ロシア侵攻1年を前に、ウクライナ避難民が心境を語る 事後レポートウクライナ避難民の願い「春が来て梅の花を咲かせるように、明るい未来を信じる」

2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻から1年を前に、2月20日(月)、日本財団が渡航費・生活費・住環境整備費の支援を行っている避難民1,921名の中から3組4名に、現在日本に滞在する上で課題に感じていることや祖国への想いなどを語っていただきました。

写真
左からヴドベンコ・オルガさん、クレムザ・イゴルさん・ルビジャンスカ・ヴィラさん夫妻、ヴァツキー・ユーリアさん

日本財団としては、今回の取材会において避難民の方々が語ってくれた現場のリアルな声や、避難民の方々に回答いただいているアンケートの結果を今後の支援活動に反映させ、これまで以上に避難民の皆さまの暮らしに寄り添えるよう、サポートを続けてまいります。具体的には、これまでの緊急的な生活支援も継続しながら、今後はウクライナ避難民の長期での日本滞在・定住を見据え、特に日本語習得や就労に向けた支援強化を行っていく予定です。

取材会当日、事前に報道関係者より避難民の方にいただいた質問事項に対しての一問一答は以下の通りです。

ウドベンコ・オルガさん/2022年3月来日 来日後同年7月28日に千葉県内の病院で女の子を出産

問1)誰と一緒に避難したか、ウクライナでは誰と生活し、どのような暮らしをしていましたか?

侵略前は、ウクライナで夫と3歳の長男と一緒に生活していた。家族がいて、仕事をして、子どもは幼稚園に通うというごく一般的な生活だった。日本には、姑のきょうだいがいたのでその人を頼って、侵略1カ月後に姑と息子と共に来日した。

問2)「ロシアのウクライナ侵攻から1年を経て、避難当初と現在の心境の変化について」

全面的な侵略が始まったとき、多くのウクライナ人と同様に、言葉で言い表せない程のショック状態だった。来日直後は、言語・文化や習慣など全てがウクライナと違うので、日本の生活に慣れるのに時間がかかったし、常にウクライナにいる夫のことを考えて帰りたかった。でもその時は妊娠していたので、安全な日本にいる必要があった。日本での暮らしに慣れるまで6カ月ほどかかったが、今はだいぶ慣れてきて安心を感じている。

問3)「避難生活で一番困っていることと、楽しいことはなんですか」

今1番困っていることは、日本語。理由は、英語やその他の欧州の言語との違いが大きいから。その他のことはだいぶ慣れてきた。楽しいことは、育児や日本語の勉強をすることで、不安な気持ちを切り替えることが出来て楽しい。

問4)「今最も大変なことは何ですか?周りの日本人に一番サポートほしいことは何か教えてください。」

日本に避難することを決めた時、ウクライナから遠く離れた国である日本で支援してもらえるとは思っていなかったので、正直にいうと期待する気持ちもなかった。しかし、来日した時に想像以上の支援を頂けたことに驚いた。今のところ支援は足りている。日本で人に会ったときにウクライナから来たというと、誰もが自ら支援を申し出てくれる。日本財団の支援も、期待していた以上に充実していた。

問5)「他国ではなく日本に避難することを決めた理由はなんですか」

当時妊娠していたので、頼りになる知り合いがいる場所に避難したほうがいと思った。ヨーロッパには知り合いがいなかったが、日本には姑の兄弟がいたことが大きい。初めは、日本がウクライナから遠く離れていることもあり迷う気持ちもあったが、出産してしばらくは仕事ができなくても、子どもを安心できる環境で育てないといけないということで、安全面を考慮して日本に決めた。

問6)「ウクライナに今すぐ帰りたいと思いますか?」

去年来たばかりの時は、すぐにでも帰りたかった。それが、徐々に秋まではいよう、もう少しいようという気持ちになっていった。今は、すぐに帰りたいという願望はなく、少なくとも年内は日本にいようと考えている。当面ここで生活をした方がいいと思うようになったので、そのために日本語を勉強して、日本での生活に慣れようとしている。

クレムザ・イゴルさん、ルビジャンスカ・ヴィラさんご夫妻/2022年5月来日 日本にいる娘を頼って来日/既にお二人とも定年退職

問1)誰と一緒に避難したか、ウクライナでは誰と生活し、どのような暮らしをしていましたか?

(イゴルさん・夫)キーウから来た。キーウでは、妻、息子と孫と住んでいた。
いま、地域防衛隊に息子と孫が入っている。自分も入りたかったがおじいちゃんはダメと言われた。日本にいる娘(保証人)から日本は安全な国と聞いて来日した。

問2)「ロシアのウクライナ侵攻から1年を経て、避難当初と現在の心境の変化について」

(ヴィラさん・妻)まずは、安全な場所に来ることができた。日本財団の方々に感謝している。最初に日本に来た時は自分が大きな海の中にいるような状況だった。どこに向かえばいいかわからなかった。最初は救急車などのサイレンがとても怖くて空襲警報のように感じて心臓がどきどきした、いまは明るくなった。最初はどういう買い物すればいいか、ゴミをどう分別すればいいのかなど日本の方にとっては普通のことがわからなかった。今は特に日本語勉強に熱があり、とても安心している心境。

問3)「避難生活で一番困っていることと、楽しいことはなんですか」

(ヴィラさん・妻)いまは、もうオルガさんがおっしゃったように言葉が一番困っている。あとは希望通りのコミュニケーションが取れないことが少し気になっている。我々の年齢のような人たちには勉強が必要だと思う。もっと日本語の勉強がしたい。
一番楽しいことは新しい文字(ひらがな)を学んでTVや地下鉄などで自分が分かる文字を見ること。とても嬉しくなる。いま女性用のアクセサリーを作っているときが楽しい時間になっている。

問4)「日本社会に求めたい支援について」

(イゴルさん・夫)まずは日本財団にいただいた支援をとても感謝している。十分な支援をいただいている。これ以上は求めていない。笹川会長にお礼を伝えたい。避難民のことをよく理解していて、必要な支援をいただけている。ウクライナに「真実を探す人もいる、真実を差し上げる人もいる」ということわざがある。
方法を探すより、すぐに支援を差し上げる、という会長の行動が真実を差し上げる人、だと思う。

問5)「仮に戦闘が長期化した場合、今後の生活について具体的なプランは浮かんでいますか」

(ヴィラさん・妻)もちろん自分はこの戦争は一刻も早く終わってほしい。万が一長期化したら日本に滞在して、日本語でコミュニケーションをとれるように勉強がしたい。また、女性用のアクセサリーを作り続けたい。
ウクライナへ帰った後に、日本からいただいた支援やおもてなしの話をしたい。

問6)「ウクライナに今すぐ帰りたいと思いますか?」

(ヴィラさん・妻)日本に避難するきっかけは子どもたちがすすめたこと。帰る時期は子供が安心する時期で、子どもが決める。松尾芭蕉が詠んだように、春が来て梅の花を咲かせる、つまり明るい未来が来てそれを信じる、というのが今の自分の気持ちです。

ヴァツキー・ユーリアさん/2022年10月来日 筑波大学研究生として哲学を勉強中

問1)大学でどのような研究をされているか、誰と一緒に避難したか、ウクライナでは誰と生活し、どのような暮らしをしていましたか教えてください

ウクライナの大学院で哲学を学んでいました。筑波大学から招待を受けて来日しました。ウクライナでは婚約者と一緒に住んでいましたが、残念ながら日本には一人できました。

問2)「ロシアのウクライナ侵攻から1年を経て、避難当初と現在の心境の変化について」

どんなに深刻でもウクライナでは積極的にポジティブな気持ちを保とうと意識していた。でも、日本に到着した直後は、寂しくなった。ウクライナでは戦争中だが、友達も家族も婚約者もウクライナにいるので落ち込んだのだと思う。一人になってしまったことも影響していると思う。数日前に気付いたのは、最近飛行機の音が気にならなくなったこと。無意識に変化があるのではないかと思っている。いまは飛行機も全く怖くない。

問3)「避難生活で一番困っていることと、楽しいことはなんですか」

言語が一番困難。ただし、これより大きいのは嬉しいこと。一番うれしいのは、話すことは大好きなので、筑波大学はおそらく日本の中で海外の学生がたくさんいる大学であり、言語のできない問題をどうのりこえるか考えられる。大学でアニメクラブを立ち上げて、アニメを通じて日本語を勉強することにもなる。

問4)「お住まいの自治体からはどういった支援を受けていますか、満足していますか」

日本財団以外には大学でもとても支援してもらっている。学費の免除は大きなサポートである。大学には40人のウクライナの学生がいるので大きなサポート。ほかに、「スチューデントサポート」というところは家族のように感じて、精神的なリラックスができている。また、クリスマスにテニスやガーデニングサークルの人々が支援してくださった。金銭ではなく、このような支援をしてくださったことが嬉しい。ケーキを買ったりみんなで食べたりしたのはとても嬉しかった。

問5)「ウクライナに今すぐ帰りたいと思いますか?」

もしいまウクライナの戦争が終わったという知らせがきたら次のヨーロッパ便に乗る。誤解してほしくないのは、日本は大好きで、日本での生活、支援には心から感謝しているが、ウクライナに自分の人生と家族が残っているので帰りたい。

登壇者

お名前 状況
VDOVENKO OLHA/ヴドベンコ・オルガさん
(1995年9月25日生)
‐BOHDANA/ボグダーナちゃん(娘)
(2022年7月28日に日本で誕生)
2022年3月、妊娠6か月の状態で来日(キーウ出身・千葉県在住)
娘が生まれたばかりで仕事をする余裕がない。日本語は週に2回、対面とオンラインで各1時間学んでいるほか、自習もしている。
KULEMZA IGOR(クレムザ・イゴル)さん(夫)
(1955年12月14日生)
RUBEZHANSKA VIRA(ルビジャンスカ・ヴィラ)さん(妻)
(1959年9月29日生)
2022年5月来日(キーウ出身・東京都在住)
仕事は2人とも定年退職している。夫婦で娘の暮らす日本に避難した。言語に課題を感じており、毎日2~4時間日本語を学んでいる。
VATSYK YULIIA(ヴァツキー・ユーリア)さん
(1998年11月12日生)
2022年10月来日(キーウ出身・茨城県在住)
筑波大学の研究生として学んでおり、時間がとりづらいが、週2~4時間ほど日本語を学んでいる。現在は勉強に専念しており、仕事をする時間がない。

関連リンク

お問い合わせ

日本財団 経営企画広報部 広報チーム

  • 電話:03-6229-5131
  • メールアドレス:pr@ps.nippon-foundation.or.jp