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不登校の子支える第三の居場所。「発達障害増え、学校の仕組みに限界」欠かせない学習支援
- 2022年の小中高の不登校者は24万人で過去最多に。コロナ禍に加え、社会の変化が影響
- 熊本の「子ども第三の居場所」では、不登校の子に学習支援をする。異年齢の子が学び合う場
- 発達障害の子が目立ち、専門スタッフや大学生スタッフが寄り添う。地域の理解・協力も大事
取材:なかのかおり
日本財団は、多様な困難を抱える子どもたちが安心して過ごせ、将来の自立に向けて生き抜く力を育む「子ども第三の居場所」プロジェクト(別タブで開く)を全国で進めている。
食事や生活の継続したケアが必要な「常設ケアモデル 」、学びや自立に寄り添い続ける「学習・生活支援」、他世代交流を軸として地域に開かれた「コミュニティモデル」の3種類があり、困難を抱える世帯を含めて、必要としている人は誰でも利用できる居場所である。
これまで各地の子ども第三の居場所を取材して、継続したケアの必要性や、困窮家庭の抱える課題を伝えてきた。今回は、熊本の「学習・生活支援モデル」拠点について紹介すると共に、不登校者数最多の今、求められていることを考える。
昔はいじめ、今はコミュニケーションに課題
一般社団法人熊本私学教育支援事業団が運営する「熊本学習支援センター」(外部リンク)は、熊本県内に10拠点ある。
私立高校の先生たちが2008年に始め、当初は、経済的理由により高校に行きたくても行けない子のために募金を始めた。そして、高校の無償化以降、不登校・ひきこもりの子どもたちの学習支援を行ってきた。
小学生の入所者も増え、2022年から日本財団の「子ども第三の居場所」をスタート。代表の仙波達哉(せんば・たつや)さんは、高校で40年以上教えた数学の先生でもある。
「熊本県内の不登校の子は、およそ4,500人。活動を始めた2008年の倍ぐらいになりました。昔は小学校の高学年からのケースが多かったのですが、今は低学年の子もいます。学習支援センターに来ている子は180人ほどで、県内に10教室、そのうち『子ども第三の居場所』は4教室あります。
始めた頃はさまざまな理由で高校に行けなくなった生徒の支援を行っていました。しかし、高等学校では、義務制の小中学校とは違い、学校の出席や単位を認めることが難しいんです。なので、結局辞めざるを得ず中退していく子どもたちを数多く見てきました。そこで、困窮世帯の子どもたちでも高校の卒業資格が取れる通信制はないかと探していたら学校法人の代々木高校を知り、すぐに提携のお願いをしました。今日も、地元の中学の先生が願書を持ってきましたよ。学費自体は3年間で5万円ほどで、生活保護家庭だと2万円ぐらいと、ビックリするほど安いんですよ。
高校生の支援をしていたら、中学生の不登校生も多いことが分かり、小学生も増えていることが分かりました。熊本は、離婚率も高いのでしょうか。ひとり親が多く、子どもが不登校だと親御さんの就労もままならないという現実も見えてきました。『学校に行けない子を日中一人で留守番させられないので、支援センターで朝から引き受けてくれないか』と、シングルマザーから依頼があったんですよ。本来は午後2時から7時までですが、2023年4月から、新たに小学生の不登校生の受け入れ先として朝9時からにして、二交代制で開く予定です」
当初は中高生が対象だったが、2022年に日本財団の助成を得て、小学生も対象にすることになり、小中高生向けの子ども第三の居場所を始めた。学習支援センター4拠点で、それぞれ日々10~15人ほどが利用する。
「私たちのところに来る不登校の子は、発達障害のある子が多いですね。多くは、医療機関に行って診断を受けています。昔は、不登校の理由はいじめが多かったのですが、今は集団が怖いとか、コミュニケーションが苦手という子が多いです。発達障害は昔もあったけれど、祖父母や近所の人と相互扶助があった。今は自分のことで精一杯の人が多く、寄り添う大人がいないんじゃないかな。
こちらは教育支援の団体なので、学習がやっぱり大事。でも教育と福祉は重なる部分が大きく、両面での支援が必要だと思う。食事を出すようになったのは、2017年頃からです。今は他の事業として、子ども食堂も運営しており、生活物資や文具も渡しています」
集団の教育に限界
2021年度に「不登校」の小中学生は、過去最多の24万4,940人だったことが、文部科学省の調査で分かった。文科省は、コロナ禍による心身の不調やストレスが影響しているとみている。
現場ではどんな背景があるのか、仙波さんに尋ねた。
「コロナの影響もありますが、社会自体が変わってきている。戦後から今まで集団の教育は変化していない。このスタイルに限界があるのでは。各学年ごとに決められた勉強や、小中高の制度に問題があると思います。集団ではなく少人数で、かつ2学年ずつに区切ってみるなど多様な形があってもいいのではないでしょうか。
勉強はオンラインでもできる。学校は、社会性やコミュニケーション力を育て、自己肯定感を持てる環境にならないといけない。私たちの拠点では、小中高生が一緒に遊び、家族みたいな感じで安心して過ごせるんです。天草から毎日、3時間かけて来ていた子もいました。
初めはしゃべれない子が多い。でも、慣れてくるとうるさいほどしゃべるんですよ。さまざまな学年の子、周りの大人が認めてくれるからではないでしょうか。学校では、外見上は仲間に見えて、実際は競争がある。グループを作って対立したり、どこかに入らないといけないというプレッシャーもきっとあるんですよね」
学習支援は、どこでつまずくか見直して、小学校低学年から分からなくなったところに戻ることもできる。受験を目指す子もいる。オンラインでの授業はもちろん、学校のテストを受けることも可能だ。
「学習は、楽しく喜びにつながるものでないと学びにならない。そして自分から勉強したいと思えるような環境があることも大事。周りの先輩たちが勉強しているから自分も、とやる気になるし、分からないことは周りの人たちに聞ける。自立のためには学習し、考える、そして周りと協働していく力をつけなければいけないですから。
あのお兄ちゃんみたいになりたい、というモデルを見つけると共に、反対にこういうやつにはなりたくないというモデルもいます(笑)。社会には、いろんな人が存在しているんだと、学べる環境がいいと思います。『学び』は学校での勉強だけを指すのではなく、さまざまな経験や体験、多様な人との関わりができるような、安心できる居場所が数多くある、そんな社会が良い社会だと思います」
民間の不登校支援としては、フリースクールがある。仙波さんは、現場の状況についてこう語る。
「それぞれのスクールによって、学習より生活支援や体験が主だったりする。各々カリキュラムが違うし、出席扱いを認めるのか認めないのかなど、在籍する学校との連携はさまざまです。その点ここは、小中学校の出席も認められているし、各自治体との連携もできている方だと思います」
専門職、大学生…人に恵まれている
スタッフの支援体制も手厚く、「人に恵まれている」と仙波さんは話す。
現在は、職員が10人ほどいて、20代が多いとのこと。以前は退職後の先生が多く、子どもと全く話が合わなかったが、若いスタッフを入れたら、子どもが変わった。よく話すようになったのだ。
それから学生ボランティアは増え続け、現在の登録者は約80人。他に退職後の元先生や、海外からオンラインで教えてくれる英語講師など、各教科で14人ぐらいいる。子ども食堂では、調理スタッフもボランティアとして活躍している。
また、特別支援教育の資格を持っているスタッフも多く、公認心理師は3人いる。教育や社会福祉、心理士の勉強している大学生スタッフも多く、福祉学部のある県内の大学と連携しており、スクールソーシャルワーカーの実習場所として受け入れている。ここでボランティアをしていると、寄り添い方を学んで即戦力になる。
地域に向けて無料の相談会を開き、熊本地震の際は炊き出しをしたり、出向いて勉強を教えたりもした。
「困難を抱える子に、教えるのは難しいため、スタッフのミーティングや研修会をよく開くようにしています。一人一人、個性が異なるので、よく話をしながら進めます。正解はなく、ある子がうまくいったからといって、次には同じようにはいかないんですが、どうしても成功事例を正解だと思いがちで、そこから外れた子ははじかれてしまいます。
もちろん学校にもスクールカウンセラーやソーシャルワーカーがいますが、先生方も忙しすぎてなかなか対応できなくて、教室に入れない別室登校者の数が膨れ上がっている。私たちの団体で、そういったサポートもやりたいんですが」
就労や住まいも世話して
仙波さんは、時には個人的に親代わりとなって、困難な子どもたちに寄り添ってきた。ADHDとアスペルガーがあるタカシさん(仮名)とは、彼が高校生の頃に出会った。
「いつもテンションが高すぎて、じっとしていられない。支援センターのスタッフが対応できないと言うので、私の机の横に席を作って勉強を見たり、話を聞いていました。大人が寄り添ってあげないと、困った方向に行くと思ったからです。
彼は複雑な家庭で育ち、養護施設に入っていたこともある。夜10時頃になっても家に帰らないので、ファミレスに行って、夜ご飯を食べさせてから自宅に送ったりもしました。家をのぞくと、掃除もしていないし、壁紙がところどころ破れていました。家に帰らないのではなく、家に帰れなかったのでしょうね。学校と連携して、ギリギリの単位で何とか卒業しました」
タカシさんには作詞作曲の才能があって、繁華街で歌っていることもあった。今は成人して、一人暮らしをしている。仙波さんが仕事を紹介して、障害者雇用で働き、時折遊びに来ているという。
アオイさん(仮名)はDVを受けて家にいられず、24時間営業の食堂の一画で寝泊まりしていた。お金がなく、困って仙波さんのところに来た。
「当時、定時制高校に通っていて。知り合いをたどって担任の先生を探し、話し合いましたが、定時制は辞めました。自立したいけれど、ここの教室では受け入れが難しい。私が住むところを借り、仕事を紹介して、農業のお手伝いをしながら単位を取得。成人式も迎え、やっと卒業できることになりました。仕事で活躍を期待されていますよ。入学金や家賃、免許の費用は、私のポケットマネーからも出しています」
高2のハツネさん(仮名)は、不登校だった。中学生の頃、学校に行けなくて知人を通して仙波さんと出会った。高校に入学したが、やはり行けない。
「高校の先生と連携し、私たちのところに来れば、出席扱いにしてもらいました。支援センターの活動にも連れて行き、いろんな人と顔を合わせるうちに、苦手だった会話ができるように。進学をせず、結婚してシングルマザーとして子育てしています。
その子たちが小学生になって不登校で、センターに連れてきて、見ています。どうしても連鎖してしまうんですね。不登校の子を持つひとり親を雇用して、活動を一緒にやれないかと模索しています。子ども宅食を始める予定があり、そこで働いてもらえたらと」
やりたい支援、次々に
こども家庭庁の発足で、ひとり親への支援などの制度を利用すれば、ひとり親の雇用、子どもの食、学習と、一石三鳥のサポートが実現できるという仙波さん。
「起立性障害で入院している子がいて、大きい病院の院内学級に在籍する子も、サポートしたいんですよね。活動していると、これもあれもしたいと課題が出てくる。卒業までは、サポートできる。その後が問題で、就労の支援も必要です。地域の中小企業と連携が取れそうで、寄付もしてくれました。職場体験、アルバイトや就労に結びついてほしい。
今までは、自力で何でもやろう、迷惑はかけたくないと思っていました。ボランティアでは限界があり、地域の人と一緒にやっていこうと、発想を切り替えるようになりました」
小学生の支援を始めて仙波さんが気がついたのは、学びの8割方が遊びで、勉強が中心ではないということ。拠点も、遊びのある環境をつくらないといけないと思った。
「遊びを取り入れながら、理科の実験を中高生と小学生がやってみています。つまようじで、3カ月かけてワンピースのキャラクターを作ってみたり。自然発生的に、身近な材料で遊ぶことが、学びになる。教室に新しいメンバーが入ってくると、コミュニケーションが生まれて友達ができます。
自分たちの食事の調理も、毎週やっています。料理上手で、魚をさばける子も。不登校は、落ちこぼれではない。高校生になり、東大に合格した子や、国立の医学部に行った子もいます」
人には恵まれているが、お金はないという仙波さん。利用料は無償だったが、活動が広がって集めるようになった。生活保護家庭は無料で、他は所得に応じて月に1万円、1万5千円、共働き家庭は2万円だという。
生活困窮者からも授業料を取るべきと言う声もある。自治体から、子ども食堂以外には、補助はないという。学習支援やフリースクールに対する支援が求められている。
写真提供:一般社団法人熊本私学教育支援事業団
〈プロフィール〉
なかのかおり
ジャーナリスト、早稲田大参加のデザイン研究所招聘研究員。新聞社に20年勤め独立後、早大大学院社会科学研究科修了。新刊「ルポ 子どもの居場所と学びの変化『コロナ休校ショック2020』で見えた私たちに必要なこと/パラリンピックにも出演したダウン症のあるダンサーと芸能界の交差を追ったノンフィクション「ダンスだいすき!から生まれた奇跡 アンナ先生とラブジャンクスの挑戦」
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