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誰もが「自分らしく生きられる」社会に。手話授業に込めた子どもたちへの想い、願い
- 世界の20人に1人は聴覚障害者、100人に1人が手話を日常的に用いている
- 府中市立若松小学校では手話授業を取り入れ、「障害」への理解促進に取り組んでいる
- 手話授業を通して、子どもたちが多様性を受け入れ、互いに思いやる気持ちを育む
取材:日本財団ジャーナル編集部
手話は、ろう者(※)にとって大切な言語である。
- ※ 聴覚障害者の中で、日常的に手話を用いている人
2006年に国連総会で採択された障害者権利条約で「手話は言語である」と明記され、日本でも2011年に障害者基本法の中で手話の言語性が認められている。しかし、理解が十分に浸透しているとは言い難く、いまだにろう者が生活のさまざまな場面で手話でのコミュニケーションに困るケースは多い。
そのような背景の中、日本財団では、AI(人工知能)を活用した手話学習ゲーム「手話タウン」(外部リンク)を、2021年9月23日の「手話言語の国際デー」に正式リリース。本ゲームは、より気軽に手話の学習を始められる教材として、香港中文大学と共同で開発を進め、Google、関西学院大学の協力のもと完成させた。
その「手話タウン」が、府中市立若松小学校(東京都)(外部リンク)の4年生の授業で採用された。同小学校では、2021年3月に「府中市手話の普及及び障害者の意思疎通の促進に関する条例」が制定されたのを機に、年間を通して手話授業を行うカリキュラムを組んでいる。
今回、「手話タウン」を用いた手話授業の様子をお届けすると共に、校長の小林力(こばやし・りき)さんに手話授業に取り組む理由、子どもたちへの想いについてお話を伺った。
いつでもどこでも手話を使って話せる世の中に
手話授業は5時間目・6時間目の総合的な学習の時間(※)を使い、体育館に集まった約110人の子どもたちに向けて行われた。
- ※ 児童が自主的に課題を見つけ出し、探究的な見方・考え方を働かせることで、課題解決のための資質や能力の育成することを目的とした探究学習の授業
講師を務めたのは、「手話タウン」の開発をけん引した日本財団職員の川俣郁美(かわまた・いくみ)さん。彼女は3歳の時に高熱を出し、ろう者となった。現在はろう者として手話を広める活動に取り組んでいる。
「世界には聴覚障害者が何人ぐらいいると思いますか?」
5時間目の授業で、川俣さんはクイズを取り入れながら、子どもたちに聴覚障害者とろう者の現状について語り始めた。
「世界には人口の20人に1人ほどの割合で聴覚障害者がいると言われています。これは高齢になってから聴こえが悪くなった人も含まれています。では、ろう者はどれくらいいるかというと、100人に1人ほどの割合でいると言われているんです」
川俣さんは、聴覚障害者が言葉を学ぶ大変さに触れた。
聞こえる人の場合、学ぶ手段や機会は多く存在する。幼い頃から家族や兄弟の言葉を真似したり、テレビから学んだりして、言葉を自然に習得していくことが可能だが、聴覚障害者の場合はそれが難しい。どうしても言葉を学ぶハードルが高くなってしまうと言う。
しかし、川俣さんは「その代わりに、聞こえない人には見える言葉『手話』がある」と語る。手話を学ぶことで、目で見ながら自然に言葉を身に付けられる。耳が聞こえない人にとって手話は、とても大事な学習手段なのだ。
ただ現状、手話を学ぶ機会はとても少ない。たとえ学べたとしても、自分の手話が本当に伝わるのか確かめる機会も必要だろう。
そんな課題に応えるのが「手話タウン」だと、川俣さんは話す。
「手話タウンの良いところは、誰でも気軽にゲーム感覚で手話を学べるところです。またAIが人の動きを読み取り、正しい手話の動きをしているのかを判断してくれるので、自分の手話がちゃんと相手に伝わるのかも確認できます」
川俣さんは「手話タウン」の開発に込めた思いを、子どもたちに伝える。
「私はこの手話タウンで、たくさんの人に手話を楽しく学んでもらえたらいいなと思っています。そして手話で簡単な会話ができる人を増やしたい。ろう者がいつでもどこでも手話で話せる社会にできればと考えています」
5時間目の授業の終盤、子どもたちから「どうして手話を使う人は口や顔を使うんですか?口や顔の動きは重要なんですか?」という質問が寄せられた。
手話は「手」を使って言葉を表現するというのが一般的な認識だろう。口や顔の動きを使うことの意味について、川俣さんは答える。
「とても良い質問ですね。手話には口や顔の動きをセットにしないと、違う意味になって伝わってしまうことがあるんです。例えば、『とても遠い』という言葉を表現する場合、口語で話すときは『とても』という言葉を付け加えることで、距離の長さを表せますよね?手話の場合は、それを口の動きや目の細め方と合わせて表現します。『とても遠い』を表す場合は、目をできる限り細めて口も大きく開けます。私の場合は、眉もハの字になりますね」
川俣さんが語る手話の世界に、子どもたちは終始目を輝かせながら聞き入り、5時間目の授業は終了した。
「手話タウン」で広がる手話への興味関心
6時間目は「手話タウン」を使っての実技授業。ゲーム内では、手話が公用語の架空の町を舞台に、カメラに向かって実際に手話でアイテムを指示しながら、旅行に備えて荷物をまとめたり、宿泊するホテルを探したり、カフェで食べるものを注文したりと、いろいろなシチュエーションに沿った手話を身に付けることができる。
子どもたちはいくつかのグループに分かれて、「手話タウン」を体験した。
グループリーダーがメンバーをまとめながら、子どもたちは積極的にゲームにチャレンジしていた。スムーズにAIが読み取ってくれた手話もあれば、なかなか伝わらない手話も。みんなで、ああでもない、こうでもないと試行錯誤しながら、楽しそうに取り組む姿が多く見られた。
「手話タウン」体験後の子どもたちの感想はさまざまだった。
「分かりやすい」「ゲーム感覚で学べて楽しかった」という意見の他に、手話を勉強しているという児童が、自分の手話表現が間違っていたことに気付けたという感想も。
「とても楽しかった。でもそれより、自分の中で正解しているだろうと思っていた手話が細かい部分で違っていることに気付けてうれしかったです」
ここで「手話タウン」を体験した3人の子どもたちに話を聞いた。
――「手話タウン」を体験してみてどうでしたか?
ゆなさん:とても楽しかったです。普段私たちが使わない言葉も手話の問題として出てきたので、手話と合わせて言葉の勉強にもなりました。
こうたさん:僕も、とても楽しく手話を学べました。今日は短い時間だったけど、時間があればもっとやりたかったです。
ひろとさん:パソコンを使っていろんな手話を学べたことがとてもうれしかった。せっかく手話を学べたので、家に帰ってお母さんに教えて1日でもいいから手話で会話してみたいと思いました。
――学んだ手話の中で一番印象に残ったものは?
ゆなさん:「いちご」です。5本の指をくっつけて指先を鼻の頭に当てる動きでいちごを表現するなんて思わなかったので、びっくりしました。
こうたさん:僕の印象に残ったのは「上着」です。何度か手話でチャレンジしてみたけど難しくてなかなかクリアできませんでした。けれど友達と協力して上着の手話ができるようになってうれしかった。
ひろとさん:僕も食べ物を表す手話が印象に残りました。きっと家族も覚えやすいし、一緒にできるなと思ったので今日さっそくやってみたいと思います。
――学んだ手話をこれからどんなふうに活かしていきたいですか?
ゆなさん:いろんなところで使ってみたいなと思いました。でもまだ、知らない手話が多いのでこれからもっと手話タウンを使ったり、授業の中で学んだりしたいです。
こうたさん:家族に教えて、家で手話を使って話してみたいです。
ひろとさん:僕も家でどんどん使っていきたいです。もっとたくさん覚えたら、友達とも手話を使いながら話してみたいと思いました。
誰もが「自分らしく生きる」ことを受け入れられる社会に
手話授業を終え、校長の小林さんに話を伺った。「手話タウン」を用いた手話授業に、大きな手応えと、学びの形に対する可能性を感じたと言う。
「手話タウンを授業に活用し本当に良かったと感じました。手話授業に取り組む上で課題だったのは、子どもたちの『もっと知りたい、もっと学びたい』という思いに、どうやって応え続けていくかという点でした。個々が知りたいことに合わせて学びを提供するのが学校の役割ですが、手話についてはそれが難しいと感じていたんです。しかし、子どもたちが手話タウンを通して積極的に学んでいる姿を見て、『これなら彼ら自身でも手話の学びを深められるのではないか』と思いました」
若松小学校が手話授業に取り組み始めたのは、子どもたちに「多様性を受け入れる心」を持ってほしいという強い思いから。ただそのためには、心を育むための学びが重要だ。
「ゲーム感覚で学べる手話タウンは適しているかもしれない」と感じたという小林さん。また、1学期の終わりに子どもたちが書いた手話授業の感想も、「手話タウン」を取り入れる後押しになったそうだ。
「『手話をもっと知りたい』『手話を使って誰かに伝えたい』という声が多かったんです。私は、そんな彼らの気持ちを途切れさせたくなかった。だから、さまざまな角度から方法を探りました。そうして行き着いたのが手話タウンでした。現在は、GIGAスクール構想(※)によってタブレットが子ども1人に1台配備されていることもあり、手話タウンは子どもたちが手話を学ぶのに最適なツールだと感じました」
- ※ 文部科学省が推進する、小中高等学校などの教育現場で児童各自がパソコンやタブレットといったICT端末を活用できるようにする取り組み
また小林さんは、手話授業を通じて子どもたちの心や行動に変化が起きつつあるとも語った。
「当初、多くの子どもたちは、障害のある方を『かわいそう』と思っている節がありました。ただ授業を重ねていくにつれて『障害のある方もたくさん工夫をしながら自分たちと変わらず生活している』と気付く子どもや、『かわいそう』ではなく『自分に何ができるのか』を考える子どもが増えてきたんです。他にも、『自分も手話でろう者に言葉を伝えたい』という思いから、ろう者の講師に自ら積極的に手話を使って自己紹介している子どももいました。少しずつではありますが、いままでの活動は子どもたちに良い変化をもたらしていると実感しています」
そんな小林さんが目指す教育のビジョン。それは誰もが「自分らしく生きる」ことが受け入れられる社会を築くことだ。
「本校では、個別に最適化された学びを実現するため、自分に合った方法や手段で学習を進めていくことを当たり前にしていこうと考えています。そうすることで障害の有無や学習の得意不得意にかかわらず、無理せずに自分らしく生きることが受け入れられる学校になるのではないかと。そのためにも、これから地域全体で多様性を受け入れるような取り組みが増えてくれると良いですね。いずれは本校からそんな未来の実現に向けて力を発揮してくれる子どもが出てきてくれるとうれしいです」
そんな未来を実現させるため、家庭や地域の人たちができることは何だろう?
「大人が率先して多様性を受け入れていくことが重要だと考えます。子どもたちは、学校でさまざまなことを学び、友達の考えや価値観に触れ、葛藤しながら育っていきます。しかし、せっかく新たに自分の考えを見つけても、家庭や地域が多様性を受け入れる姿勢でなければ、子どもたちの考えは元に戻ってしまうでしょう。私は常々、『未来をつくるのは子どもたちだが、未来を変えるのは大人たちだ』と考えています。だから、保護者や地域の皆さんには、子どもたちの学びを応援し、変化を見守りつつ本気で後押ししていただければと」
多様性を受け入れる心。それは学校教育だけで育めるものではない。子どもは大人の背中を見て育つもの。だから、周囲の大人たちも一緒になって取り組むことが、誰もが自分らしく生きられる社会の実現への近道なのだ。
撮影:十河英三郎
- ※ 掲載情報は記事作成当時のものとなります。