子どもたちに「文化のシャワー」を。社会的相続を補完する山口・宇部「キッズラップ」

社会的相続とは、「自立に必要な力」を親から子どもへ伝達していくこと。自立に必要な力とは、人や社会と関わる力、思考・判断・行動力、学習意欲や学習習慣、生活習慣など「非認知能力」と呼ばれる学力以外の要因を指します。非認知能力を培うために重要となってくるのが、お金や家といった相続よりも、子どもにかける時間、親の周囲との関係、親の生活習慣や価値観、日々の生活習慣などの非金銭的な相続と言われています。
今、生活困窮家庭のみならず、ひとり親世帯、共働き等により子どもに関わる時間の余裕がないなどの理由から、充分な社会的相続の伝達機会に恵まれていない子どもが増えています。日本財団では2016年から、学校から家に帰るまでの放課後の時間を利用し、食事、学習、生活支援、体験機会を提供し、社会的相続を補完することを目的として「子ども第三の居場所」事業を展開してきました。
「社会的相続」の必要性に共感し、居場所の仲間入りをした拠点が、山口県宇部市の「キッズラップ」です。

小児科医による社会的処方「キッズラップ」
子ども第三の居場所「キッズラップ」は、同市にある「金子小児科」の院長として数多くの子どもを診てきた、金子淳子さんが代表を務める一般社団法人キッズラップが運営しています。
「小児科医は、子どもを通して家庭の状況を見ています。しかし、医療という切り口だけでは、なかなか家庭に介入することはできません。こども食堂やこども宅食、学習支援を実施し、子どもが育つ環境への介入や支援を試みてきましたが、親や家庭の状況は容易には改善しません。子ども自身が将来自立するための力を身につけるには、それらを培うための居場所が必要だと考えました」
私財を投げ打ち、2021年にキッズラップの拠点となる建物を建設。その折に、子ども第三の居場所事業を知り応募し、運営費の助成を3年間受けることになりました。4年目になった現在は、児童育成支援拠点事業と支援対象児童等見守り強化事業を宇部市より受託し、居場所を運営しています。
「地域住民の健康を支えるために、薬などの医学的な介入に加え、社会的な活動や機会を提供し、健康に影響を与えている社会課題を解決に導くのが『社会的処方』。私の活動は、その実践かもしれません」


対等な関係性のなかで、一人の人格として子どもと接する
キッズラップの拠点は、グレーを基調とした木の温もりを感じる空間です。おもちゃは木製、使われている食器は「やちむん」と呼ばれる沖縄の焼物で、ゲーム部屋には本格的なゲーミングパソコンとチェアが置かれています。
大人も落ち着く空間ですね、と声をかけると「対等な関係性のなかで、一人の人格として関わりたいから、子どもっぽいカラフルな空間にしようとは考えなかった」と金子さんは話します。

「人は育った家庭環境で、身につける趣味や教養、立ち居振る舞いなどが決まると言われます。食事の時にいい器を使う、家に書架がある雰囲気のなかで育つ、そういう環境も社会的相続の要素なのではないでしょうか。多様な経験や体験、文化に触れる機会こそが、子どもが人とつながるツールになると考えています」
そうした考えは、神奈川を拠点に活動するNPO法人パノラマの石井正宏さんから学んだそう。
「たくさんの出会いや経験によって得られた文化資本は、子どもにとっての見えないフックになります。困難な環境にある子どもには、経済資本を背景に生まれながら備わる文化資本が不足しています。『文化のシャワー』を浴びせることで、社会関係資本(人)に引っかかるための基盤をつくる。人とつながることが夢や希望を持つきっかけとなる。それが将来の経済資本につながる可能性をつくりだす、という考え方です」
日常の食事の提供や生活支援などに加えて、キッズラップでは、様々なイベントを開催しています。子どもたちが「考える力」を育み、大人は新しい発見ができる対話の場「こどもとおとなの哲学カフェ」、著者や翻訳者によるトークイベント、南極観測隊参加経験のある講師による「南極クラス」など、文化に触れる機会をつくっています。

また、毎週木曜日の学習支援の日には、商店街にあるお魚屋さんでお買い物をすることにしています。店頭にずらりと並ぶお刺身から好きなものを選び、夕食で食べられるとあって、子どもたちからも好評です。渡されたお金でどれだけ買うことができるか、計算しながらお買い物をすることにも慣れてきました。

子どもたちを変えた旅行体験
キッズラップを語る上で外すことができないのが、旅行です。旅行経験のない子どもも少なくないことから、キッズラップは年2回のペースで各地を訪問しています。
日本財団の皆さまからのご寄付を活用しながら、これまでに沖縄、香川、東京、山口・島根を、春休みと夏休みを利用して訪れました。
2泊3日の沖縄旅行では、美ら海水族館や海ぶどう掬い体験の他に、地元の方々と浜辺のゴミ拾いを通じて交流を深めました。この旅行を経験して、子どもたちには大きな変化が現れたのだとか。
「旅行から帰ってきて、近所のペットボトルのゴミを拾ってくるようになったんですよ。挨拶やお礼もきちんと言えるようになった。旅行先で他のお客さんに迷惑をかけてしまった時や、子ども同士でトラブルがあった時に、『子ども会議』を自ら開催して、どうしたらよいかを自分たちで話し合うようになりました」

キッズラップでは、旅行以前にも、スポーツ観戦や果物狩りなどのプログラムを実施していました。ただ、それでは大きな変化は見られなかったそう。旅行だから得られた経験とはどのようなものだったのでしょうか。
「まずは、衣食住が満ち足りた生活がよかったのだと思います。宿泊があることが大きいですね。普段は毎日入浴する習慣がなかったり、生活リズムの乱れから3食食べていない子どももいます。旅行で3食食べて、入浴して、布団でゆっくり眠ることができて『すごく幸せだ~』と叫んだ子どももいました」

子どもたちの成長
日々の関わりや旅行体験を積み重ねて4年、開所時は、学校から帰ってきたらランドセルを適当に放り出したまま遊び、拠点に届いた荷物を宛先を見ずに勝手に開けてしまうこともあった子どもたちも、今は落ち着きを見せつつあります。
「コミュニケーションを取ることが難しい子どももいましたが、自分の境遇や心情を語ることができるようになりました。当たり前の日常と、スペシャルな経験で、自分たちが大切にされて当たり前の存在なのだという自尊感情や自己肯定感、自分たちが窮地に陥った時に、助けてくれる人がいるという安心感も生まれたのではと考えています。『次の旅行はこうしてほしい』というわがままを言ってくれるようになりました。次の機会が確実にあると考えてくれているのだと嬉しくなりました。スタッフとの信頼関係も、長い時間を経て確かなものになりつつあると感じます」

目の前の子ども一人ひとりの声に耳を傾けながら、社会的相続に重点を置き、日常から非日常まで様々な体験を提供しているキッズラップ。子どもたちの置かれている困難な環境と向き合いながら、様々な方法で文化のシャワーを浴びせ続けます。
取材:北川由依