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将来カキが食べられなくなる? 海洋酸性化の日本の現状と将来予測を研究者に聞いた

写真:発泡スチロールに詰められた新鮮なカキ
海洋酸性化によって世界の海にさまざまな問題が生じ始めている。uto26/PIXTA
この記事のPOINT!
  • 2020年の調査開始以来、国内のカキ養殖地で短期的に急激な海洋酸性化現象が見られた
  • カキへの直接的な被害は確認されていないが、いつ影響が出てもおかしくない状況に
  • 二酸化炭素の排出量を抑えると共に、地域全体で海のためにできることを考え、行動することが大切

取材:日本財団ジャーナル編集部

主に人間の生産活動に伴う二酸化炭素の排出・増加が引き起こす地球温暖化。その影響は海の中にも及んでおり、「海洋酸性化」という恐ろしい異変が起き始めています。

海洋酸性化とは、海中に二酸化炭素が多く溶け込むことでもともとアルカリ性である海水が酸性に近づいていく現象のこと。酸性に近づくことで被害を受けるのは、サンゴやカキといった殻を形成しながら成長する生き物たちです。その影響は海の生態系全体に被害を及ぼす可能性があると言われています。

そこで日本財団は、日本における海洋酸性化の実態や漁業に及ぼす影響把握を目的とした「日本財団 海洋酸性化適応プロジェクト」(別タブで開く)を2020年4月にスタート。幼生時に影響を受けやすいと想定される「カキ」に焦点を当て、国内沿岸部の養殖海域において約1年半にわたって行なった定点観測の結果と将来予測を発表(別タブで開く/PDF)しました。

果たして、この調査でどのようなことが明らかになったのか、日本の海でどれだけ海洋酸性化が進んでいるのか。

同プロジェクトを牽引するメンバーの一人でもある特定非営利活動法人里海づくり研究会議(外部リンク)の理事・事務局長を務める田中丈裕(たなか・たけひろ)さんと、国立研究開発法人水産研究・教育機構(外部リンク)の主幹研究員の小埜恒夫(おの・つねお)さんにお話を伺いました。

NPO法人里海づくり研究会議の田中丈裕さん
国立研究開発法人水産研究・教育機構の小埜恒夫さん

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漁師の協力により詳細なデータの取得が可能に

――まず田中さん、小埜さんの普段の活動と、海洋酸性化適応プロジェクトにおける役割について教えていただけますか?

田中さん(以下、敬称略):私が理事を務める里海づくり研究会議では、もともと漁師さんたちの協力を得ながら、日本の沿岸海域の調査研究や里海(※)づくりのための技術開発に取り組んできました。

そして海洋酸性化適応プロジェクトにおける役割は、社会実装に向けた大きな道筋をつくること。調査で得られたさまざまな知見や技術をどのようにアウトリーチしていくべきか、現場の最前線にいる漁師の方たちにどのようにフィードバックしていくのかを考えながら取り組んでいます。

このプロジェクトには、国内外の大学や研究組織、NPO、企業など30近くの専門機関が参画しているので、彼らと現場で働く漁師さんや漁業関係者をつなぐ役割も担っています。

  • 人手が加わることにより生物生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域

小埜さん(以下、敬称略):私は水産研究・教育機構で数十年から数百年という長い期間の気候変動によって起こる海の変化や、海の生物が受ける影響について研究をしています。

この海洋酸性化適応プロジェクトでは、定点観測地点で得られたデータをもとに、海で起きている環境の変化や異常現象について分析をしています。

――お2人はどのようなきっかけで、このプロジェクトに参加することになったのでしょうか?

田中:もともと海洋酸性化の問題は耳にしていましたが、本格的に危機を感じたのは2019年2月に開かれた国際フォーラムでした。そこでワシントン大学の教授で海洋酸性化の世界的権威でもあるテリー・クリンガー氏の講演を聴き、世界における海洋酸性化の現状を初めて知りました。

アメリカの西海岸などではムール貝の殻が薄くなっていること、ふ化直後のカキの幼生の殻が解けて大量死したことを知り、「もし日本の海で海洋酸性化が起きてしまったら、日本の重要な水産資源であるカキ養殖は根底から崩れてしまうのではないか。何とかしないといけない」と感じたんです。

ちょうどその時、日本財団の笹川(ささかわ)会長も「貝が危ない。酸性化の問題は非常に脅威になる」と危惧していることを知り、このプロジェクトに参加させていただくことになりました。

小埜:私はそんな田中さんに声をかけていただいたのがきっかけです。「瀬戸内海から東北という、日本の水産業にとって重要な場所でデータを取得し、実際にどのような影響が出ているかを調査するので協力してほしい」と言われ、海洋酸性化を究明するのにとても大事なプロジェクトだと感じ、参加を決意しました。

――2020年の4月から日本の主要なカキ養殖地点で定点観測をスタートしました。具体的にどのような手段で行なわれたのでしょうか?

田中:最初の観測地点は、岡山県備前市日生町(ひなせちょう)の海域と宮城県南三陸町志津川湾を選びました。

この2地点は気候や地形が異なる場所ではあるものの、どちらもカキ養殖の大産地(国内生産額の約2割を占める)であること、ワカメやアマモなどの海藻・海草の影響があること、河川からの陸水が流入していることが共通しており、人の暮らしに密接する沿岸部の海洋酸性化に関するデータを取るには最適な場所でした。

また観測サイトは1地点につき4カ所設けて調査を行なっています。

海洋酸性化プロジェクトにおける主要な定点観測地点と調査内容を示す図:

主に「カキ」の養殖に焦点をあて、国内3地点をモデルフィールドに、酸性化の進行状況を調査して分析
・【岡山県】備前市日生町(2020年8月〜)
・【宮城県】南三陸町・志津川湾(2020年8月〜)
・【広島県】廿日市市・広島湾(2021年6月〜)
▶︎河口部や沖合、藻場、養殖場の付近など、環境が異なる複数箇所で定点観測
 ※廿日市市は河川(淡水)影響を受けやすい1カ所
▶︎宮城・岡山では、カキの浮遊幼生を採取して観察
海洋酸性化プロジェクトにおける主要な定点観測地点と調査内容

小埜:このプロジェクトが始まる前までは、沿岸でpH(※)をモニタリングしている観測点のほとんどは、短くても週に1回、長ければ月1回、季節に1回などの頻度でしか計測していなかったんです。

小さい貝の幼生には数時間とか1日程度の短時間でもpHが下がるとその影響が現れるので、当時の観測頻度では海洋酸性化の影響が起きていたとしても検出することは困難でした。

そこでこのプロジェクトでは、1時間ごとにデータを図れるセンサーを付けて、カキの幼生が多く生息する水深1メートルの海水データを取るようにしました。

また漁師の皆さんの協力のもと、センサーに付着してしまう生き物を週に1度取り除いていただいています。そのおかげでセンサーの感度を高い水準に保ちながら、短い時間で解像度の高いデータを採取することに成功しました。

最近では新たに、水深1メートルよりも深い地点にセンサーを入れて、より深い場所にいる生き物たちに海洋酸性化の影響が出ていないかも確認しています。

  • 酸性・アルカリ性の強さを示す指標。0〜14の数値で表しpH7を中性とする。海水(海面)は弱アルカリ性となりpHは約8.1
写真右:
・pH計(紀本電子)
・溶存酸素計(JFEアドバンテック)
・水温塩分計 (JFEアドバンテック)
実際に海に投入された観測機器(右)。岡山県備前市日生町の海域における観測機器の設置作業の様子(左)

海洋酸性化の現象は確認するもカキへの影響は見られず

――では、約1年半にわたって行われた調査ではどのようなことが分かりましたか?

田中:2020年8月から9月にかけて、岡山県の日生町の海域で初めてマガキに影響を及ぼす可能性のあるレベルの数値が、複数回観測されました。

広島湾でも酸性化が進行している可能性があると考え、広島県廿日市市(はつかいいち)でも2021年から観測を始めたところ、やはり影響のあるレベルの数値が複数回観測されました。

海洋酸性化適応プロジェクトの調査海域である岡山県備前市日生町の沿岸部

田中:しかし、私も検体を顕微鏡で確認したのですが、いずれの地域もカキの浮遊幼生の異常形態や突然死など直接的な被害は確認されていません。

その要因としては、この現象は海洋酸性化ではなく、昔から存在している「沿岸酸性化」の影響によるもので、そこに棲んでいる貝たちは既にこの現象に適応済みであるという可能性も考えられます。

沿岸酸性化とは、大雨や台風によって河川から陸水が海に大量に流れ込んだときに起こる現象のこと。淡水に含まれる大量の有機物が分解されることで二酸化炭素濃度が上昇し、短期的に急激な酸性化を引き起こします。

この現象が、カキの成長にどのような影響を与えているのかを明らかにすることも、これからの課題。2023年度はこの調査に精力を注いでいきたいと思っています。

小埜:沿岸部において海水のpHが変化しやすいということは知っていたのですが、「カキが生息しているのだから影響を及ぼすほど数値は下がってはいないだろう」というのが調査前の予想でした。

しかしその予想とは裏腹に、短期的な現象ではありますが、カキの成長に影響を及ぼす酸性化レベルの数値(pH7.4〜7.7)が現れていました。沿岸酸性化でここまでpHが下がるという知見を得られたことは大きな成果と言えます。

今回の調査は日本の海域に限定した結果ですが、世界全体では海の中のpHは少しずつ時間をかけて下がっており酸性化は進んでいます。これに伴って沿岸酸性化でpHが低下する期間や頻度も徐々に増加していく可能性があります。

既にアメリカ西海岸では、非常に強い酸性化の影響が20年前ほど前から出ており、カキの幼生が大量死するなどの事例も。日本も将来的には海外と同じような強い酸性化の影響が出るかもしれないのです。

このプロジェクトにおける調査は、今後起こりうる脅威への対応策を考える第一歩になったと言えるでしょう。

漁獲量の減少、海の生態系の崩壊——懸念される深刻な問題

田中:もし海洋酸性化が顕在化した場合、漁業はもちろん、海水浴やダイビングといったマリンレジャーを主とした観光業にも影響が出るでしょう。経済的損失は莫大なものになると考えられます。

私たちが大好きな海鮮が漁獲量の減少によって食べられなくなる可能性も大いにあります。

小埜:酸性化の影響は、多様な生き物が暮らすサンゴにも及んでいます。サンゴは海水温の上昇により白化(※)や植生の北上化が進んでいますが、これに海洋酸性化が加わるとサンゴは殻や骨格を作れなくなりさらに脆弱化したり、北上できる種類が限られてくると考えられているんです。

  • サンゴに共生している褐虫藻(かっちゅうそう)が失われることで、サンゴの白い骨格が透けて見える現象。白化した状態が続くと、サンゴは共生藻からの光合成生産物を受け取ることができず、壊滅してしまう

田中:もちろん懸念される問題は、海洋酸性化だけではありません。海水温上昇や貧酸素化(※)など、地球温暖化は海にさまざまな影響を及ぼし、漁獲量の減少、海の生態系の崩壊といった、私たちが想像する以上に深刻な問題を引き起こし始めているのです。

  • 海洋の広い範囲で海水に溶け込む酸素量が減少している状態。進行し続けることで、海洋生物の生息域が変化するなど、海洋生態系への影響が懸念される

二酸化炭素の排出は絶対に減らさなければいけない

――そういった海洋問題を解決に導くために、求められる対策・取り組みとしてはどのようなことが考えられますか?

田中:やはり大事なのは、二酸化炭素の排出量を減らし地球温暖化を抑制することでしょう。これは世界中の人々が意識して取り組まなければといけないことです。

オーストラリア沖では熱波により大きな藻場(海藻が茂る場所)が一瞬にして消滅したという事例があります。またカナダ西岸でもムール貝やアサリが大量死したという報告も。そういったことが、世界ではすでに現実に起きているわけです。

写真:カキの被害状況を確認する養殖業者
アメリカのワシントン州では2000年代初頭に大量のカキが消える異常事態が発生した。画像:Economist Impact YouTube公式チャンネル(外部リンク/動画)

小埜:それと同時に、私たちができる適応策に取り組む必要もあると考えます。その1つが藻場の再生です。アマモは沿岸酸性化の原因となる河川からの有機物をトラップして沿岸全体に広がることを防いでくれるため、沿岸部を中心に藻場を増やしていくことができれば、短期的で急激な酸性化の影響を抑えることができるかもしれません。

大変有難いことに、このプロジェクトでは漁師の皆さんとも協力して取り組むことができている。今後は日本全国の沿岸部でどうすれば効率よく藻場が増やせるのか、検討することも必要だと考えています。

写真:ワカメの茂る海中。泳ぐ魚たち
アマモやワカメなどが茂る藻場は、陸域から流出する有機物を分解する役割だけでなく、生き物たちの大切な棲家になっている

――では、私たちの暮らしに大きな影響を及ぼす海洋酸性化を抑えるために、一人一人が起こせるアクションとは何だと思いますか?

田中:それぞれの地域で「海洋問題について何ができるか」という意識をもって行動することが第一歩となるでしょう。もう国や行政に頼っているだけでは間に合わない段階にきています。

岡山県の日生町では、小中高生や都市部の住民、農業関係者、里山に住む人、漁師、あらゆる立場の人が、 アマモ場の再生に取り組んでいます。はじめは漁師さんたちだけでやっていましたが、子どもや地域住民が参加し始めたことで、活動が加速しつつあります。

それによって、地域で暮らす人同士の結びつきも強固になりますし、海洋問題の解決を目指す心強い味方になると思うんです。仲間と一緒に何かに取り組む楽しさも味わえるはず。そういった活動が全国で見られることを期待したいですね。

岡山県備前市日生町にて、漁師さんと地元の中高生が協力して藻場(アマモ)の再生活動に取り組む様子。撮影:十河英三郎

小埜:そもそも国や行政は市民全体の合意があって初めて動くもの。いま取り組まなければいけないのは、海洋酸性化問題における私たち一人一人の合意形成なのではないでしょうか。

漁業関係者はもちろん地域住民の皆さんも含めて「海をどうしたいのか。将来的にどうなってほしいのか」について話し合って方向性を決めていただく。結局それが行政、国を動かす近道となるはずです。

田中:おそらく、多くの人が「海は自然のものだから手をつけない方がいい」と思っているかもしれません。ですが、「里海」という言葉があるように、人の手が加わることで生き物たちが息づく豊かな海を守ることができるのです。

編集後記

まだ日本国内において、海洋酸性化による海の生き物たちへの影響は出ていませんが、決して油断できない状況であることが分かりました。

田中さんや小埜さんは、漁業従事者の数が減少傾向にあるいま、「地域の人々の協力なしでは豊かな海を守ることはできない」と力を込めて話します。手遅れにならないためにも、地球温暖化への取り組み(外部リンク)や地域で行われる藻場の再生活動など、できることから始めてみませんか?

〈プロフィール〉

田中丈裕(たなか・たけひろ)

高知大学大学院農学研究科栽培漁業学専攻修士課程を修了後、岡山県に入庁。水産技師として、水産行政全般及び、アマモ場再生・カキ殻など二枚貝の貝殻を利用した沿岸環境修復・ノリ色落ち対策に関する技術開発などを企画担当する。2012年1月、“里海”の提唱者である九州大学名誉教授の柳哲雄さんや、広島大学名誉教授の松田治さんらと共にNPO法人里海づくり研究会議を設立、理事・事務局長を務める。
特定非営利活動法人里海づくり研究会議 公式サイト(外部リンク)

小埜恒夫(おの・つねお)

北海道大学 大学院水産学研究科を修了後、社団法人科学技術振興事業団特別研究員等を経て、水産総合研究センター(後に改組して水産研究・教育機構)で研究に従事し、現在は、横浜の水産資源研究所の主幹研究員を務めている。
国立研究開発法人水産研究・教育機構(外部リンク)

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