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【災害を風化させない】人手不足に悩む被災地。福島県大熊町が地域を越えて挑戦する、未来を担う仲間づくり

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「大熊町を盛り上げたい」と地元内外の仲間づくりに取り組む大熊つなげ隊のメンバー
この記事のPOINT!
  • 東日本大震災と原発事故で被災した福島県大熊町では、深刻な人手不足が続いている
  • 地元内外の有志で結成された「大熊つなげ隊」では県外からも仲間を集い、まちの復興に取り組んでいる
  • 人と人をつなぎ、コミュニティを活性化し、みんなの「ふるさと」のようなまちを目指す

取材:日本財団ジャーナル編集部

東日本大震災で大きな被害をもたらした福島第一原子力発電所がある福島県双葉郡大熊町(おおくままち)。震災から10年以上が経った現在も、町内の半分以上が帰還困難区域となり、多くの住民が帰れない状態が続いている。

震災以降続く復興作業で、ハード面とも言える公共施設や住宅は以前のように戻りつつあるが、まちづくりを担う人手不足に悩まされている。

その状況を打破するべく、大熊町を一緒に支える仲間づくりのために地元内外の有志により2020年に結成されたのが「大熊つなげ隊」(外部リンク)だ。

画像:大熊つなげ隊の公式サイトの「大熊つなげ隊について」のページ
大熊つなげ隊の公式サイト

今回、大熊つなげ隊の中心メンバーである茨城県出身の平間一輝(ひらま・かずき)さんと、島根県出身の石倉達也(いしくら・たつや)さん、彼らと共に大熊町のまちづくりに取り組む地元出身の佐藤真喜子(さとう・まきこ)さんに、結成された経緯や、目指すまちの未来像について話を伺った。

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震災で活気を失った大熊町

平間さん「今の大熊町が抱える大きな問題は、町を活性化するための人やコミュニティが不足しているということです」

福島県大熊町は、東日本大震災で起きた福島第一原子力発電所の事故により、全町民が町外への避難生活を余儀なくされた。2019年4月に町内の一部の避難指示が解除されたが、2022年3月現在も町の面積の6割以上(※)が帰宅困難区域となり、まだ1万147人の町民のうち1割程度しか戻っていない。

  • 2022年春に新たに1割程度の帰宅困難区域が解除される予定

大熊つなげ隊の中心メンバーである平間さんと石倉さんは、知人のつながりで大熊町の存在を知り、現在の活動に至ったという。

平間さん「もともと私は、茨城県大洗町(おおあらいまち)で地域創生事業に携わっており、2020年にオープンしたばかりの大洗町の観光施設『うみまちテラス』の運営や、新しい観光コンテンツの開発、地域内のコミュニティを構築するなど、交流人口と関係人口(※)両方の創出に取り組んできました。大熊町での活動は、この町と関係を持つ知人からこれまでの知見や経験を活かしてコミュニティづくりをやらないかと話を持ちかけられました」

  • 移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域と多様に関わる人々を指す

石倉さんも元は島根県の職員を務め、現在は島根と県外の人をつなぐ関係人口づくりに取り組んでおり、平間さんとの共通の知人から声をかけられたそう。

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自身も東日本大震災で被災したという平間さん

平間さん「実際に大熊町を目にした第一印象は『人が少ない』でした。でも、大熊町を愛し、町のために何かを始めたいと考えている若者がたくさんいて、その人たちのお話を聞き、自分と同じ世代が熱意を持って町の復興に取り組む姿を見て、感化されたんです。自分が何か役に立てればと考えるようになりました」

実際に、復興庁が2021年11月に大熊町に籍を置く世帯代表者(5,135世帯/回答2,185世帯)を対象に行なった「大熊町住民意向調査」(外部リンク/PDF)では、29歳以下の帰町率が12.5パーセントと全世代の中で最も高く、多くの若者が元気な町を取り戻そうと復興に力を入れている。

石倉さん「出身者ではないからこそ、地元の人が考えているアイデアや夢がより魅力的に見えることもあります。そして、そんな風に感じるのは、決して私たちだけではないと思ったんです」

そうして、地元出身者にこだわらず県外からも人を集い、仲間づくりを行う大熊つなげ隊を結成したと話す。

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島根県からリモートで取材に参加した石倉さん

活動を通じて広がる、まちづくりの輪

大熊つなげ隊の目標はシンプルだ。

1つは、大熊町を担うプレイヤー的な存在を生み出すこと。そして、そんなプレイヤーのビジョンに共感し、応援する人たちを増やすことだ。

これまで、大熊町初の地酒「帰忘郷」のプロモーション活動や大熊町出身のピザ職人が講師を務める料理教室の開催など、ユニークなアイデアで応援の輪を広げてきた。

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震災後に生まれた大熊町の地酒「帰忘郷」と名産品であるいちごを使った「いちごセミドライフルーツ」
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大熊町出身のピザ職人を講師に招いて開催された料理教室

そして2021年12月には、まちづくりのための人材の獲得・育成を目指すプログラム「NEXT大熊~大熊未来創りワークショップ~(以下、NEXT大熊)」を開催。公式サイトやSNSでの募集を通じて世代や地域を超えた14名のメンバーが集まり、1カ月半にわたって大熊町を活性化させるためのアイデアづくりに取り組んだ。

平間さん「NEXT大熊では、まず大熊町出身の2人の若者の『思い』を実現するためにアイデアを出し合いました。一人は、大熊町の特産物でもあるキウイ農家を営む関本元樹(せきもと・げんき)さんのプロジェクト、もう一人は高校・大学で舞台芸術を学び、その経験を地元の町おこしに活かしたいと考えている、こちらにいる佐藤さんのプロジェクトです」

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演劇やアートの力で大熊町を盛り上げたいという佐藤さん

ワークショップはオンラインも活用し全4回にわたって実施。関本さんと佐藤さんがテーマオーナーとして加わり、2つのチームに分かれて話し合いが行われた。

石倉さん「1回目は、テーマオーナーの思いや大熊町について皆さんに知ってもらうための回、続く2回目では、その夢を実現するためのアイデアを出し合い、3回目で具体的に何をやるかを決定し、4回目で最終発表会を行いました」

実際には、それ以外にも複数回にわたってそれぞれのチームで打ち合わせが行われたと石倉さんは話す。また、運営である大熊つなげ隊とテーマオーナーの間でも、ワークショップを成功させるための打ち合わせを度々行ったという。

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第1回のNEXT大熊での記念撮影。初回では定員の10名を超える16名の人が参加した。提供:大熊つなげ隊

「4回という限られた回数の中でワークショップを実のある成果につなげるためには、テーマオーナーが中心となって意思決定をしていく必要があります。運営側では、そんなテーマオーナーをサポートし、回ごとのワークショップの議題や決断のタイミングなどアドバイスしました。また、プロジェクトの実施に備えて町の人の意見を伺うために、町役場の方もメンター(助言者)として加わってもらい、大熊町との連携を取るようにしました」

そうして、生まれた2つのプロジェクトについて詳しく紹介したい。

キウイ農家の関本さんを中心とするプロジェクトのテーマは「大熊町で生まれた特産品の味を離れてしまった出身者に届けるためには?」。

関本さんの家は大熊町で農業を営み、特産品であるキウイと梨を栽培していたが、震災後に避難のため千葉県香取市に移り住んだ。香取市で農業を再開するが父親が他界し、今は関本さんが受け継ぐ形で、大学に通いながら祖父と2人でキウイ栽培を行なっている。関本さんには、自分が手がけたキウイを、自分と同じ大熊町に帰れないでいる人たちに食べてほしいという思いがあった。ワークショップでは、そんなキウイをどのように届けるかが話し合われた。

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大熊町で暮らしていた時と同じ栽培方法で、千葉県でキウイ農家を続ける関本さん。提供:大熊つなげ隊
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農作業中の関本さん。提供:大熊つなげ隊

平間さん「はじめは、ドライフルーツやお菓子、スムージーなどに加工してという案が出ましたが、改めて考えてみると、関本さんのキウイは他の農園のものでは食べたことがないくらいすごくジューシーで美味しいんです。その理由を聞くと、農地の広さやキウイの木の間隔を調整して、もっとも美味しいキウイが育つように調整しているそうで。結局、そのまま食べてもらうのが一番良いという話になりました。まずは今年の夏祭りで地元の人に食べてもらえるようにしようと、今度チームの皆さんで関本さんの農園に行くことが決まっています」

取材にも同席してくれた佐藤さんを中心とするプロジェクトのテーマは「芸術文化で大熊町につながりを再びつくるためには?」。

佐藤さん「私は高校の時に演劇部に所属し大学では芸術文化を専攻して、舞台芸術をより深く学びました。2020年の大学卒業の時にコロナが蔓延し、それをきっかけに大熊町に戻ることにしたのですが、私が学んできたことをいつか地元に還元したいと思い、地元でイベントや空き家・空き地バンク事業などを展開する社団法人に就職。大熊町で初めての地酒となる『帰忘郷』のプロモーションを担当し、その折に大熊つなげ隊と出会ったんです」

大熊つなげ隊も関わった「帰忘郷」のプロモーション活動を通して絆を深めていった佐藤さんと、平間さん、石倉さんの3人。そして、自身の思いを実現するために、ワークショップへ参加することとなった。

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ワークショップでプロジェクトの内容を発表する佐藤さん(左から2人目)

佐藤さん「私たちのチームでは、大熊町の夏祭りと芸術を掛け合わせたアートフェス『くまフェス』の開催を企画しました。夏祭りは、震災を経験した大熊町民にとって人と人とのつながりを再構築するための大切なイベントなんです。アートや音楽を楽しみつつ、最後は盆踊りをみんなで楽しむ、みたいなことを考えています。みんなで時間と空間を共有し合いながら、町がまた一つになればいいですね」

現在、ワークショップのチームメンバーとは、どうすればより多くの人に芸術を楽しんでもらえるかを模索中だという。

写真:ワークショップの最終日の参加者、テーマオーナー、運営者による記念撮影
ワークショップの最終日には、多くの参加者が大熊町に集まった

大熊町をみんなの「ふるさと」に

大熊つなげ隊が本格的に活動をスタートしたのが2020年の10月のこと。他県の人間がまちづくりに関わることはどこの地域でも抵抗感を覚えるものだろう。大熊つなげ隊も当初はイベントを企画してもなかなか町内の認知が広がらず、鳴かず飛ばずの状態だった。しかし、これまでの活動の積み重ねにより地元内外の人たちと大熊町のつながりをつくり出してきたことで信頼を得て、いまでは愛称を込めて「つなげ隊」と呼ぶ町民もいる。

現在、NEXT大熊をきっかけに生まれた関係人口は16人。10代〜50代まで、学生、フリーランス、会社員、会社経営者、行政関係者といった、年齢も職業もさまざまな人たちと大熊町との絆を育んでいる。

平間さん「今の目標は、NEXT大熊で生まれた2つのプロジェクトを、まずは実現させ、成功させることです。そして、その経験をもとにさらにNEXT大熊を進化させ、もっと多くの人を巻き込んで町を盛り上げるプロジェクトを増やしていきたいです」

石倉さん「『ふるさと』の定義っていろいろあると思うのですが、私が考えるふるさととは、『自分のルーツを認識してくれる人がいる場所』だと考えています。大熊つなげ隊が人と人をつないでいくことで、大熊町をより多くの人のふるさとにしていきたいですね」

今では大熊つなげ隊のメンバー同様に活動に取り組む佐藤さんも、大熊町に感じる可能性について熱く語る。

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大熊町のこれからについて語る平間さん(右)と佐藤さん

佐藤さん「大熊町に帰ってきて、いつか地元に自分の学んできたことで貢献できればと考えていたのですが、その思いがこんなに早く実現できるかもしれないなんて。大熊つなげ隊のお2人や、これまでになかった視点を与えてくれたワークショップのチームメンバーには感謝しています。震災で大きな被害を受けた大熊町ですが、やる気に満ちた若者が多いこの町は、他の地域にはない可能性を秘めていると思います。この記事を見た皆さんも、そんな大熊町に、ぜひ足を運んでその可能性を感じてみてください」

人と人とのつながりが町に活力を生み出し、その活力がまた新たなつながりを生む。そうして大きな輪が広がっていくのだと、大熊つなげ隊の取材を通して強く感じた。まだ避難指示解除の目処が立っていない地域が多く残る大熊町だが、近い未来、たくさんの笑顔で溢れていることだろう。

撮影:十河英三郎

大熊つなげ隊 公式Facebook(外部リンク)

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