沿革 1971年〜1990年

1971年|トルコ地震で災害援助

1971年5月、トルコ東部で大規模な地震が発生。初めて海外での非常災害援助を実施。災害援助事業は国内外での地震、火災、風水害等の発生に対し災害援助金を支出するもので、これ以後、国内外の大きな災害への援助を続けている。

写真:被災地での復興支援作業の様子

1974年|船の科学館一般公開

1965年から計画が進められてきた「船の科学館」が東京・13号地(現・お台場)に完成、一般公開された。客船を模した本館のほか、初代南極観測船「宗谷」がそのままの形で展示された。

写真:来館した子どもたちの様子

1975年|ハンセン病制圧活動を開始

笹川良一会長は、インド、フィリピン、台湾、韓国等のハンセン病問題に個人的に協力してきたが、この年から世界保健機関(WHO)と協力し、本格的な活動を開始。前年には笹川記念保健協力財団(現・笹川保健財団)も設立。ハンセン病と同様に、WHOと協力して取り組んだ天然痘については、1980年に撲滅宣言。

写真:治療を施す医師

1975年|「一休さん」提供(1980年まで)

周知事業の一環として、テレビ朝日系のアニメ「一休さん」を提供。また、「火の用心編」「一日一善高見山編」などのCMも相次いで制作、日本船舶振興会の知名度が高まる。ボートレースの売上額も1兆円を突破。

1975年|沖縄国際海洋博覧会の開催

海洋を対象とする世界で最初の国際博覧会、沖縄国際海洋博覧会は「海―その望ましい未来」をテーマに、1975年7月19日~76年1月18日に開催された。日本船舶振興会でも、モーターボート競走業界と共に協賛した。

写真:沖縄国際海洋博覧会の様子

1977年|難民救済事業の開始

アンゴラ難民、フィリピン難民、ザイール難民、ジンバブエ難民、エチオピア難民の救援資金のため国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)への協力援助を開始。同年、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への援助も開始。

写真:国連難民高等弁務官事務所周辺の様子

1978年|宇宙科学博覧会の開催

「船の科学館」を中心とする地域で、78年7月16日~54年1月15日と79年3月24日~9月2日(国際児童年協賛)の2期にわたり宇宙科学博覧会が開催された。日本船舶振興会も主要な推進母体として協賛および観客誘致などを行った。

写真:宇宙科学博覧会の様子

1981年|海外協力援助業務規程の制定

1981年4月、海外協力援助業務規程が制定され、本格的に海外協力援助事業を開始。前年の80年、米国に米日財団を設立したのをはじめ、83年に英国にグレイトブリテン・ササカワ財団を、85年にスカンジナビア諸国にスカンジナビア・ニッポン ササカワ財団を、そして90年にフランスに日仏財団を設立し、それぞれの国と日本との民間交流を強化促進している。

写真:ハンセン病患者に治療薬(MDT)を手渡しする様子

1984年|中国残留孤児への支援

中国残留日本人孤児の帰国事業が開始され、1983年(財)中国残留孤児援護基金が設立され、84年から資金援助を開始。初年度の59年度には、肉親捜しを申請した孤児1527名のうち政府の調査により733名の肉親が判明、そのうちの170名が日本に帰国。

写真:中国残留日本人の帰国支援プログラムにおける交流会の様子

1989年|次世代高速船「テクノスーパーライナー」の開発研究

造船会社と鉄鋼会社で設立したテクノスーパーライナー(TSL)技術研究組合に対し次世代高速船の開発支援を開始。速力50ノット(時速約93km)、貨物積載1,000トン、航続距離500海里(約930km)を目標に、89年から95年までの7年間、官民一体となり、要素技術から実海域模型船を用いた総合実験までの研究開発を行い、TSLの建造および運航技術が確立された。

写真:テクノスーパーライナー

1990年|チェルノブイリ原発事故への救済援助活動開始

86年4月に発生したチェルノブイリ原発事故では、被害者に対する効果的な対策が遅れていたが、旧ソ連政府から民間医療協力の要請を受け、笹川記念保健協力財団(現・笹川保健財団)を通じて医療協力を行うことになった。

写真:診察の様子