ROAD PROJECT―東日本大震災からの復興に向けた取り組み
再生支援から新たな創造へ
2011年3月11日に起きた東日本大震災で、政府が当初想定した復興期間は10年。当時、復興への道のりは全貌を見通すことはできなかったが、過去幾度もの支援活動の経験から、当財団はおぼろげながら進むべき道筋を描き、支援活動を開始した。
発災から1カ月程の緊急期は、迅速に多様な支援策を打ち出し、世界中から東北の被災地にヒト・モノ・カネ・情報などが集まるようにした(この時期の取り組みは当財団の50年史(PDF / 4MB)に詳しい)。次の段階として、発災から3カ月が過ぎた6月頃、緊急支援策の実行と並行して「復興基盤の再生支援」に着手し、2012年4月頃からは、徐々に「新たな創造」への支援を本格化していった。
被災地が広範であるため、復興への歩みも一律ではなく、個々の事業は数年単位のものも多い。それぞれの道が寄り集まって未来に向かう太い道になるよう、当財団はこの復興への歩みを「ROAD PROJECT」と名付けた。
寄付文化の醸成
阪神・淡路大震災が発生した1995年を「ボランティア元年」と呼ぶように、個人の寄付が日本で初めて1兆円を超えた2011年は、後に「寄付元年」と呼ばれた。当財団でも、発災の3日後には「ROAD PROJECT」として基金を設置し、初めて大々的に寄付金を募り、当時ほとんど認知されていなかった「支援金」の概念を世に訴えた。また、これを機に寄付文化醸成のための規程を整備し、多様な分野で寄付金を募り課題解決を目指す今日のスタイルを確立した。


水産、造船業の再建に企業寄付も
緊急期を乗り越えた後、被災地域が持続的かつ自立的に復興していくには、基盤となる産業や文化、コミュニティの再生が不可欠だ。特に津波で壊滅的被害を受けた沿岸部は、自宅はおろか土地の造成やインフラ整備など、復旧に何年かかるか想定できない。だからこそ、被災者がふるさとの暮らしを諦めずに済むような、“希望の光”が早期に求められた。

とりわけ、津波被災地共通の基幹産業である水産業や、それを下支えする造船業は裾野が広く、その再生は多くの人の雇用と収入に直結する。しかし各業種は相互に連関し単独での事業再開は困難だった。そこで当財団は得意とする海の分野のネットワークを活かし、水産業との生態系そのものの一体的な再生を目指す幅広い支援を行った。
浜の清掃に学生ボランティア等を派遣しつつ、発災後3カ月もする頃には被災した漁船の仮設修理場の設置や造船所の集団再建支援などの支援策を次々に展開。2年目以降は「復興応援キリン絆プロジェクト」や「造船復興みらい基金」など、企業寄付や国の補助金も活用した中長期の支援につなげ、一部は現在も続いている。
心の復興への支援
水産業の再生に加え、東北復興に欠かせないもう一つ特徴的な支援は、通称「まつり応援基金」(2011年6月設置)による伝統芸能の再生であった。東北は郷土芸能の宝庫である。津波で失われた神楽面や獅子頭、楽器等の道具類のほか、神社の社殿や鎮守の森を再生しなければ、祭りを再開できない。祭りを通じて、祖先や死者への鎮魂を行い、郷土への思い・誇りや地域の絆を取り戻していく。お年寄りから子どもまで、傷ついた人々の心を癒し、コミュニティに元気や笑顔が戻ることで初めて持続的かつ自立的な復興が可能となる。まつり応援基金もまた、1年目から息長く細やかなニーズに応え、2015年2月まで180の団体や神社へ支援を届けることができた。

新たな創造に挑戦する数々の基金
長期にわたる復興は時代に合わせ臨機応変に対応しなければならない。東北は震災前から過疎・高齢化や産業の衰退など、様々な社会問題を抱えていた。そこに震災の犠牲者や被災地域外への人口流出が加わり、事態はさらに深刻化し「過疎化が10年進んだ」とも表現された。元の状態に戻すだけでなく、被災地から持続的に生まれる「新たな創造」が必要であることは明白だ。
このため当財団は2012年度以降、事業を生み出す人材の育成と、場づくり、仕組みづくりに的を絞り新規事業を展開した。
その一つである「ダイムラー・イノベーティブリーダー基金」(2012年4月設置)では、東北唯一のMBAスクールであるグロービス経営大学院仙台校で学ぶ学生への奨学金並びに事業スタート資金を提供した。6年間で112名のリーダーを輩出し、世界に通用する農業生産法人や全国域での関係人口創出プログラムなど、東北のみならず日本を牽引するような人や事業が育っていった。

また、地域の歴史や文化を新たな価値と結び付けて次代に継承することをコンセプトとした「New Day 基金」(2011年11月設置)では、福島県と宮城県の7つの街の復興拠点整備を支援した。各施設は美術館やカフェ、コワーキングスペースなど様々な形態をとりつつ、地域内外の自治体や企業、起業家や住民同士の出会いと協働を創出する役割を果たしている。
この他、復興庁との協働事業である「新しい東北」の実現に向けた復興人材プラットフォーム構築事業「WORK FOR 東北」(2013年10月開始)、被災した中小零細企業やソーシャルビジネスを支援するため岩手・宮城・福島3県の5信用金庫に設置した「わがまち基金」(2013年12月より順次設置)などの事業を実施した。
東日本大震災に係る寄付金等の受け入れは2017年度をもってすべて終了し、ROAD PROJECTとしての新規事業は発災後10年をもって一旦の区切りとした。だが復興が完了したわけではない。引き続き、歩んだ道の行き先を見守りながら、震災復興への取り組みから得た経験と教訓を次代につないでいきたい。


(樋口 裕司/災害対策事業部)
本事業における「日本財団という方法」
危機は変革の好機というが、東日本大震災を経て当財団も大きく変化を遂げた。大々的に寄付を募り、これまで接点のなかった企業等との協働も生まれた。被災者、事業者、寄付者、自治体や政府機関等のマルチステークホルダーをつなぐ媒介としての役割と、現場からビジョンを描き社会を変える実践の積み重ねに、「日本財団という方法」が立ち現れてくるように思う。
