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ウクライナ避難民との共生を深める熊本・玉東町。小さな田舎町で広がる多様性の輪
- 意思疎通の速さやフットワークの軽さなど「小さな町」だからできる支援の強みがある
- 心身の安全を確保して「将来を考える時間」を生み出すのも避難の大切な意義
- 外国人と一緒に地域社会をつくることで、誰にとっても住みやすい町づくりにつなげる
取材:日本財団ジャーナル編集部
熊本県の北部に位置する玉東町(ぎょくとうまち)。人口約5,200人という小さな町ですが、ロシアによるウクライナ侵攻が開始された2022年から2023年6月現在まで、5世帯15人のウクライナ避難民を自治体主導で受け入れてきました。
この全国的にも例の少ない「小さな町による受け入れ支援」が動き出したのは、玉東町職員にJICA(国際協力機構)の海外協力隊経験者がいる事実を受け、前田移津行(まえだ・いつゆき)町長が「(ウクライナ避難民の)受け入れができないか。小さな町だからできることがあるのではないか」と発言したのがきっかけでした。
そこから玉東町役場と、隣接する玉名(たまな)市を拠点に国内外で教育・福祉に関する支援を行う認定NPO法人れんげ国際ボランティア会(以下、ARTIC)(外部リンク)が協働し、町職員とARTIC職員から成るウクライナ避難民受け入れ事業「オレンジネットワークプロジェクト(以下、ONP)」(外部リンク)を発足。受け入れの調整から生活のサポート、就労支援などの業務をワンストップで行ってきました。
これらの支援を進める上で、学校や病院、地域の企業、さらには町民と、これまでにない形の連携が生み出された結果、現在は「町全体で避難民を支えよう」という意識の醸成も進んでいます。
しかし戦争の長期化に伴い、避難民が「緊急避難」から「共生」のフェーズに移行しつつあることで、新しい課題も見えてきました。
支援を通じて見えてきた「小さな町」ならではのポテンシャル、そして私たちの社会が多文化共生を実現するためのヒントを学ぶため、ONPのメンバーである玉東町役場の渡邉拓人(わたなべ・たくと)さん、同町地域おこし協力隊員の稲井萌実(いない・もえみ)さん、ARTICの本田佳織(ほんだ・かおり)さんと工藤絢花(くどう・あやか)さんに話を聞きました。
また、同町の避難民家族の受け入れ第1号であるアンさん、ジョセフさん夫妻(仮名)のインタビューも交えながらお届けします。
人的資源が限られる地方。ネットワーク力で課題を解決
町長のひと声を呼び水に、玉東町が避難民受け入れの準備を始めたのは2022年4月。役場側の担当者として、その活動を主導したのが企画財政課主査の渡邉拓人さんでした。先述の前田町長の発言にあった元JICAの海外協力隊員で、アフリカへの出向経験を買われ、任命を受けました。
渡邉さん「受け入れのノウハウがない中で、県庁やJICAとも連絡を取り合いながら手探りで準備を進めていましたが、避難を希望する方々からどのように応募を取り付け、移動ルートをどう確保するかなど、解決しなければならないことだらけでした。そこで4月末に、熊本・玉名市のARTICにいる本田佳織さんに受入れ事業をやろうと相談をしたんです。JICA出身の彼女とはすでに面識がありましたし、同団体は80年代から国際協力の実績を持っていました」
本田さん「ARTICも40年以上前から、カンボジアやミャンマーで難民支援を行ってきたこともあり、ウクライナの支援に協力したい、という思いがありました。そこで玉東町の相談を受けてすぐ、九州内で避難民支援を行っている他団体に連絡を取り、住宅の確保や日本語教育の準備など支援に必要な要素についてヒアリングを実施。受け入れに必要な準備のToDoリストを5月中に作成し、渡邉さんと話し合いながら役場とARTICの役割分担を決定しました。6月には玉東町と正式に協定を結び、ウクライナ避難民受け入れ支援プロジェクト『オレンジネットワークプロジェクト(ONP)』が開始されたんです」
協定が締結された2022年6月15日より、ONPの公式サイトで避難民向けの応募フォームを公開。募集要項もウクライナ語やロシア語に翻訳して提供しています。
この時にONPメンバーに加わったのが、現在は玉東町の地域おこし協力隊員となった稲井萌実さんです。
稲井さん「私の夫はウクライナ人で、日本に住んで6年目になります。ウクライナ語を話せる人が必要、と県内を探していた渡邉さん、本田さんが夫に会いに来てくださり、玉東町の避難民受け入れ事業を知りました。そこで、私たちにできるサポートをしていこうと要請を受け、ONPに加わった形です」
また、普段は広島からオンラインによる活動支援を行っているARTICの工藤絢花さんもONPに参加。日々立ちはだかるさまざまな課題の対処に当たってきました。
工藤さん「国内での避難民受け入れには前例が少なく、私たち支援者側も手探りで進めなければいけない事柄が多いんです。そこで、NGOとしてのネットワークを駆使して、九州管内のNGOや自治体から情報を集めました。特に地方都市は都会と比べて人材資源も限られていますから、力になってくれそうな人たちと組織横断型の横のつながりをつくって課題に対処するのが最も効果的な選択だった、と考えています」
町民と避難民のコミュニケーションをつなぐ「指差し会話帳」
避難民からの応募が届き始めたのは、フォーム開設後にSNSなどを活用して広く告知をしてから間もなくのことでした。
「準備」から「実行」のフェーズへとプロジェクトも新しい局面に入り、この頃から特に力を入れたのが、町民の理解を深める活動です。
本田さん「まずは受け入れ家族第1号が決まったのに伴い、避難民の方が暮らすこととなる町営団地の住民に向けて説明会を行ったんです。ウクライナ侵攻の背景のほか、個人情報に触れない範囲でどういう家族が来るのかをお伝えしました。稲井さんからはウクライナの食文化なども紹介してもらう、といった働きかけも行いました」
渡邉さん「町民の方の気持ちを尊重しないまま受け入れをしてしまうと、結局は避難民の方々も暮らしづらくなってしまうかもしれません。慎重かつ丁寧に同意を求めていったのですが、心配していたよりも反対意見は少なく、むしろ『何かできることはないか』という前向きな声が多いのにこちらが驚くほどでした」
8月上旬に、アンさん、ジョセフさんら家族が5人で来日。そのタイミングに合わせて町民全世帯に向けて配布したのが、挨拶や買い物など、日常的なコミュニケーションに使う言葉を掲載し、指を指すだけで意思の疎通が図れる町オリジナルの「ウクライナ語指差し会話帳」です。後に「小学生用指差し会話帳」も作られたほど交流を深める助けとなったそうです。
工藤さん「小学校から『子ども用がほしい』という声が上がったんです。『一緒に遊ぼう』『困ってることはない?』など、子どもたちの声から生まれた心温まるフレーズを数多く取り入れています」
どの避難民世帯も、来日後まずは日本の暮らしのルールを学ぶオリエンテーションを受け、その後は2週間かけて“よく使う日本語”のレッスンを受講。以降は生活リズムや希望に応じて、就職や通学などの支援を行っています。
日常的な連絡事項や相談事の窓口には避難民とONPをつなぐグループチャットを利用。これらサポート業務に必要な人員や日本語講師の確保には、日本財団の「ウクライナ避難民支援助成プログラム」(別タブで開く)を活用しています。
戦火の不安から逃れたからこそ「これから」を考えられる
国境を越え避難をしたウクライナ人は2,000万人を超えます(2023年6月時点※)。来日した避難民の方はどういう背景で玉東町を避難先に選んだのでしょうか。
- ※ 出典:国連UNHCR協会(外部リンク)
渡邉さん「世帯によって本当に事情はさまざまです。空爆などで心が安まらない日々を送る中で『家族のために絶対に安全な環境を』と日本に来た方、以前から日本文化に関心があり『避難するなら日本』と考えていた方。家族構成など支援の条件に合うのが玉東町のみだった、というケースもあれば、都会よりも自然豊かな場所で落ち着いて暮らしたいから玉東町を選んだというケースもあります」
ここで、玉東町の受け入れ第1号となったアンさん、ジョセフさん夫妻にも話を伺いました。
アンさん「私たちが日本の避難先を探していた当時、妻と子どもだけでなく夫も一緒に支援を受けられる市町村が玉東町でした。子どもを日本の学校で学ばせることができるのも後押しになり、2022年8月に避難をしたんです」
到着後、洋服や食器など生活に必要なものを譲ってくれたり、買い物で重い荷物を持って歩いていると車に乗せて送ってくれたりと、町の人たちみんなが優しいことに歓迎されていると感じたと言います。
住んでいる団地の庭には自家菜園を作り、ジャガイモやピーマンなどを育て始めました。生活に慣れてから、2人は地域の企業に就労もしています。
ジョセフさん「職場の皆さんと言葉は通じないのですが、まるで大きな家族のようだな、と感じました。私が加わったことで、ウクライナ語の勉強を始めてくれた人もいて、とても温かな雰囲気を感じています。助かったのは、日本の病院で長年抱えていた骨の痛みについて検査ができ、手術を受ける必要があると分かったこと。おかげでここ数年続いていた苦しみから解放されました」
避難から間もなく1年が経過します。戦火による生命の不安からは解放された一方、今後の生活について悩みが消えたわけではなく、特に子どもたちの勉学については考えることが多いと言います。
アンさん「子どもたちは日中に地域の学校に行った後、オンラインでウクライナの学校の授業も受けています。時差の関係で終わるのが23時近くになることもあり、翌日の宿題までなかなか手が回りません。ウクライナの学校の単位も足りず、次のクラスに上がることができませんでした。同時に2つの学校で勉強したこの1年は、子どもたちにとってとても難しい挑戦だったろうと思います。
孤独という問題も抱えています。親身になってくれる町民などの心遣いを肌身に感じつつも、慣れない環境ならではの苦しさもあったと言います。
アンさん「避難民がONPにチャットで相談できる仕組みはあるのですが、外部から誰かの助けを借りないと解決できない問題がどうしても出てきます。自力でできることには限りがある、と感じ、孤独や無力感を覚えることも少なくありません」
日本で生活するためには日本語の勉強も重要です。しかし、今後帰国したいと願う避難民にとっては、母国に戻るための航空券費用を捻出する必要があります。
アンさん「ウクライナに帰国することを考えていますが、家族5人分の航空券を購入するにはまとまったお金が必要です。日本語の勉強に取り組みたい気持ちはあるのですが、チケット代を貯めるために、今はできるだけ働きたいと考えてしまうのです」
英語を学んでもっと話したい——子どもたちに芽生えた国際意識
アンさん、ジョセフさん夫妻のように帰国を検討する人、玉東町にこのまま住み続けることを希望する人。そこに1つの正解はありません。ONPでは避難民それぞれの選択を尊重しながら、寄り添い続けることを重視しています。
稲井さん「アンさん夫妻が来日した8月は、ロシア侵攻が始まって半年。核攻撃があるかもしれない、という情報も錯綜する中で着の身着のままいったん日本に来た状態です。玉東町で生活をしながら、落ち着いて今後を考えることにまず意味がありますし、その結果帰国の準備に優先順位を置こう、と決めたのなら、それは将来に向かって前向きなステップを踏み出したということですから、しっかり応援したいですね」
一方、「孤独」に対する対処という面では今後、よりサポートを強めていく必要がある、とONPも考えています。
工藤さん「ONPのメンバーは初めてとなる海外の地で暮らした経験がある人が多いので、日本という遠い土地でなかなか社会になじめずにいる避難民の方の気持ちもよく理解できます。2023年中には九州の他地域に暮らす避難民の方々が集まって交流する場を設ける、という企画も実現させたいです」
前例のない避難民支援に一歩を踏み出した玉東町。そのことは町にも前向きな変化を生み出しています。
渡邉さん「小・中学校では『避難民のクラスメイトともっと話したいから』と英語の勉強に力を入れる子が増えた、という声が届いています。また、地元の高齢者の中にはお味噌汁の作り方を教えてあげたり、好きな花を聞いてお庭に植えてあげたりと、避難民らを支援することが喜びになっている人もいて、いち地方の町に国際的な視野を芽生えさせ、活性化させた面があるのを実感します」
外国人の受け入れは進みつつありますが、まだまだ閉鎖的といわれる日本社会。そんな中、玉東町を多文化に開かれた町にしていきたい、という思いが渡邉さんにはあります。
渡邉さん「避難民に限らず、町に住む外国人の方は増えている傾向にありますが、まだまだ少人数。特に小さな町の行政では、転入してきた外国人に何が必要なのか分からない面が多いものです。しかし今回の避難民受け入れを契機に、ふだんから顔の見える関係が築けている小さな町のメリットをたくさん知ることができました」
本田さん「小学校、中学校、病院とどこも歩いて行けますし、私たちがウクライナの人たちに町のスーパーを案内していたら『この前スーパーにいたね。私たちに何かできることある?』と町民の方が声をかけてくださる。『誰に聞いていいか分からないから何もしない』ではなく、『何が必要か教えてほしい』と言い合える関係がこの町にはある。それにはすごく大きな可能性を感じます」
「外国の方々と一緒に地域社会をつくり、誰にとっても住みやすい町になるよう、行政がしっかり主導していきたい」と渡邉さん。多文化共生社会の実現に向け、地方の「小さな町」が持つポテンシャルに期待が高まります。
撮影:十河英三郎
〈プロフィール〉
オレンジネットワークプロジェクト
熊本県玉名郡の自治体「玉東町」と特定非営利活動法人「れんげ国際ボランティア会」が中心となり、ウクライナ避難民が安全に生活を送れるようサポートを提供、地域住民との共存を目指すプロジェクト。「オレンジ」の名称は、玉東町の名産がみかんであることから。また略称として用いられる「ONプロジェクト」という表記には、東日本大震災や熊本地震の際に国内外からいただいた支援に対する「恩」を返していこう、という思いが込められている。
オレンジネットワークプロジェクト 公式サイト(外部リンク)
- ※ 掲載情報は記事作成当時のものとなります。