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2025年、聴覚障害者のスポーツの祭典「デフリンピック」が東京で初開催。「共生社会」実現の第一歩へ
- 聴覚障害のあるアスリートによる国際スポーツ大会「デフリンピック」が2025年に東京で開催
- デフリンピックを通して、多種多様なろう者(※)、難聴者の姿を知り、関心を持ってもらう
- 「共生社会」を実現するために必要なのは、「マイノリティを知り、交流する」こと
- ※ 音声言語を獲得する前に失聴した人。日常的に手話を用いている人
取材:日本財団ジャーナル編集部
「オリンピック」とも「パラリンピック」とも異なる「デフリンピック」をご存じですか?
これは耳の聞こえない、聞こえにくいアスリートたちによる国際的なスポーツの祭典のこと。オリンピック同様、4年に1度、開催されています。直近だと、2022年にブラジルで夏季大会が、2019年にイタリアで冬季大会が開催されました。
いま、この「デフリンピック」に熱い視線が注がれています。2025年11月15日~26日に開催される夏季大会の舞台が、東京に決定。日本では初めての開催となります。
その応援アンバサダーに就任したのが、日本財団職員であり、ろうの当事者でもある川俣郁美(かわまた・いくみ)さんです。アンバサダーの役割は「東京2025デフリンピック」の認知度や関心を高めていくこと。そしてその先で、障害の有無にかかわらず多様な人が支え合い、認め合う「共生社会」の理解促進も見据えています。
去る2023年11月14日には、「デフリンピック」の開催を記念して期間限定でオープンしたカフェ「みるカフェ」(東京都渋谷区)でのオープニングセレモニーにも、小池百合子(こいけ・ゆりこ)東京都知事や同じくアンバサダーを務める女優の長濱(ながはま)ねるさんらと共に出席。「デフリンピック」の魅力を伝えるため、日夜、走り回っています。
そんな川俣さんに、「デフリンピック」の面白さや手話、ろう文化の魅力について、また「共生社会」を実現するために必要なことなど、幅広くお話を伺いました。
誕生から100周年という記念すべき年に東京で初開催
――まずは「デフリンピック」の歴史について、改めて教えてください。
川俣さん(以下、敬称略):「デフリンピック」とは、耳の聞こえない人を指す英単語「デフ」と「オリンピック」を組み合わせたもので、ろう者、難聴者のためのオリンピックを意味します。
1924年、フランスのパリで第1回大会が開催され、以降、「オリンピック」や「パラリンピック」と同様に4年に1度行われてきました。2025年に東京で開かれる「東京2025デフリンピック」は日本で初開催で、しかも100周年目にあたる記念すべき大会なんです。
第1回目の大会は、実は「世界ろう者競技大会」という名称でした。その後、1955年以降、国際オリンピック委員会からも認知され、2001年には「オリンピック」の名称使用許可を受け、現在の「デフリンピック」という名称になりました。
――障害のあるアスリートたちが活躍する「パラリンピック」と一緒になることはなかったのでしょうか?
川俣:1989年に国際パラリンピック委員会が発足した時、国際ろうスポーツ委員会もそこに加盟し、ろう者、難聴者もパラリンピックに参加していました。しかし、「デフリンピック」の独創性を追求するため、1995年に組織を離れたんです。
――「東京2025デフリンピック」のアンバサダーとしての役割や、意識していることはありますか?
川俣:デフリンピック関連イベントへの出演をはじめ、SNSなどを通して、「デフリンピック」について発信していくことになります。また、「デフリンピック」の素晴らしさのみならず、手話やろう文化の魅力、多様な人がともに支え合いながら生きていける共生社会についても伝えていきたいと思っています。
その上で、「デフ」であることをより前向きに受け入れてくれる人が少しでも増えるよう、ろうの当事者としての目線や体験したことも伝えていきたいです。
ろう者は「かわいそう」な存在ではないことを広く知ってもらいたい
――ろうの当事者として、手話の魅力をどう捉えていますか?
川俣:ろう者は「表情が豊か」と言われることが多いですが、手話の魅力はまさにそこにあると考えています。コロコロ表情が変わり、表情だけではなく体全体を使い、空間を駆使しながら表現します。
それはなぜか。表情や体の動きも手話における文法だからです。例えば「雨」「晴れ」といった天気の表現にもバリエーションがあるんですよ。そして、そんな手話から生まれた文学や言葉遊び、芸術も存在します。
――ここ最近、テレビドラマや映画などで手話やろう文化が描かれる機会も増えましたね。
川俣:やはりテレビや映画の影響力は大きいですし、それをきっかけに手話に興味を持ったという方も大勢いらっしゃるので、手話やろう文化がテーマになるのはとてもうれしいです。
街中で手話を使っていても、以前は「あれ、何?」と見られていたのですが、最近では「あ、手話だ! 学校で習った!」と話しかけてくれる子どもが増えました。私がろう者であることに気づいたお店の方からは、「ありがとうございます」と手話で伝えられることもありました。
そんな風に、手話を知り、ちょっとずつ理解を深めてくださる方たちが増えているのを実感します。一方で、まだまだ特別な存在、かわいそうな存在として描かれがちであることは問題だと思っています。
日本人にさまざまな人が存在するように、聴覚障害者にもさまざまな人がいるんです。生まれつきのろう者なのか、あるいは中途失聴者(※)なのか。または聞こえにくい難聴者もいます。聴覚障害があるといっても実にさまざまです。
ですが、そんな当事者に会ったことがない人は、メディアで得られる情報をそのまま受け取ってしまいます。メディアの中で「かわいそうな人、常に助けが必要な人」として描かれれば、それを印象づけてしまいます。
たとえフィクションであっても、それだけ影響力がある。それこそがメディアの持つ力です。だからこそ、より理解が深まるように描いてもらいたいと思います。
そのためにも、俳優のみならず、制作スタッフにも当事者を積極的に起用していただきたい。ろう者と共に作品を作り上げていくことで、制作陣にも新たな気付きが生まれるはずですから。
- ※ 病気や事故、加齢などが原因で、突発的、あるいは少しずつ聴力が低下したり、失ったりした人のこと
「知ること」「交流すること」が共生社会の実現への第一歩に
――「デフリンピック」を通して、聴者(※1)の人たちにどんなことを感じ取ってもらいたいと思っていますか?
川俣:ヘレン・ケラーが言っていたように、障害は「不便」ではあるものの、決して「不幸」ではないこと。社会はマジョリティ(多数派)の人たちが使いやすいようにデザインされているため、マイノリティ(少数派)であるろう者を含む障害者にとっては使いにくく、アクセスしづらい「不便」な部分が多いんです。マイノリティからの要望はどうしても後回しにされがちですから。
でも、そういったマイノリティの困り事を解決することで、社会全体がより生きやすくなることにつながっていきます。つまり、マジョリティにとってもより快適な社会になるということです。
例えば「字幕」機能について。これは聞こえない人、聞こえにくい人をサポートするためのものだと思われがちですが、聴者の中にも、ちょっとした移動中や小さなお子さんが寝ているときなどの音を出せないシーンで、字幕機能を活用しながら動画を観ている人がいますよね。あるいは日本語を勉強中の外国の方が、字幕を補助的に使いながら学習を深める例もあります。
こんなふうに、マイノリティの困難を解決するために生まれたものが、結果的にマジョリティにとっても役立つ事例はいくつも存在します。字幕以外だと、リモコンやストロー、キーボード、スロープ、エレベーター、オーディオブックなんかもそうですよね。
だからこそ、マイノリティの視点も大切にしてもらいたい。ろう者が社会に対して求めていることを理解してもらいたい。逆に言うと、ろう者として聞こえない世界にいる人たちは、その視点を使って社会貢献できるんです。
そんなことを考えながら、「デフリンピック」を観戦してもらいたいです。そこでデフスポーツ(※2)を楽しんでいただきつつ、いつもとは違った「デフ」の世界、空間をのぞいてみてください。そこがいかに豊かで魅力的な世界か分かっていただけると思います。
そして「デフリンピック」をきっかけに、社会にある「言葉のバリア」がなくなり、いつでも、どこでも、誰とでもコミュニケーションが取れる社会へ前進することも期待しています。
- ※ 1.聴覚に障害のない人のこと
- ※ 2.聴覚に障害のある人が行うスポーツの総称
- ※ 3.2021年に開催される予定だったがコロナの影響により2022年に延期
――「デフリンピック」の開催は、聴者にさまざまな気付きをもたらしてくれそうですね。では最後に、さまざまな人たちが支え合い、認め合う「共生社会」の実現に向けて、私たち一人一人にできることがあれば教えてください。
川俣:まずは「知ること」、そして「交流すること」ではないでしょうか。差別や偏見というものは、無知や無関心から生まれるのだと思うんです。普段の生活の中で、ろう者を含めたさまざまな人たちと関わる接点があれば、自然と相互理解が深まっていきます。
そういった機会がないと、「アンコンシャス・バイアス」と呼ばれる無意識な思い込みにとらわれてしまうこともあります。自分にとって当たり前なことも、立場が異なれば当たり前ではなくなるかもしれません。
それを理解するためにまずは「多様な人について知り、交流すること」が大事です。「デフリンピック」はまさに打ってつけ。この機会にろう者について知り、交流してみてください。私もこの機会に、いろいろな人と交流し学びを深めたいと思います。
編集後記
スポーツというものは、さまざまな感覚を駆使して行うものです。視覚、触覚、そして聴覚。しかしながらデフアスリートたちは、競技中、聴覚による情報を得ることが難しい。
ではどうするのか。彼ら彼女らは視覚や触覚による情報を最大限に活用し、素早く状況を判断し、それぞれのスポーツで闘うのです。
でもそれは、スポーツの場に限ったことではありません。川俣さんの「社会はマジョリティの人たちが使いやすいようにデザインされている」という言葉にもあるように、この社会には音が溢れていて、それが聞こえない人、聞こえにくい人には不便な場面が多々あります。そんなとき、ろう者、難聴者は視覚や触覚によって情報を得て、状況を判断しているのです。
でもそれは、彼ら彼女らに対して一方的に負担を強いることでもあります。
これからの社会に求められるのは、そういった一方的な負担を減らしていくことでしょう。どんな場面でもろう者、難聴者への情報が保障され、それが当たり前になっていく。それこそが「共生社会」への第一歩なのです。
撮影:十河英三郎
〈プロフィール〉
川俣郁美(かわまた・いくみ)
1989年、栃木県生まれ。3歳でろうに。日本財団聴覚障害者海外留学奨学金事業5期生として米国に渡り、ギャロデット大学ソーシャルワーク学部卒業。その後も同大学院行政・国際開発専攻修士課程に進み、修了。日本財団にてアジアのろう者支援事業のコーディネート等を担当。栃木県聴覚障害者協会理事。デフリンピックサムスン大会(2017年)に日本選手団のサポートスタッフとして参加。
- ※ 掲載情報は記事作成当時のものとなります。