【現地レポート】千葉県鋸南町、屋根飛ばすほどの強風 爪痕いまも
2019年9月、観測史上最強クラスとされる台風15号が千葉県を襲いました。猛烈な暴風は民家の屋根や瓦を吹き飛ばしました。そして、飛ばされた屋根などが、さらにほかの民家に被害を与える結果に。県内の家屋被害は、全壊や半壊、一部損壊をあわせると約6万棟に及んでいます。
なかでも千葉県南部では9月9日未明、最大瞬間風速48.8メートルを記録。走行中のトラックが横転するほどの強い風が鋸南町や館山市、南房総市などの海沿いの都市に被害をもたらしました。
それから5カ月となる2月上旬。被災した自治体の一つ、鋸南町をたずねました。人口約8,000人、約3,000世帯の同町で、家屋被害は3,000棟以上に及びました。被災当時、何があったのでしょうか。そして今、復旧・復興はどこまで進んでいるのでしょうか。町でその中心を担っている職員に話を聞きました。
町役場、窓ガラス割れ天井崩落
「毎年台風は来ていましたが、去年ほどの台風は初めて。建物の屋根が飛ばされたり、壁が破れたりしているのを見て、町全体がまるで空襲を受けたかようでした」
鋸南町役場の復興支援室長を務める小川亮一さんはそう台風15号を振り返ります。
役場の全職員約100人に招集がかかったのは、最大瞬間風速を記録した約3時間後の9日午前6時でした。あくまで自主的なものでしたが、多くの職員が集まって被災状況の確認や被災者の対応にあたりました。
ただ、鋸南町役場の庁舎も被災しました。窓ガラスが割れ、そこから流れ込んだ暴風の影響で天井が崩落。避難所にする予定だった学校なども窓ガラスが割れる被害に遭い、開設できない状態になっていました。
当時、保健福祉課の福祉支援室長だった小川さんは、9日午前6時過ぎに出勤後、14日まで連日泊まり込みで作業に対応にあたりました。他の多くの職員も、被害確認や孤立世帯のケア、ブルーシートや食料などの配布といった初動対応に追われました。
家屋にブルーシート、進まぬ修繕
台風の爪痕は深く残っています。町を見渡すと、依然として屋根にブルーシートをはった家屋が目立ちます。なぜ5カ月が過ぎても、屋根の修理が進まないのでしょうか。
小川さんはその理由をこう語ります。
「町では高齢化と人口減少が進んでいます。新築住宅も年間を通して多くありません。だから町内の瓦屋、大工といった職人の数も減っていました。そんなときの被災で修理の需要が急増し、修理が追いつかなくなりました。町内の職人だけでは2~3軒ずつしか対応できません。依頼をしても、数カ月先まで予約が埋まっている状況でした」
では、他の自治体や他県の業者に発注することは難しいのでしょうか。
「地域性かもしれませんが、鋸南町では代々同じ業者に頼む、という方が多いです。他の業者に頼むのは不義理になるという考え方があるのではないでしょうか。それに加えて、瓦や屋根の修理費の相場がわからないため、知らない業者に頼むことに不安もあるのだと思います」
また、国や県、町から被災住宅に補助金は出るものの、それだけではすべてを修理することはできません。小川さんは「もともとお金に余裕がある人は補償が充実している保険に入っていることが多いです。一方で余裕のない人は保険に入っていないこともあります。たとえば、80歳を超えた年金暮らしではローンもなかなか組めないため、ずっとブルーシートをはったままになってしまいます。災害によって、格差がさらに広がってしまうこともあります」と話します。
子どもたちからの言葉 励みに前進
台風15号の被災以降、鋸南町を含めた千葉県の被災地には全国から多くの義援金が届きました。鋸南町には約8,500万円が届き、被災者支援にあてられています。そのなかには、東京の小学生たちからの義援金もありました。小川さんは「義援金も大変ありがたかったですが、それ以上に子どもたちの気持ちがうれしかったです」と話します。その理由は、義援金とともに学童保育施設から送られた1冊のノートでした。
「元気をとりもどしてがんばってください」「台風や大雨、だいじょうぶでしたか?」「みんながゆたかにくらせるようにしてください」
そのノートには小学生たちからの手書きのメッセージがびっしりと書かれていました。小川さんにとって、そのノートは「宝物」。被災から5カ月が経ち、復興はまだ途上です。そんなときにこのノートが心の励ましになっています。