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ろうの女優・忍足亜希子さんと俳優・三浦剛さんが共著本で大暴露した“面白夫婦”の実態。2人の逸話から伝わる歩み寄りの大切さ
- 天然な妻と頑固な夫。聴こえる、聴こえないに関係なく恋に落ちて結婚した
- 妻は「ろう者はかわいそうな存在じゃない!」を女優として表現。夫は映画や舞台の手話指導も担う
- 手話は“話したい”気持ちが大事。挨拶の手話が2つか3つできれば、思いは伝わる
取材:日本財団ジャーナル編集部
ろう者(聴覚障害者)と聴者が結婚すると、どんな暮らし方になるのだろう。
意思疎通のできない場面も多々あって、傷つくこともあって……。と、思いきや、俳優の三浦剛(みうら・つよし)さんと、ろうの女優の忍足亜希子(おしだり・あきこ)さんは、2021年5月7日にアプリスタイルから発刊された共著エッセイ本『我が家は今日もにぎやかです』(外部リンク)で、自分たちが「面白い夫婦」であることを大暴露した。
本書が出たきっかけは、現在(2021年6月時点)公開中の映画『僕が君の耳になる』(外部リンク)にある。YouTubeで再生回数1,000万回を突破したアーティストHANDSIGNの同タイトルである楽曲の映画化だ。
ろう者と聴者のカップル数組の実話を元にしたもので、三浦さんと忍足さん夫婦のエピソードも盛り込まれている。
音のない世界に恋をした!好きな人のことは何でも知りたい
この映画に三浦さん、忍足さんは出演しており、三浦さんは作品内での手話指導も担当した。
好きになった女の子がろう者であったため、主人公の青年は手話を独学する。年齢や設定は違えど、三浦さんと忍足さんの場合と同じだ。
三浦さん「正直に言います、僕の一目惚れです。共通の知人に紹介された瞬間、この人だと直感しました。その後、僕が所属する演劇集団キャラメルボックスの『嵐になるまで待って(2002年)』に忍足が客演した際、地方公演先の神戸で映画に誘いました」
『我が家は今日もにぎやかです』の帯にもあるとおり、三浦さんには「聴こえる・聴こえないは関係なかった。ただ、彼女のことが知りたい、彼女が見ている、感じている世界を知りたいだけだった」と話す。
「音のない世界ってどんなところ?」と三浦さんは興味が湧いてたまらない。その思いが通じ交際に発展したが、7カ月後、忍足さんから「さよなら」を告げられた。
当時を振り返って忍足さんは言う。
忍足さん「ろう者はろう者と結婚したほうがいいと思い込んでいました。初めは手話に積極的でも、時間が経つと共に興味を失う聴者はたくさんいますから」
傷ついてきた記憶が彼女を押しとどめてしまった。
音信不通の6年間を経て、2人は再会する。三浦さんは手話を忘れていなかった。離れている期間に「手話で歌う=手話ソング」という活動を仲間と始めており、むしろ上達していたかもしれない。
忍足さん「手話を忘れていなかったんだ、と驚きました」
そして2人は結婚。優希ちゃんという愛娘も誕生し、にぎやかな毎日を送っている。
聴こえないだけで「心も体も健康です」と演技で表現したい
新型コロナウイルスの影響で、映画『僕が君の耳になる』の上映は延期に次ぐ延期の憂き目に遭ったものの、少しずつ上映が始まっている。
先日は沖縄県の「シアタードーナツ」にて舞台挨拶もできた。
2人は映画の撮影現場を振り返る。
忍足さん「主人公のろうの女の子・美咲を演じた梶本瑞希(かじもと・みずき)ちゃんは、これが初めての演技です。私も未経験からオーディションを受けて『アイ・ラヴ・ユー』(1999年)で映画デビューしたので、思い出して共感しました。その頃はろう者が演技を学ぶ場はなく、勉強できない。自分で考えてやるしかなくて、怒ったり、笑ったり、私にとっては泣くのが一番難しくて。瑞希ちゃんは頑張りました、とても良かったです」
撮影は台詞の無いシーンから始まった。これは、忍足さんの時も同じだったそうだ。
三浦さんは手話指導のためクランクインから付き添った。
三浦さん「道を聞かれても気付かずに歩いていくだけのシーンで、瑞希ちゃんはガッチガチでした。何度も撮り直して本人も凹んだだろうし、周りも心配しましたが、次に忍足と会話するシーンに移ると、途端に2人でぺらぺらと手話べり(手話でのおしゃべり)を始めたんです。会話の中身はアドリブで、好みの男性のタイプとかを言い合っている。手話が分かるのは僕だけだから、監督もスタッフもちんぷんかんぷんの中、笑いを堪えるのに必死でした(笑)」
そこから伸び伸びと演じられるようになり、ラストの泣くシーンでは、「『目薬じゃなく、本物の涙を使いたい』という監督の要望に、瑞希ちゃんは見事に応えました。カメラに映っていないところで主人公・純平役の織部典成(おりべ・よしなり)くんが一生懸命に手話をやって、瑞希ちゃんに思いを伝えていたから、その姿に泣けたんじゃないかな」と、三浦さんは考察する。
かつて『愛していると言ってくれ』『星の金貨』など、ろう者が出てくるドラマの影響である種の手話ブームが起きた。
「けれど、あれは、ろう者をかわいそうな存在として扱い、ろう者の役も悲しそうに演じられていた」と忍足さんは回想する。
実は、忍足さんが女優を目指した理由には、「ろう者の間違った認識が世の中に広まるのを止めたい。聴こえないだけで体も心も健康だし、生活にも困っていないことを、自分の演技で表現したい」という強い信念があったから。
そして、今、ろう者を取り巻く社会は少しずつ変化しているのでは、と三浦さんは感じている。彼に手話指導の依頼も増えているそうだ。
三浦さん「手話を扱った人気漫画をミュージカル化した舞台で、手話指導をしています。これがキュンキュンできるラブストーリーなんですよ。昔みたいなお涙頂戴はなし。彼が見ていないところで『好き』の手話をしたり、彼女が目をそらした隙に『好き』と言って伝わらなかったり。普通のカップルのキュンキュンなんだけど、聴こえる・聴こえないによってさらに愛が表現できていると思います」
さらに三浦さんは、「特に若い世代で、障害者とされる人々への理解や認識が進んでいるんじゃないかと。幼稚園で手話のお遊戯をしたり、手話クラブがあったりと、幼い頃から手話に接してきた世代なんですよ。だからこそ、HANDSIGNのYouTube動画(外部リンク)もヒットした。いくら動画ばやりでも、ちょっと前ならこんなにブレイクしなかったと思います」と分析する。
忍足さん「電車の中や、街を歩いている時、手話を変な目で見られることが減りました。私たちより上の世代は固定概念が強く、差別的でした。『手話なんて猿まね、みっともない』と言われたり、『病気がうつるからやめなさい』と子どもを叱る親もいて。聴こえないのは病気じゃないのに、差別やいじめがたくさんありました」
天然キャラと言われる天真爛漫な今の彼女からは想像できないほどの辛い経験を超え、真っすぐに生きてきたのだ。その姿勢はリスペクトに値する。
忍足さん「ろう者が苦手とする『てにをは』も、漫画で勉強しました。本も読みました。小学生のときは毎日作文も書いて、みんなに下手だと言われて悔しくて。負けるもんかと努力しました」
お互いの「当たり前」と「違い」を知って歩み寄るのは、みんなと一緒
そもそも、初対面から三浦さんは忍足さんを全く特別視しなかったと言う。
「昔から、障害者とされる人に何も感じなかったですね。もしかして、子どもの頃に死にかけたせいかも……」と、三浦さんの口から思いがけないエピソードが出てきた。
三浦さん「幼稚園の年長さんの時、突発性血小板減少性紫斑病(とっぱつせいけっしょうばんげんしょうせいしはんびょう※)という血液の病気で死にかけました。小さな傷でも血がドバっと溢れる症状ですが、本人は痛くも痒くもないから、1カ月の入院が退屈で。その時の同室に、片目からしか涙が出ない女の子、血が止まらない男の子、複雑骨折をして足がなくなったお兄ちゃんと、いろんな状態の人がいました。でも、違和感はなかったですね。二十歳までは年一回の検査が必要でしたが、野球をしていたのもあって体格がいいから、血液の病気で今も献血ができないなんて、誰も信じてくれないですね」
- ※ 血小板減少を来たす他の明らかな病気や薬剤の服薬がなく血小板数が減少し、出血しやすくなる病気
「ある意味、私より三浦さんの方が不健康よ」と忍足さん。その言葉を象徴するエピソードがもう一つある。
6年前、三浦さんは激しい腹痛に襲われた。盲腸が破裂して腹膜炎を起こしたらしい。最初の病院ではお腹の風邪だと誤診され、絶対にやってはならないマッサージをして容態が悪化。救急車を呼び、緊急搬送、緊急手術となった。
盲腸が破裂するまで我慢した忍耐力もすごいが、本来なら3週間~1カ月かかる入院を、懸命なリハビリにより10日間で切り上げたというから強靭的だ。
ドラマの撮影が入っていたためだと言うが、忍足さんはどれほど心配したことか。
ところが、「バカだなと思いました。そんなに痛いなら病院に行けばいいのに行かないから結局こうなっちゃった」と忍足さん。2人の話には必ずオチがつく。
忍足さん「これからもけんかは続くでしょうが、新しいネタはいっぱいあるので、続編が書けたらいいなと思います」
三浦さん「夫婦で手話の本を作りたいですね。例えば、ビール、ハイボール、ラーメンの手話。『ラーメン、つけ麵、ときたら、ぼくイケメンってどうやるんですか?』と僕らの手話教室の生徒さんにも聞かれますが、イケメンの手話もあるよ~、と言うと絶対に覚えてもらえますよ」
「『ありがとう』『お疲れさま』『よろしく』『また会いましょう』。そんな毎日使う手話から覚えてもらえたらうれしいです。たくさん覚える必要はないんです、お話ししたい、その気持ちが大事ですから」と、最後に忍足さんは教えてくれた。
聴者の当たり前は、ろう者の当たり前ではない。もちろんその逆もまた真なりで、聴者同士、ろう者同士でもそうしたことは起こり得る。
お互いの「当たり前」と「違い」を知りながら歩み寄りを重ね、それが時に「ボケ」と「ツッコミ」になる絶妙な夫婦なのだ。
撮影:坂野則幸
〈プロフィール〉
三浦 剛(みうら・つよし)
1975 年7 月18 日生まれ、奈良県出身。小学校から大学卒業まで野球(ピッチャー)に打ち込み、その後俳優の世界へ。演劇集団キャラメルボックス 所属。演劇と音楽のコラボユニット「3☆COLLARS」や手話ソングライブ「ミュージックサイン」でも活動する。
株式会社キューブ 三浦剛 公式ページ(外部リンク)
忍足亜希子(おしだり・あきこ)
1970 年6 月10 日、北海道千歳市出身。特技はハワイアンキルト(出展経験有)、日本手話、国際手話。普通自動車免許、スキューバダイビング資格取得。1999年映画『アイ・ラヴ・ユー』で主演女優としてデビュー。以後、映画、舞台、ドラマで活躍。
株式会社テンダープロ 忍足亜希子 公式ページ(外部リンク)
『我が家は今日もにぎやかです』(外部リンク)
忍足亜希子&三浦剛。ろうの女優と聴者の俳優の夫婦。出逢って、恋に落ちて、結ばれて、家族となって…。ろうの女優と聴者の俳優、そして9歳の愛娘の日々のつれづれが、一冊の本に。どこにでもある夫婦のストーリーだけれど、どこにもない家族のストーリー。ドラマティックで、何気なくて、とっても賑やかな三浦家の毎日を、3人の視点から紹介している。
- ※ 掲載情報は記事作成当時のものとなります。