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子どものための終末期ケアがなぜ必要か?ノンフィクション作家・石井光太さんに問う

写真:ファインダーに笑顔を向ける石井光太さん
貧困やネグレクトなど子どもの問題を描いてきたノンフィクション作家・石井光太さん
この記事のPOINT!
  • 難病の子どもたちのQOL(クオリティ・オブ・ライフ「生活の質」※)は、医療だけで補えない現状がある
  • 医療と子どもホスピスが連携することで、難病の子どもとその家族の選択肢が広がる
  • 人の多様な思いを寛容に受け止める社会が前向きな変化を生み、子どもたちの支援にもつながる
  • 物理的な豊かさだけでなく、精神面を含めた生活全体の質を高めること

取材:日本財団ジャーナル編集部

貧困、いじめ、虐待。作家の石井光太(いしい・こうた)さんは、社会に横たわるさまざまな課題をテーマにしたノンフィクション作品を多数手掛けてきた。

2020年に刊行した書籍『こどもホスピスの奇跡-短い人生の「最後」をつくる』(新潮社)(外部リンク)では、大阪市鶴見区に日本で初めて誕生した命を脅かす病気(LTC※)を抱える子どもたちのための民間ホスピス「TSURUMI こどもホスピス」(外部リンク)を取材。長い闘病の末に病院内で人生を終えることも少なくない難病の子どもたちの現状や、彼らの夢や願いを守ろうと尽力する医療関係者・保育士・保護者たちの葛藤、それらがどう結びついてホスピス誕生へとつながっていくのか、運営開始後の奮闘も含めて克明に綴り、第20回新潮ドキュメント賞(2021年)を受賞した。

  • LTC(Life-threatening condition)とは早期の死を免れることが困難な病気の総称。日本に約15万人いると言われる難病の子どものうち、生命を脅かされる病気を伴う子どもの数は2万人と言われている
写真:『こどもホスピスの奇跡-短い人生の「最期」をつくる』の表紙
『こどもホスピスの奇跡-短い人生の「最期」をつくる』(新潮社)

一般にホスピスと言えば「死を迎える人を看取る場所」というイメージがあるが、この「TSURUMI こどもホスピス」の役割は、社会から隔絶されやすい難病の子どもたちが、有意義に「生きる」ためにある。学びや遊び、家族や友人と過ごすひと時の提供など、「やってみたいこと」「実現したいこと」を一つでも多く叶えるため、医療・教育・保育の専門家を中心としたスタッフによって運営されている。

開業にあたっては日本財団と株式会社ユニクロが共同で建設費と運営費の支援を実施、経営は企業や個人からの寄付金によって支えられており、生命が脅かされた病態にあたる18歳以下の子どもなら誰でも無料で利用できる仕組みだ。

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2016年に4月に開業した日本初となる子どものための民間ホスピス「TSURUMI こどもホスピス」。提供:公益社団法人こどものホスピスプロジェクト

過去4年にわたる取材と、今も続く当事者たちとの関わり合いの中で感じた「TSURUMI こどもホスピス」の可能性とは。そして難病を抱える子どもたちに対して私たち一人ひとりに何ができるのか。石井さんに話を伺った。

社会は難病の子どもたちのQOLを見過ごしてはいないか

――なぜ「TSURUMI こどもホスピス」を取材しようと思ったのか、そのきっかけについて教えていただけますか。

石井さん(以下、敬称略):2016年のオープンから1~2カ月後、ある雑誌の取材のために訪問したのが「TSURUMI こどもホスピス」を知ったきっかけです。そこで関係者の方たちからお話を聞くうち、大きなショックを受けた点が2つありました。

1つが、難病の子どもたちにとって教育を受けることには非常に重要な意味がある、という点です。彼らは入院をきっかけに、学校にも満足に通えないまま社会から切り離されて多くの時間を過ごします。院内学級などで得られる「ABCを覚えた」「I have a penが書けるようになった」という学びの過程が自分自身の成長を実感できる貴重な瞬間で、それが生きている証となり、将来へと夢を描く力の源にもなっているんです。勉強や学校と聞くだけで「面倒くさい、できれば行きたくない」と思いながら育った僕には、勉強が生きる力になるとは想像もできないことでした。

2つ目が、難病を経験した子どもは自殺率が高いという点です。その理由は複合的で、たとえ治療が成功したとしても障害や後遺症が残った、学歴も職歴もなく社会に溶け込めない、などの問題があります。また、長きにわたる子どもの闘病をきっかけとした家庭内不和や貧困という要因も。「病気が治って終わり」ではなく、その後も彼らは心身に多くの負担を抱えて生きていかなければいけないんです。

こういった事実に触れた時、いかに僕たちが「当たり前」だと思っていることが当たり前ではないのか突きつけられた気がしました。そこで彼らの目線で世の中を見てみれば、よりこの社会の多様な姿が浮かび上がってくるのではないか、と取材を開始したのです。

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難病の子どもたちの現状について語る石井さん

――難病の子どもたちが過ごす現状を目にして、どのような印象をお持ちになりましたか。

石井:痛々しいですよ。体中にチューブを付けている子もいれば、頭にできたガンが膨れあがって頭が2個あるように見える状態の子もいます。しかしその痛々しさは外見の話で、彼らが発する言葉は「どこから来たの?」「これ僕のゲームなの、いいでしょう!」とか、ふつうの子どもたちと全く変わりません。内面にあるのは、お父さん・お母さんと一緒にいたい、お友達と遊びたい、という子どもが抱く当たり前の願いで、それらが全て難病によって閉じこめられていることに胸が苦しくなりました。

病気が痛ましいのはもちろんですが、医療の人的リソース不足や患者の健康管理に対する責任問題など、社会の仕組みが子どもたちを小児病棟に閉じ込めていることも苦しさの理由です。病院にとっては子どもから病気を取り除くことが最優先されるのは当然のことです。しかし、それは子ども一人一人の生活の質を高めることにはなっていない。ならば、われわれ社会の側が難病の子どもたちのQOL向上にベストを尽くせているか? と考えると、決してそうとは思えませんでした。そういった意味で、命を脅かす病気を抱えた子どもたちのやりたいことを叶える「TSURUMI こどもホスピス」の誕生には大きな意義があると感じました。

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先天性の病のためまだ遠出をしたことがない子どもとその家族がホスピスに宿泊した際に用意されたスペシャルディナーの様子(撮影:2021年7月)。提供:公益社団法人こどものホスピスプロジェクト

――「TSURUMI こどもホスピス」ができたことで、子どもたちのQOLはどういった点で改善が期待されるのでしょうか。

石井:医療が行うのはあくまで治療ですから、できることが限られます。例えば今回のコロナ禍のような場合、病院は誰に対しても面会時間の制限を行わざるを得ません。当然難病の子どもたちの孤独感は高まるでしょうし、QOLは低下すると言えるでしょう。これは医療という枠組みの中ではやむを得ないことでもあります。しかしホスピスであれば、一人一人の体調や感情の変化、要望に寄り添ったマニュアル的ではない対応が可能になります。

本の中でも触れていますが、「TSURUMI こどもホスピス」の副理事長で、大阪市立総合医療センターの副院長である原純一(はら・じゅんいち)先生を筆頭に、当初は医療の現場を変えようという働きかけも起こりました。しかもそれを病院の中ではなく、病院と切り離したところに民間のホスピスをつくって双方が連携するという発想で進めた。これはとても適切な方法だったのではないかと思います。

医療、教育、法律。子どもホスピスの誕生が社会を変えるきっかけに

――子どもホスピス誕生から5年が経ちましたが、社会にどのような変化が生まれていると感じますか?

石井:まず、命を脅かす病気を抱えた子どもたちでも安心して学んだり遊んだりできる場が生まれたことが、子どもとそのご家族の生活の質を上げる助けになったことは間違いありません。同時にこのホスピスの誕生は、「難病の子どもたちのQOL」という課題を社会に対して訴えかける役割を果たしている、とも僕は考えます。なぜこういった施設が必要なのか。病院だけでは十分なQOLを保障できないので、外部が補う必要がある。その運営は医療や企業の別を問わず地域社会が一体となってやっていくことだ。「TSURUMI こどもホスピス」はそういうメッセージの象徴としても機能しているんです。

また、「日本初の民間子どもホスピス」であることは、地域の人たちや企業、大学あるいはメディアなど、ここを拠点としてさまざまなつながりを生む「ハブ」の役割も果たしています。1982年にイギリスで世界初の小児ホスピス「ヘレン&ダグラスハウス」が誕生し、そこから民間ホスピスが次々と生まれたのと同じように、2021年に横浜にも子どもホスピスが誕生しましたし、東京や北海道、九州でもそういった動きが進んでいる。今後はホスピス同士の横のつながりが生まれ、双方に知識を補完したり、相乗効果で高め合ったりすることもできるようになるはず、と期待しています。

こうして子どもホスピスの認知度が上がっていけば、医療側の認識も変化していくでしょう。これまでは小児病棟に閉じこめて治療に専念するしか方法がなかった病院側にも、ホスピスと連携するという新しい選択肢ができるからです。そのことは医師やソーシャルワーカー、さらには院内学級にも影響を及ぼすはずですし、最終的には法律の在り方を見直すことにまで波及していく可能性が考えられます。

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コロナ禍の中、感染対策を徹底して開催されたアドベンチャーワールド共催によるイベントには地域の人々も参加。難病の子どもたちの存在を広く知ってもらうのもホスピスの大切な役割だ(撮影:2021年10月)。提供:公益社団法人こどものホスピスプロジェクト

――難病の子どもを持つ家族にとっては、この子どもホスピスがどのような影響を与えているのでしょうか。

石井:原先生は「これから自分の子どもが亡くなってしまう、と知った親御さんは、自分の選択がどういう結果を生むのか分かるはずがない。だから子どもたちの死を経験している僕たちがきちんと説明をしなければいけないんだ」と常々おっしゃっていました。ですから可能なかぎり延命するという手段だけでなく、自宅に戻って残された時間を家族と過ごすなど、それ以外の方法も伝えてきた。

しかし、家族が病院から離れて子どもと残された時間を楽しむことを決めたとして、どこでどうやっていいか分からないことが多い。医師の方も病院の外のことにまでがっちりと関わることは難しい。そんな時に、ホスピスができたことによって、ホスピスの職員や難病を抱えた親同士の関わりなど、医師以外いろいろな立場の人たちに支えてもらえるようになった。例えば親御さんが「子どもと一緒にキャンプをしたい」と思っても、どこなら安心なのかが分からない。そこでホスピスが「うちの庭でやりましょう。道具は揃っていますし、専門知識を持った看護師や保育士もいます」と言えば安心して利用できます。また、ご家族やご遺族の集まりもありますから、実際に難病の子どもを持つ親御さんから、自分が子どもに何をしてあげたかったのか、どういう最期を迎えることで死を受け止めることができたのか、など実際の体験を聞くこともできます。ご家族にとっての判断材料や選択肢が増えたという点も、このホスピスの大きな影響ではないでしょうか。

写真:子どもを亡くした親御さんとホスピスのスタッフたち
ホスピスでは子どもが亡くなった後も家族やきょうだいが望む限りつながり続ける。提供:公益社団法人こどものホスピスプロジェクト

――親御さんをはじめ、医師や看護師、保育士や起業家など、さまざまな立場に置かれた当事者たちが長い歳月をかけ、このホスピス誕生に向けて動いたと耳にしました。

石井:彼らが世のため人のために行動した結果、と言いたいところですが、そう簡単な思いではないだろう、と取材をしていて感じました。というのも僕自身、何人もの難病の子どもにインタビューを行いましたが、その中にはもちろん余命わずかな子たちがいます。家にお客さまが来るのを喜んでくれたある子は、僕のためにお母さんと一生懸命ケーキを作ってくれました。ひとしきり話をして帰る頃に「次はいつ来るの?」と聞いてくる。おそらく「次」に会う時までその子は生きていないんです。それでも「また来るよ」と答えるのは、ものすごく心が苦しい経験でした。

それを思うと、医師や看護師などは、そうしたことが日常の体験としてあるんです。子どもたちからふとした拍子に、「もう病院から離れて友達と遊びたい」とか「これ以上つらい治療は嫌だ。学校へ行かせて」などと言われることがあるでしょう。彼らからすれば、そうした要求を一つ一つ聞いていたら仕事が回らないから、言葉を濁して業務を遂行するはずです。でも、無感情にそんなことができる人なんていませんよ。心が引き裂かれそうになり、どうにもならないもどかしさを抱えながら、職務を遂行しているんです。これは家族だって、親戚だって同じですよね。子どもの難病に関わる人たちはものすごく重たいものを背負っている。だからこそ、彼らはその重たいものを少しでも下ろすために、未来を生きる難病の子どもたちに向けて何かをしなければならなかった。それがホスピスの設立につながった側面もあったと思っています。

「TSURUMI こどもホスピス」の成功は素晴らしいことですし、これからも社会の中で一定の役割を担っていってほしい。同時に、その成功の裏側には病に苦しんだ子どもたちとその家族、つらい思いを抱えてきた医療従事者らがいるという事実もぜひ知っていただきたいと思っています。

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ホスピスの中庭でやりたかったテントでの宿泊を楽しむ子どもたち(撮影:2020年10月)。提供:公益社団法人こどものホスピスプロジェクト

――2020年から現在にかけて、新型コロナウイルスの流行がありました。子どもホスピスの運営に与えた影響を、どのように見られていますか?

石井:コロナ禍が新たな可能性に気付かせてくれた、という点では多大な影響があったと言えます。これまでは素晴らしい建物を活用し、いかに子どもたちを招いて楽しませるか、という活動が主でした。しかしウイルスの流行で子どもを呼んで働きかけることができなくなった。そこで初めて、ホスピスに来られない子たちにもできることがあるはず、という課題が見えてきたんです。

そもそも難病の子たちは動けないケースが圧倒的に多いわけですから、必ずしも「呼ぶ」ことにこだわらなくてもいい。コロナ禍以前は無意識のうちにやれることを狭めていたのかもしれない、という気付きが現場に生まれました。そこから、オンラインを活用して病室にいる子どもと一緒にゲームをするなど、現在も対面にこだわらない新しい方法の充実に力を注いでいます。

写真:左は、ホスピスからネットを介して難病の子どもとコミュニケーションをとるスタッフ。右は、パソコンの画面に表示された子どもたちへの出題
コロナ禍の中、オンラインで施設に来られない子どもたちのサポートを行うホスピスのスタッフ(撮影:2020年5月)。提供:公益社団法人こどものホスピスプロジェクト

難病の子どもたちの現状をいかに伝えるか

――お話を伺っていると、「TSURUMI こどもホスピス」の誕生まで難病の子どもたちのQOLを支える施設がなかったことが不思議に思えるほどですが、これまで実現しなかった要因はどこにあるのでしょうか。

石井:それにはさまざまな理由が絡み合っています。1つは日本の医療制度ではどこまでも治療が可能であるため、治療から看取りまで全てを病院がやることになりがちである、という点。また、日本だけでなくアジア全般で見られる傾向として、家族などの血縁者が患者の看病・介護を担ってきた過去があります。そのため今でも「子どもの看病は家族がやるべきだ」という考え方から外部に委ねるのに抵抗を感じたり、周囲が反対したりするなどのケースが見られます。加えてホスピスの運営をどう維持するか、という経済的な問題もあります。

「ヘレン&ダグラスハウス」のあるイギリスをはじめ、個人主義的な文化が浸透している欧米社会では血縁に重きを置きません。保険制度も日本ほど手厚くないので、どこかで切り捨てられる可能性がある。これは難病問題でも高齢者問題でも同じです。だからこそ、本当の意味での孤立を避けるために地域社会でコミュニティをつくる、というのが一般的な欧米社会の考え方です。そのため地域にはさまざまな民間団体があり、一定の力を持っています。そういった団体に寄付をする意識も高いと言えるでしょう。

日本は近代化を進める中で、家族の在り方や仕事の在り方が変わってしまいました。これだけ生活様式が欧米式になっているのに、いざ子どもが難病になった途端に昔ながらの日本のつながりでなんとかしてくれ、と言われても無理なんです。これからますます社会的な孤立が進行することを念頭に、コミュニティづくりやNPOの活用など、欧米型の支援の在り方を具体的に取り入れていく段階に来ているのではないでしょうか。

こういった現状を変える上での最も大きな問題は「難病の子どもたちが置かれている状況が知られていない」という事実です。「ホスピスができた」「亡くなっていく子どもたちのために活動している団体がある」という2~3分のニュース報道では、背景にある状況まではなかなか伝わりません。まず知ってもらわないことには議論の対象にも上りませんから、これは僕たち伝える側の人間の仕事であり、大きな責任だと思っています。

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難病の子どもやその家族にとって必要な支援について語る石井さん

――子どもの緩和ケアやQOLの向上といった問題に対し、私たち一人一人にできるアクションや支援についてアドバイスをいただけますか。

言葉をかけるにしても、ネットに記事を書くにしても、もちろん寄付をするのも、各々が良いと思ったことを行動に移すことが大切だと思います。というのも、何が力になるか、ならないかは患者さんやご家族によって本当に千差万別です。ある人にとっては無駄や迷惑に思えることが、ある人には大きな喜びや生きる勇気に変わることがある。そして誰かが思いを持って行ったことであれば、そんなに悪いようには受け取られないものだ、と僕は取材を通じて感じました。

ですから、人それぞれがやりたいと思ったことに対し「そんなものは邪魔だ」とか「こんなことに意味がない」と決めつけないことが大事です。そんなことしているうちに、子どもたちは元気を失ってしまう。逆に人の多様な思いを寛容に受け止める社会であれば、事前には想像できなかった前向きな変化も生まれやすくなるはずです。まずはそういう社会を僕たちが構成していくことが、何よりの支援になるのではないでしょうか。

撮影:十河英三郎

TSURUMI こどもホスピス 公式サイト(外部リンク)

〈プロフィール〉

石井・光太(いしい・こうた)

作家。1977年、東京生まれ。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。ノンフィクション作品に『物乞う仏陀』『本当の貧困の話をしよう』(共に文藝春秋)『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』(全て新潮社)など多数。また『蛍の森』(新潮社)などの小説、『ぼくたちはなぜ、学校に行くのか。』(ポプラ社)などの児童書も多く手掛けている。