奨学生インタビュー~夢の奨学金のおかげで、同じ境遇の仲間と出会えた~

4期生1回目のインタビューの相手は、宮城県内の大学で建築を学んでいる女子大学生です。夢の奨学金の奨学生は、施設で過ごしたケースが比較的多いのですが、彼女は、幼いころから一時保護所と自宅とを行き来する生活が続き、最終的に里親さんのもとへ。訳あって、別の里親さんにもお世話になりました。これまで、同じ“社会的養護の子”と接する機会がなかった分、奨学生との交流は新鮮で励みになると言います。

写真:ギターを抱えた奨学生

建築を学ぶ女子大学生、20歳。夢は建築家

新型コロナウイルスの感染防止のため、交流会と同様に、夢の奨学金のインタビューも初めてオンラインで行われた。約束の日の午後、定刻になると彼女は穏やかな笑顔で登場した。

「おかげさまで元気に過ごしています」

モニターに映る自室の隅にアコースティックギターが置いてあった。一人暮らしを機に購入したという。リクエストすると、「まだあんまり練習していないんですが。ふふふ」と言いながら、抱えて見せてくれた。

コロナ禍で学業はオンラインに

インタビューをした9月上旬は、大学はまだ夏休みだった。前期の学業について尋ねると、「ずっとパソコンに向かっていました」と説明してくれた。

コロナの影響で、2年生となったこの春から、授業はすべてオンラインとなった。大学に出向くことはないし、授業もオンデマンドだからいつ視聴するかは学生次第。しかし、一つひとつの授業に毎週課題が出るので、決して楽ではなかったという。

学んでいるのは建築。この前期、ある授業では住宅設計をした。「1軒のお家を設計するというのを、一から実際にやったんです」

設計と言えば、住宅の広告でもよく見かける「間取り図」を想像する人が多いかもしれない。しかし、それは平面図と言われ図面の一つに過ぎず、図面にはこのほかに断面図、立面図というのもある。

前期の授業では、これら図面と、コンセプト、スケッチ、模型などをまとめたA3サイズの課題を、毎週提出した。提出が毎週必要だったのは、その都度、先生から改善に向けた指摘をもらい、改良を重ねていくためだった。

「例えば、『このリビング暗いんじゃない?』とか指摘が入ります。採光の問題があったんです。窓のこととか、そもそもリビングの方角がどうなのか、ということも検討が必要になります」

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前期の授業で作った住宅の模型。赤いソファの前にはテレビも(本人提供)
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模型住宅の2階の様子(本人提供)

毎週のように締め切りに追われ、何時間も自宅やカフェでパソコンの前に座る毎日だった。「好きなことなのですが、大変です」。後期は、美術館の設計をするらしいと先輩から聞いている。

サークル活動にも携わっている。入っているのは、ある建築大会を運営するサークル。大会は建築学生による卒業作品の日本一を決めるもので、毎年3月、宮城県内で開かれている。それを支えるのが、この運営サークルだ。メンバーは建築学生で、県内の大学から横断的に集まっている。

大会には海外からも参加があり、彼女は、こうした人たちの来日後の手続きなどをサポートする班に所属している。英語も使う機会が多く、「ネットの翻訳機能に助けられて」準備を進める。

1年生だった昨年度、初めて開催準備に関わった大会はコロナで中止となったが、大学以外の友人は増えた。「せっかく準備していたのに中止は残念でしたが、同じ役割の仲間と集まって食事するなど交流があり楽しかったです」

コロナはアルバイト生活にも影響した。「奨学金がなかったら生活できていなかっただろうと思います」。もともと居酒屋のアルバイトに通っていたが、コロナ禍で客足が落ち、シフトに全く入れなくなった。同店では今、アルバイト生は使えず社員だけで切り盛りしているという。このため、カフェのバイトを新たに始めたが、先行きは不透明なままだ。

建築家になる夢は、幼い日の記憶から

夢は建築家になることだ。特に、空間デザインをしたいと考えている。建物を単に作るだけでなく、その中にある空間も「つくる」のが空間デザイン。手がけたいのは、子どもが過ごす保育園などの建物、というふうに具体的なイメージもある。

「母親がインテリア好きだったのか、家にそうした本があり、小さいころから見ていました。それが心に残っていたみたいで、自分が(児童)養護施設に行った時、その場所が殺風景だと感じたんです。閉鎖された場所、閉じ込められている感じ。子ども心に思ったんですよね」

家族は母親と妹の3人だった。母親が病気がちで自分で育てられない状態になったため、彼女は3歳ぐらいの時、妹と一緒に児童養護施設に入った。それが社会的養護の子になった最初だった。

「その時は長期的に入ったわけではないんです。母が回復して自宅に戻りました。でも、その後も一時保護所と自宅を行ったり来たりする生活が続きました」

福祉のサポートを受けながら暮らしていたところに、転機は突然やって来た。母親が亡くなったのだ。彼女が小学校5年生の頃だった。間もなく、おばの一家が自分と妹を親族里親として育ててくれることになった。

「ちょうど2011年。(東日本大)震災の2カ月後でした。社会的に大変な状態が続いていた中で、今思えば、その波に飲み込まれたような感じでしたね」

それから数年、里親となったおばにお世話になった。高校にも進学させてもらったが、その家では「ずっと、うまくいっていなくて」、出ることを決意した。ごく簡単に理由をまとめると「言いたいことが言えない」からだった。同居する祖父母と亡くなった母親の仲がそれほど良くなかったこと、おば一家への遠慮などが背景にあった。

高校3年生の5月、“初めましての里親さん”のもとに引っ越した。偶然、亡くなった母親の命日。縁を感じてお世話になり始めた新しい里親さんは、期待していた以上に「とてもいい人」だった。児童相談所(児相)とも連絡を密に取ってくれ、進学についての情報も児相から里親さんを通してもたらされた。その中に、夢の奨学金についての情報もあった。

建築家になる夢もすでに固まっていた。どのみち大学には進学したいと思っていたから、それを実現させるために、奨学金の受給は必須だった。児相から情報をもらい始める前から自分でも調べを進め、夢の奨学金もすでに目に留まっていた。

「返さなくていいという経済的な面はもちろんですが、私にとっては、奨学生同士の交流があると言うのが、いいなぁと」

望みをかけて、夢の奨学金に応募した。書類選考、面接を経てある日、高校からの帰宅中、封筒が届いているよと里親さんからラインで連絡が入った。帰るとテーブルの上に、日本財団からの封筒が置いてあった。思いのほか薄く、一瞬いやな予感がしたが、思い切って開封すると「合格」だった。

「選考中、結果が来るまで、生きた心地がしなかったんです。この結果次第で、私の人生は大きく変わる、と。受かって本当によかった。里親さんも自分のことのように喜んでくれました」

夢の奨学金で、境遇を話せる仲間を初めて得た

夢の奨学金を得られて、大学に進学する時の経済的な心配から解放された。「奨学金がなければ絶対に生活できていなかったと思う」と話す。

しかし、夢の奨学金の良さとして、むしろ強調したいのは、奨学生同士の交流。現在はコロナ禍でリアルな集まりは中止されている交流会だが、昨年は参加することができ、そこで実感したという。

「初めて参加したその晩のことです。一人ひとりが、生い立ちを話しました。中には私と同じように両親がいない子もいて。つらかったんだろうなと伝わってきましたが、それよりも、人生をあきらめていない、というか前向きに頑張っていることに、ほんとにすごいなって思いました」

「それまで、同じ境遇の人と話す機会はなかったんです。社会的養護の子が集まる養護施設で過ごした子なら、普通にそういう機会はあるとは思うんですが、私は里親さんのところでしたから。同じような子と交流することなんてなく、孤独だったんです」

小さい頃に折々に過ごした一時保護所でも、自分のことを話すのはNGだった。他の子がどのような状況にあって、どんな思いを抱えているのかを聞くことはなかったし、自分から尋ねることもなかった。大学生になって初めて、夢の奨学金の奨学生になったことで、それが叶った。

先月、成人した。自分で生きていく不安と希望を感じながら過ごしている。

「何でも自由にできるようになった反面、寂しさもあります。これまで受けていたサポートから切り離され、完全に自立しなければならない。未成年後見人の任務が終わりましたから、これからは自分で事務的な手続きもすべてやることになります。不安もあります。自分で知識を増やしていかなければいけないですね」

「今はコロナで制限が多い生活ですが、その代わりに気づいたこともありました。友だちが側にいるのは大事だなということです。友だちがたくさんいる仙台で、ずっと暮らしたいと思いました。コロナが終わったら、大学生ならではのサークル活動やバイト、遊びを存分に楽しみたいですね。海外にも行ったことがないので、いつか行ってみたい。授業で取り上げられた建造物で好きなものは、バルセロナに多いから、バルセロナもいいかな」

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普段使っているペンケース(本人提供)

社会的養護の後輩、申請を予定している人へのメッセージ

「人生辛いことばかりだと悲観的になることもあると思うけれど、その分幸せな体験や楽しいことが後からかえってくるのが人生だと信じています」

「同じ苦しみを抱えながらも諦めずに頑張っている仲間がいるということを、忘れないで」

日本財団 公益事業部 国内事業開発チーム 桂 詩央里

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