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【家族を看る10代】就職・転職でぶつかる壁。ヤングケアラー協会・宮﨑成悟さんに聞く企業に必要な視点
- 企業側の無理解によって就職、転職活動でつまずくヤングケアラーは少なくない
- 企業側は、まずヤングケアラーの問題を知り、「公平な視点」で見る必要がある
- 必要なのは人との「強いつながり」と「弱いつながり」。一緒に過ごすだけで救われる人も
取材:日本財団ジャーナル編集部
家事、家族の介助、通院の付き添い、投薬の補助、金銭管理、感情面のサポート、きょうだいの世話、見守り、聞こえない家族や外国出身の親のための通訳――本来、大人が担うような家族の介護や世話を日常的に行う子どもたちは「ヤングケアラー」と呼ばれる。
彼らは「自分の時間」を確保しづらく、それがさまざまな場面で影響を及ぼす傾向に。勉強する時間が取れない、友達と遊ぶことができない、部活に専念できない、睡眠時間が確保できない……。そういった問題を一つ一つ解決するために、国や自治体でヤングケアラーの支援が急ぎ進められている。
ヤングケアラーたちがぶつかる大きな問題の1つに、「就職・転職」がある。中には家族のケアを優先するあまり、夢を諦めたり、キャリアを積むチャンスを手放さざるを得なかったりする人も。
一般社団法人ヤングケアラー協会(外部リンク)では、そんなヤングケアラーの就職・転職支援に取り組んでいる。代表を務める宮﨑成悟(みやざき・せいご)さんをはじめ、中心メンバーの全てが元ヤングケアラーであり、その多くが就職活動で困難にぶつかった経験を持つ。
今記事では、宮﨑さん自身の実体験から浮き彫りになってきたヤングケアラーを取り巻く社会課題について、お話を伺った。
介護を優先し、夢や仕事を諦めてしまう
ヤングケアラーたちが就職、転職時につまずいてしまう理由。それは大きく分けて2つあるという。
「1つは経験値が足りなくなってしまうこと。幼い頃からケアに時間を取られてしまうと、学びの機会を失ってしまうことがあります。これまでに出会ってきた人の中には、大学進学を諦めざるを得なかった人もいましたし、全日制の高校は難しいから通信制に通うことになったという人もいました。その結果、就職面で不利になってしまう。もう1つが、ケアと仕事の両立が難しいこと。本来はケアラー自身にも夢や目標があるのに、ケアとの両立を考え、自分のことを諦めてしまう。そうやってつまずいてしまうんです」
「諦めてしまう」という言葉。これはヤングケアラーが置かれている状況を語るときに、非常に重要なキーワードだろう。彼らはたまたまそういった環境に生まれただけで、誰も悪くない。しかしながら、社会は彼らのことを正しく認識してくれないことが多い。それが顕著になるのが、就職活動だ。
自身も「母親をケアするヤングケアラー」として育った宮﨑さんは、就職活動中、何度も無理解な言葉をぶつけられた。
「高校生の頃から母のケアをしてきて、それは大学に入ってからも変わりませんでした。他の子たちのようにバイトやサークル活動に励めなかったし、留学やボランティアに参加することもできない。結果、僕には就活でアピールできることが何もなかったんです。もちろん、自分自身では、学業と介護の両立を頑張っていたつもりです。でもそれを伝えると、人事担当者からは『なぜあなたが介護をするの?』『お父さんはどうしていたの?』『なぜ施設に頼ることができないの?』と言われてしまう。いまの自分だったらしっかり反論できますが、当時は何も言い返せませんでした。そして軒並み面接で落とされてしまって、大学のキャリアセンターに相談してみたんですが、するとそこでも『これまであなたがサボってきたからでは?』と言われてしまって……。本当に誰にも理解してもらえませんでした」
宮﨑さんの母親は「多系統萎縮症※」という不治の病に侵されていた。現代医学では治療が難しく、日に日に弱っていく母親の側で、宮﨑さんは賢明に支え続けてきた。
夜中に勉強していても、在宅用に購入したナースコールがなればすぐに母親の元へ駆けつける。ときには「もうしんどい、死にたい」と漏らす母の隣で一晩明かすこともあった。食事の準備や買い物、痰の吸引、体位変換といった物理的なケアだけではなく、落ち込む母親のメンタル面にもしっかり寄り添ってきたのだ。
- ※ 自律神経障害に加え、錐体外路系、小脳系の3系統の病変・症候がさまざまな割合で出現する進行性の病気
しかし、そんな経験が就職活動の場面で「どうしてそんなことを?」の一言で切り捨てられてしまう。この無理解が、ヤングケアラーたちを追い詰めている。
ヤングケアラーという言葉を知った時の衝撃
宮﨑さんが大学卒業後、なんとか苦労して入社したのは全国転勤のある医療機器メーカーだった。母親のことを考えると実家のある東京都内で働くのが望ましかったものの、転勤を拒否するような学生は内定すらもらえない。宮﨑さんも「全国どこへでも行きます」と豪語したことで入社できたのだ。そして案の定、入社後に配属されたのは、住み慣れた東京から遠く離れた京都だった。
「京都では3年間過ごし、その間は父や姉が母の世話をしてくれました。でも母の体調がさらに悪化したこともあって、やはり東京に戻りたいと思うようになったんです。結局、その会社は退職し、都内で転職先を探しました。見つかったのは介護系のIT企業。すごくホワイトな会社で、僕の体験も理解してくれるところでした」
そこでは副業やボランティア活動を推奨されていたこともあり、宮﨑さんは難病支援のボランティアに参加することを決めた。そこで出会った人から言われたのが、「宮﨑さんってヤングケアラーだったんだね」という一言だった。
「それまでヤングケアラーという単語自体知りませんでした。調べてみると『全国には17万人くらいのヤングケアラーが存在する』と出てきて衝撃を受けました。10代の頃、『どうして僕だけがこんな思いをしなきゃいけないんだ』と思う瞬間が多々あったんです。でも同じような境遇の人たちが大勢いる。それは安心感にもつながりましたが、同時に危機感も覚えました」
その危機感――つまり、「こんなに大勢のヤングケアラーがいるのに、何の支援も対策もない現状を変えなければいけない」という思いが、現在の活動につながっている。
特別扱いではなく「公平な目」で見てほしい
2019年に宮﨑さんはヤングケアラーや若者ケアラーの就職・転職支援サービスを行うYancle株式会社を立ち上げた。自身が就職で大変な思いをしたからこそ、その面でのサポートをしたいと考えた。現在、同サービスはさらに支援の幅を広げ、一般社団法人ヤングケアラー協会へと進化しているが、根本にある思いは変わっていない。
中心メンバーはみんな、元ヤングケアラー。それぞれに当事者としての体験を持つからこそ、いま大変な思いをしているヤングケアラーたちの気持ちを十分に理解できる。
ヤングケアラー協会の活動内容は次の6つ。
- 就職・キャリア支援
- オンラインコミュニティ運営
- 講演・研修会
- LINE相談窓口
- イベント企画運営
- ヤングケアラーコーディネーター
近年は自治体からの依頼も多く、ヤングケアラーを理解してもらうための講演・研修やイベントの企画・実施も増えている。
「オンラインコミュニティやLINE相談窓口などで吸い上げた当事者の気持ちは、社会の施策として活かしていきたいと考えています。それが全国に広がっていけば、より多くのヤングケアラーを支えられますから。一方で、当事者に寄り添う支援も続けていきたい。例えば就職・キャリア支援では、一人一人の当事者の話を聞きながら、キャリアプランを一緒に作っています。特定の企業を紹介し、つなげることもできるとは思いますが、それは逆にその人の選択肢を狭めることにもなりかねない。そうではなく、一緒に企業を探したり、履歴書や経歴書を書いたりすることの方が喜ばれるんです。最近ではケアの状況と本人の夢とを棚卸しして、『数年後にどうなっているのか』『家族とどう折り合いをつけていくのか』を話し合うようにしています」
しかしながら、企業側の理解不足はまだまだあるという。
「ヤングケアラーだからといって特別扱いして採用してもらう必要はないと思います。でも、やはり公平な目は持ってもらいたい。過去にはヤングケアラーの子が職場で家族の世話をするための休暇の相談をしたら、『うそをついているのでは?』と疑われてしまったケースがありました。20代の若者が介護で追い詰められる現状があることを、想像ができないんだと思います。僕が就活の時に面接官からぶつけられた質問の数々もそうですが、この社会には無理解からくる偏見が残っています。それを無くしていくことが先決だと思っています」
「弱いつながり」には誰もがなれる
宮﨑さんのような元当事者の積極的な発信や支援活動により、数年前に比べて「ヤングケアラー」という言葉は急速に広まっている。しかし、それは「誤った理解」が広まるリスクも内包している。
「メディアでの報じられ方も影響していると思いますが、ヤングケアラー=かわいそうな子どもたちという極端な見方はしないでほしい。中には学校にも通えないくらい追い詰められている子もいますが、ヤングケアラーってもっともっと幅広いんです。学校には問題なく通えている子だっていますし、まだケアラーかどうかも分かっていない子も存在する。じゃあ、彼らのつらさが軽いものかというとそうではない。一人一人異なるものなんだという正しい認識が広まってもらいたいですね」
就職・転職の場面に限らず、ヤングケアラーたちは無理解や誤解にさらされがちなのが現状だ。だからこそ、それをなくすために宮﨑さんは、自身の体験を交えながらヤングケアラーについて伝えようとしているのだろう。
では私たちは何をすべきか。ヤングケアラーについて知り、彼らのことを正しく理解すること以外に、何かもう一歩できることはないのだろうか。
「高校を卒業して大学に行くまでの2年間、僕は本当に孤立していました。母は要介護度5だったので、家には毎日のようにケアマネージャー、ヘルパー、訪問看護師、訪問介護士、訪問往診の先生などが引っ切り無しに訪れていたんです。でもほとんどの人が、僕の前を通り過ぎていくだけでした。『こんにちは』と言っては、一目散に母の元へ向かっていく。もちろん、それが仕事なので当たり前のことです。ただ、訪問往診の先生だけが違っていて、僕にちゃんと話しかけてくれていました。『最近、勉強はどう?』『ちゃんと寝られている?』とか。ある時は電話番号を書いたメモと一緒に『何かあったらいつでも連絡して』と言ってくれて、それが本当にうれしかった」
必死に介護しているのに、まるで“いないもの”として扱われているような気持ちになる。その無念さは想像に難くない。
「そしてもう1つうれしかったのが、大学生の頃に通っていたクラブで出会った仲間たちとの交流です。そこは夜11時くらいにオープンして早朝4時に閉まるところでしたが、その時間帯は母も寝ていたので、時々遊びに行っていました。でもそこにいる仲間たちには介護のことは一切話さなかった。何かを詮索されることもなく、ただ“ひとりの若者”としていられる場所だったんです」
これらのエピソードから宮﨑さんが伝えたいのは、「強いつながり」と「弱いつながり」の重要性だ。
「僕にとって訪問往診の先生との関係は『強いつながり』でした。介護のことを全てさらけ出して、何でも相談できる。一方でクラブでの仲間たちは『弱いつながり』です。介護のことなんて1ミリも話さず、その年代らしく過ごせる場所。ヤングケアラーにはこういったさまざまなつながりが必要なんだと思います。そして一般の人に何かできることがあるとすれば、それはきっと弱いつながりでいることなのかな、と。ヤングケアラーのことを決して特別扱いせず、その人が何か言い出すまでは黙って、ただ一緒に過ごす。この弱いつながりには非常に大きな意味があるので、『何かしたいけれど、自分には何もできない』と諦めるのではなく、そんなふうにつながっていてもらえるだけでありがたいなと思います」
いま、早急に解決すべき社会課題として見なされているヤングケアラー問題。しかし、その問題の複雑さを知れば知るほど、自分にできることなんてない……と感じている人も多いのではないだろうか。
でも、できることのハードルは思いのほか低いのかもしれない。宮﨑さんの言う通り、まずは「弱いつながり」として一緒に時間を過ごすだけでも数われるヤングケアラーたちがいるはずだ。
また、ヤングケアラーの当事者である子どもたちも声を上げることを諦めないでほしい。宮﨑さんが代表を務めるヤングケアラー協会といった非営利団体だけでなく、国や自治体でも相談窓口の拡充、当事者によるオンライン交流会の開催など、支援の取り組みに力を入れている。情報は厚生労働省「ヤングケアラー特設サイト」(外部リンク)から得られるので、気軽に活用してほしい。
撮影:坂野則幸
〈プロフィール〉
宮﨑成悟(みやざき・せいご)
1989年生まれ。15歳の頃から難病で寝たきりの母親のケアを担い、大学卒業後、国内大手企業に入社。3年で介護離職。その後、2019年にYancle株式会社を設立し、自身の経験をもとにヤングケアラーのオンラインコミュニティ、就職・転職支援事業を行う。同事業の形態を変え、一般社団法人ヤングケアラー協会を設立。以下を歴任。令和3年度 厚生労働省「ヤングケアラーの実態に関する調査研究」検討委員会 委員、令和4年度 厚生労働省「子どもの虐待防止推進等普及啓発事業」ヤングケアラーに関する外部アドバイザー、令和4年度 山梨県「ヤングケアラー支援ネットワーク会議」委員、令和4年度 山梨県ヤングケアラー支援アドバイザー。著書(共著)『ヤングケアラーわたしの語り』『Nursing Today ヤングケアラーを支える』。
一般社団法人ヤングケアラー協会 公式サイト(外部リンク)
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