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【難病の子どもと家族、地域を紡ぐ】みんなが“ふつう”に暮らせる社会に。「うりずん」が大切にする地域とのつながり

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栃木県宇都宮市で難病児とその家族の支援に取り組む認定NPO法人うりずんの理事長・髙橋昭彦さんに取材
この記事のPOINT!
  • 全国に25万人以上いる難病児。うち約2万人が日常的な医療的ケアを必要としている
  • ケアに追われ、孤立しがちな難病児やその家族には、地域との関わりが大切
  • 「聴く・出向く・つなぐ」行動で人と人とが関わり、手を取り合うことで社会は変わる

取材:日本財団ジャーナル編集部

小児がんや心臓の病など、重い病気を抱え常に治療と向き合っている難病児は25万人。その中でも、呼吸器や経管栄養(※)など、日常的に医療的ケアを必要としながら自宅で生活している子どもは全国で約2万人いると言われ、私たちが住む地域のどこかでも暮らしている。

  • 経管栄養は、病気やけがなどの理由で口から食事を摂れない場合に、鼻や胃に開けた孔から管を入れて栄養を直接胃などに送るための医療処置のこと

難病児とその家族の毎日はとてもハードだ。子どもの命をつなぐために24時間休む間もなくケアに追われ、経済的な負担だけでなく、社会との接点をなくし、孤立してしまうこともある。

そんな難病児とその家族を支えるために、日本財団では「難病の子どもとその家族を支えるプログラム」(外部リンク)に取り組んでいる。中でも注力する地域連携のハブ拠点(※)づくり(外部リンク)は、全国各地に30拠点を設置するという目標を達成し、さらに活動の幅を広げている。

  • 医療、福祉、教育、母子保健、難病等に関する人、公的資源、サービス、取組みがつながり、難病の子どもと家族、きょうだいを支える拠点

今回は、2016年から5年間にわたってプロジェクトに携わってきた日本財団職員・中嶋弓子(なかじま・ゆみこ)さんと、中嶋さんの活動に大きな影響を与えたうちの一人、栃木県宇都宮市で難病児支援に取り組む認定NPO法人うりずん(外部リンク)の理事長・髙橋昭彦(たかはし・あきひこ)さんに、改めて難病児とその家族を取り巻く社会課題と、私たち一人一人ができることについて語っていただいた。

難病児と家族の暮らしに寄り添い、のびのびと過ごせる場所

中嶋さん(以下、敬称略):おかげさまで、日本財団の「難病の子どもとその家族を支えるプログラム」が掲げていた、2021年度までに全国に30カ所の施設をつくるという目標を達成することができました。この度、支援してくださった皆さんへのご報告を兼ねて4月15日にエッセイを出すことになったのですが、難病児支援事業に携わる上で髙橋先生やうりずんの皆さんには本当にたくさんのことを教えていただいたので、こうして改めてお話しできてうれしいです。

髙橋さん(以下、敬称略):うりずんは中嶋さんにとって、そんなに印象的でしたか?

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中嶋さんの活動に大きな影響を与えた髙橋さん

中嶋:はい。私がこのプロジェクトの担当になった2016年当時、日本財団では難病の子どもたちが最後の思い出をつくるためのキャンプ場や、看取りができる場所としての「こどもホスピス」の整備に力を入れていました。取り組みを進める中で「難病の子どもと家族を支えるってどういうことだろう?」「ホスピスとは何だろう?」と考えるようになり、たくさんの方にお話を聞く中で出会ったのが髙橋先生とうりずんです。

うりずんは庭が広く、柵がないので、外から中の様子を見ることができます。福祉の施設には閉鎖的な施設が多い中で、こちらは常に地域に開かれていて、地域の方が一緒に参加するイベントの開催など、挑戦的な取り組みをされているなと感じました。何より、子どもたちやスタッフの皆さんの笑顔がとても素敵で、「これがホスピスなんだ」「支えるってこういうことなんだ」と身を持って実感しました。

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温かい木材が印象的なうりずんの外観
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子どもたちの遊び場にもなる開放的なうりずんの外廊下、中庭

髙橋:日本では「ホスピス」というと、末期がんなどの方のための緩和ケア施設という印象が強いですが、本来の目的はそれだけではありません。海外には小児や認知症高齢者のケアなど、さまざまな方の暮らしを支えるホスピスが存在します。うりずんでは、重い障害のあるお子さんを預かることでご家族が休息されたり、あるいは介護から解放されて一緒に遊んだりすることができる「レスパイトケア」に力を入れています。

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うりずんを利用する難病の子どもたちと一緒に遊ぶスタッフ
写真:スタッフと一緒に勉強する難病の子どもたち
うりずんは未就学児から高校生まで幅広い子どもが利用する

中嶋:もともとホスピスは、ラテン語の「温かいおもてなし」を意味する言葉「Hospitium(ホスピティウム)」が由来と言われていますね。小児科医である髙橋先生がホスピスを始められたのには、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

髙橋:以前勤めていた大学病院から難病児の在宅医療の打診があった際に、24時間体制でのケアが難しくお断りをしたことがありました。でも、断った後もずっとモヤモヤしていたんです。そんな中で2001年にアメリカでのホスピス研修に参加し、マザー・テレサが創設したエイズ患者のホスピスで出会ったシスターの「目の前のことをやりなさい。そうすれば必要なものは自然と現れます」という言葉に背中を押されました。

さらに、その3日後です。9.11の同時多発テロ事件が起こったこの日の朝、私は世界貿易センタービルの近くにある研修先へ向かっていました。混乱と不安の中で、生まれて初めて「死ぬかもしれない」と思ったのと同時に「もし無事に日本に帰れたなら、自分がやりたいと思っていることをやろう」と心に決めたんです。この2つの出来事が私にとって大きな転機となりました。

地域との交流を重ね、関係を深めることの大切さを実感

中嶋:帰国されてから小児科・内科の外来診療と在宅医療を行う「ひばりクリニック」(外部リンク)を開業されたんですよね。

髙橋:はい、2002年にひばりクリニックを開業し、翌年から在宅医療を行うようになりました。その中で、重い障害や病気を抱えた子どもを24時間つきっきりで介護されているご家族の姿を目の当たりにしたのです。

親以外代わる人がいないご家族の厳しい現状を何とかしたいと思い、2007年から実験的に、難病のお子さんの一時預かりを始めました。ただ当時、宇都宮市には難病児を預かる制度も何もありませんから、事業としては大赤字です。行政に現状を訴えたところ、宇都宮市の障害福祉課の方がクリニックに来られて「この町に医療的ケアが必要な子どもは他にもいて、預かる場所がないことも承知している。新しい制度をつくりたい」とおっしゃったんです。そして本当に、翌年の2008年3月には「宇都宮市重症障害児者 医療的ケア支援事業」が創設されました。それで私も「自分がやるしかない!」と、うりずんを立ち上げたのです。

と言っても、運営のことは何も考えないで勢いで始めたうりずんですから、やはり当初から赤字続きでした。医療的ケアを必要とする子どもにはマンツーマンでスタッフを配置する必要があり、また体調も変化しやすいので急に利用がキャンセルになることも多かった。そこで社会的支援を得るために2012年に特定非営利活動法人を設立。それからは全国から寄付金も集まるようになり、何とか経営が安定するようになりました。

中嶋:髙橋先生の熱意がたくさん方の心を動かしたんですね。先生がうりずんを運営する上で、大切にされていることは何ですか?

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難病の子どもと家族に対する思いが綴られたパネル

髙橋:まず「開放的」であること。「うりずん」は沖縄の季節表現で、春と夏の間にある爽やかな風が吹く季節のことを言います。そんな開放的なうりずんの風に吹かれて、子どもたちにはゆったりと過ごしてもらいたいという思いで名付けました。施設の設計も玄関ホールを広く確保し、そこで人が集い、学び、遊べるように工夫しました。利用者の安全性などの面から福祉施設は閉鎖的になりがちですが、うりずんでは地域の方々と交流する機会をつくりながら、「こんな子どもたちや家族もいるんだよ」と知っていただくことを大切にしています。

世の中の多くの方は、重度の障害がある子どもや、人工呼吸器を付けている子どもに会ったことがありませんし、ましてやその子がどんな生活を送っているか想像することは難しいでしょう。私自身も理解しているのはごく一部ですが、地域連携のハブ拠点としての活動を通じて、子どもたちの経験が増え、スタッフも育ち、声をかけてくださる人々が増えると地域も変わり、難病の子どもとその家族を取り巻く状況も変わると考えています。

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開放的な玄関ホール。大きな窓からは中庭が望める
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ケアルームの天井には美しい青空が描かれている

中嶋:日本では、難病の子どもたちのような存在は「守ってあげなければいけない存在」という意識が強いと感じています。一方で、多くの難病の子どもや家族が「人に見られているような気がする」「人の視線が怖い」と感じながら暮らしていることも、課題だと感じています。うりずんのように、地域の人たちとつながり、難病の子どもとその家族が「当たり前」の存在として受け入れてもらうことはとても大切なことですね。

「聴く・出向く・つなぐ」行動が社会を変える

中嶋:髙橋先生は、これまでたくさんの難病の子どもやご家族と関わり、制度が整ってきた中で、いまはどんなことが課題だと感じていますか?

髙橋:制度が整備されてはきたものの、まだスタートラインに立ったばかりで、行政に出向いても、難病児について一から説明をしなければならないこともしばしばです。私の理想は、うりずんがなくても成り立つ社会です。どの家庭でも、保育園や学校でも、全ての子どもたちが一緒に育っていける社会。そのためには難病の子どもとそのご家族の現状を理解している人を集めてワーキンググループ(※)をつくり社会に向けて発信するなど、理解者や支援者を増やすための新しいアクションが必要だと感じています。

  • 特定の問題の調査や計画の推進のため設けられたグループ

中嶋:本当にそうですね。以前、髙橋先生にいただいた、子どもたちと家族の声を「聴く」、外に出ることが難しい人たちのために自ら「出向く」、関わり合うために人と人とを「つなぐ」という言葉が心に残っています。人は無力で、ひとりでは何もできないかもしれませんが、多くの人がつながり、手を取り合うことでできることがある。エッセイを通して、そんなことを伝えたいと思いました。

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うりずんのスタッフと中庭で遊ぶ子ども
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うりずんには子どもたちの素敵な笑顔であふれている

全ての子どもとその家族が“ふつう”の毎日を過ごせる社会に

中嶋:これまでに携わったプロジェクトを通じて、髙橋先生をはじめ、全国各地で素敵な方々がつながり始めています。まだ決して十分ではありませんが、次はこの30拠点の皆さんがつながることで大きなうねりが起きて、社会を動かす原動力になればうれしいですね。

髙橋:はい。日々の運営ももちろん大切なのですが、30拠点の皆さんにはそれだけにとどまらず、ぜひ他の拠点や地域の方とつながるために、勉強会やイベントなどいろんなことにチャレンジしてほしいと思います。収益にはならないかもしれませんが、各拠点が多くの方とのつながりを生むことで、難病の子どもとご家族を取り巻く環境は大きく変わるはずです。

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毎年開催しているうりずんふれあい祭り。舞台で歌う髙橋さん(写真中央)

中嶋:「難病児や家族を支える」と聞くと、寄付やボランティアが頭に浮かびますが、それだけじゃないと思うんです。私は難病の子どもとその家族だけに限らず、一人一人が頑張り過ぎずに「いま」という時間を「楽しむ」ことを大切にして生きられるようになれば、自然と社会もいい方向に変わっていくんじゃないかと思っていて。

髙橋:そうですね。日本には、古くから「ハレ」と「ケ」という概念(※)がありますが、この特別ではない「ケ」の日を紡ぐことが大切だと思います。「お友達と遊びたい」「電車やバスに乗って移動したい」「勉強したい」…こういう“ふつう”の暮らしが、どんな子どもたちも同じようにできるべきだし、そんな社会になってほしいですね。

  • 「ハレ」は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、「ケ」は普段の生活である「日常」を指す
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うりずんの象徴とも言えるけやきの木をモチーフにした「寄付の木」の前で、うりずんの理事長の髙橋さん(左)と日本財団の中嶋さん

髙橋さんと中嶋さんの対談の中で何度も出てきた「ふつう」の暮らし。病気や障害の有無にかかわらず、どのような状況にあっても、子どもたちは日々の暮らしの中でたくさんの刺激を受けながら学び、成長している。難病の子どもとその家族を特別視するのではなく、ふつうに関わり合いながら共に生きることで、一人でも多くの重い障害や病気を抱える子どもが「子どもらしくいられる」社会を目指していきたい。

撮影:十河英三郎

〈プロフィール〉

髙橋昭彦(たかはし・あきひこ)

1961年、滋賀県生まれ。1985年に自治医科大学医学部を卒業後、滋賀県で10年間地域医療に従事。その後、栃木県内の病院にて在宅医療に従事、在宅ケアのネットワークづくりに取り組む。2002年に小児科・内科・在宅医療専門の「ひばりクリニック」を開業し、2007年より人工呼吸器をつけた子どもの預かり事業を展開。2008年に医療的ケアが必要な重症心身障害児者の預かり施設「うりずん」を開設。2011年11月「医療の質・安全学会」においてうりずんの活動が第4回「新しい医療のかたち」賞を受賞する。2012年に特定非営利活動法人うりずんを設立し理事長に就任。日本小児科学会専門医。日本プライマリ・ケア連合学会指導医・認定医。2016年に日本医師会第4回赤ひげ大賞を受賞。
認定NPO法人うりずん 公式サイト(外部リンク)

中嶋弓子(なかじま・ゆみこ)

1986年、京都府生まれ。幼少期をアメリカで過ごし、5歳からガールスカウトでの活動やレモネードスタンドの出展を通じ寄付文化に親しむ。帰国後に留年や不登校、退学を経験。大学在学中にボランティアサークルを立ち上げ、フェアトレード商品の輸入販売や環境に配慮した学園祭、不登校児支援プログラム等を企画。卒業後は、オリンパス株式会社で海外営業やマーケティング業務に従事し、2014年より日本財団へ入職。2016年から「難病の子どもと家族を支えるプログラム」を担当。企業や行政、多様なセクターと連携しながら、国内外の先進地視察で得た知見を活かし、難病の子どもと家族のためのモデル拠点を全国30カ所に整備。延べ300団体を超える非営利組織の運営支援を行ってきた。

画像:『難病の子どもと家族が教えてくれたこと』の表紙
『難病の子どもと家族が教えてくれたこと』中嶋弓子 著/クリエイツかもがわ

『難病の子どもと家族が教えてくれたこと』(外部リンク)

難病の子どもと家族にわが家のように寄り添う「第2のおうち」、子どもたちが子どもらしくいられる場所、応援する人と応援される人の対等で心地よい関係づくり———自由に自分らしい未来を思い描ける社会づくりをともに。

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