネンタル東京(東京都港区赤坂1-12-33)
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2015年開催時の様子

パラリンピック招致年となる2020年、日本財団は国際パラリンピック委員会と共にハンセン病差別撤廃を訴えます。

世界では今もなお、多くのハンセン病患者、回復者及びその家族が、社会からの偏見や差別によって、教育や結婚、就職などの機会を制限されることがあります。日本財団は、このような差別をなくそうと、2006年から毎年「世界ハンセン病の日」(毎年1月の最終日曜日)に合わせて差別撤廃を訴える「グローバル・アピール」を発表しています。過去にはノーベル平和賞受賞者、宗教リーダーや人権擁護団体など様々な分野の代表者らから賛同を得て開催され、このたび第15回目となる「グローバル・アピール2020」宣言式典では、【共生社会の実現】をテーマに、国際パラリンピック委員会、池透暢選手(車いすラグビー日本代表)らパラアスリートと共に宣言を行うほか、全盲のシンガーソングライター木下航志、パラアスリートでバイオリニストの伊藤真波による音楽パフォーマンスも行います。

また、式典前には「『違う』を当たり前に」と題したラウンドテーブルディスカッションも別途開催。いずれも入場は無料です。皆様のご参加をお待ちしております。

開催概要

第15回グローバル・アピール2020
~ハンセン病患者と回復者に対する社会的差別撤廃に向けて~

グローバル・アピール2020宣言式典

日時 2020年1月27日(月)17:00~18:30(受付:16:00開始)
場所 ANAインターコンチネンタル東京 プロミネンス(B1フロア)
  • 車いす専用駐車場あり(B2、B3フロア)
主催 日本財団
賛同団体 国際パラリンピック委員会
協力 日本財団パラリンピックサポートセンター
プログラム
  • 17:00~ オープニング、主催者挨拶
  • 17:20~ 来賓挨拶
  • 17:55~ アーティストによる音楽パフォーマンス
  • 18:10~ グローバル・アピール宣言
  • 日本語手話、日英同時通訳付き

グローバル・アピール2020 ラウンドテーブル ~「違う」を当たり前に~

日時 2020年1月27日(月)14:30~16:00(受付:14:00開始)
場所 ANAインターコンチネンタル東京 ギャラクシー(B1フロア)
主催 笹川保健財団
後援 人権教育啓発推進センター
協力 日本財団パラリンピックサポートセンター
プログラム
  • 14:30~ オープニング挨拶
  • 14:35~ 基調講演
  • 14:45~ ディスカッション
  • 15:30~ 質疑応答
  • 15:50~ クロージング挨拶
  • 日本語手話、日英同時通訳付き

グローバル・アピール2020 登壇者・参加アスリート・アーティストプロフィール

木下 航志(シンガーソングライター)

写真:木下 航志

和製スティービー・ワンダーこと木下航志は未熟児網膜症の為、生後一か月で失明。2歳からピアノをスタート。10歳の時NHKのドキュメンタリーTV番組にて紹介される。14歳で再びNHK「木下航志14歳の旅立ち」で紹介される。2005年愛・地球博EXPOのジャパンウィークに参加。2006年デビューアルバム「絆」をリリース。2009年国連本部にてパフォーマンを行う。2017/18年パラフェス、パラ駅伝でパフォーマンスを行う。現在まで3枚のミニアルバム、2枚のフルアルバム、3枚のシングルをリリースしている。

伊藤 真波(バイオリニスト、パラリンピアン)

写真:伊藤 真波

看護学生だった20歳の時バイク事故に遭い右腕を切断する。引きこもりの人生を覚悟したが、幼少期からの夢だった看護師の夢を諦めきれず立ち上がる決意をし、看護師の道をもう一度歩み始める。看護師と働く傍らリハビリとして泳いでいた水泳を本格的に取り組み2008年北京・2012年ロンドンパラリンピック競泳日本代表となる。また幼少期の習い事であったバイオリンを再開する。10年程前に多くの人達の力を借りバイオリン専用の義手製作に取り組む。試行錯誤し未だ完成していない義手だが、多くの人達の愛が込められている義手を使ってのバイオリン演奏を披露する。

池 透暢(車いすラグビー日本代表)

写真:池 透暢

19歳の時に交通事故に遭い、全身に大やけどを負う。一命はとり止めたが、左足を切断し、左手は感覚を失う。右足も曲げることができなくなる。交通事故で亡くした友人を思い、「生かされた証」を残そうと、中学時代にバスケットボール部員だったこともあり、車いすバスケを始める。2012年にウィルチェアーラグビーへの転向を決意。2013年、日本代表の合宿に呼ばれ、主力として活躍するようになる。翌14年、日本代表のキャプテンを務め、2016年にはリオデジャネイロパラリンピックで史上初の銅メダルを獲得。2018年、8月の世界選手権では初優勝を達成。2020年東京パラリンピックでの金メダル獲得に大きな期待が寄せられている代表チームの大黒柱。

ドゥエーン・ケール(国際パラリンピック委員会 副会長)

写真:ドゥエーン・ケール

1996年夏季パラリンピックで銀メダルと銅メダルとともに4つの金メダルを獲得したニュージーランドのパラリンピック水泳選手。2008年、2012年に夏季パラリンピックのニュージーランドパラリンピックチームのミッションシェフを務める。2013年国際パラリンピック委員会運営委員会のメンバーに選出され、副会長を務める。

森 和男(全国ハンセン病療養所入所者協議会会長)

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9歳になる前にハンセン病を発症し、同じくハンセン病を発症していた姉、キヨコさんとともに大島青松園に入所。長島愛生園内にある岡山県立邑久高等学校・新良田教室を卒業後、大阪市立大学へ進学。大阪の商社に就職したが、体調悪化により1971年に大島に戻っている。大島青松園自治会「協和会」会長のほか、全国ハンセン病療養所入所者協議会(通称・全療協)会長も務める。

日本財団のハンセン病人権問題に対する主な取組み

ハンセン病は、紀元前の昔から人類を苦しめてきた感染症である。「天罰」、「遺伝病」であるといった誤った認識から、患者や回復者及びその家族までもが根強い偏見と差別の対象となってきた。
日本財団は、1960年代にこの病気に対する取り組みを開始し、1975年からは世界保健機関(WHO)が実施する「公衆衛生上の問題としてのハンセン病制圧」活動のパートナーとして、世界のハンセン病制圧に取り組んできた。1980年代にMDT(多剤併用療法:複数の薬剤を併用するハンセン病治療法)が開発されてハンセン病が治る病気となったこと、その後日本財団が治療薬の無償配布を行い(1995年~99年)、患者数が激減したことは、ハンセン病制圧の大きな転換点となった(2000年以降は製薬会社ノバルティスが治療薬の無償配布を現在まで引き継いでいる)。
1985年当時122カ国あったハンセン病未制圧国は現在では1カ国(ブラジル)に減少し、1,700万人以上の患者が治癒したが、一方、患者、回復者およびその家族に対する差別は、未だに深刻な問題として世界中に存在している。

  • 人口一万人につき患者数が一人未満となることを指す。

ハンセン病差別撤廃のためのグローバル・アピール

世界からハンセン病差別をなくそうと、日本財団が、「世界ハンセン病の日(1月最後の日曜日)」にあわせ、毎年、世界的に影響力のある個人、団体と共に、ハンセン病の差別撤廃を社会に訴える啓発活動がグローバル・アピールである。2006年に始まったこの取り組みは、社会を構成する一人ひとりがハンセン病について正しく知り、差別をしないよう、メディア等を通じ広く発信し、働きかけることを目指している。

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