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ろう者と聴者が響き合う「東京国際ろう芸術祭」。垣根を越えた先に広がる新しい景色

- 「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」は街全体を使った芸術祭で、ろう者と聴者が自然に混ざり合う場
- ろう者(※1)や手話への理解は進みつつも、社会参加や文化へのアクセスには壁が残る
- 手話やろうの文化に触れ、ろう者と聴者(※2)に隔たりのない環境づくりを広げていくことが大切
- ※ 1.「ろう者」とは、聴覚に障害があり日本手話を第一言語とする人のこと
- ※ 2.「聴者」とは、聴覚に障害がない人のこと
取材:日本財団ジャーナル編集部
2025年11月15日から26日にかけて開催される「第25回夏季デフリンピック競技大会 東京2025(以下、東京2025デフリンピック)」。開催が目前に迫り、耳がきこえない、きこえづらいデフアスリートたちの活躍に期待が寄せられています。
そんなデフリンピックの直前、11月6日から4日間にわたり「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」(外部リンク)が開かれます。

東京都杉並区との共催で高円寺を中心にさまざまな催しが企画されています。国内外から豪華なゲストを呼び、映画や演劇、トークショーなどが目白押しのほか、手話で買い物ができるマルシェ「手話の市」や、商店街の一部店舗で手話のイラスト入りカードのプレゼント「手話のカードラリー」も行われます。
つまり、高円寺のまち全体がろう者や手話で溢れ、「手話のまち」となるのです。ろう者や手話になじみのある人はもちろん、これまでろう者の文化に触れてこなかった人にも開かれたイベントです。
「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」の総合ディレクターを務めるのは、映画作家の牧原依里(まきはら・えり)さん。家族全員がろう者のデフファミリーの一員として育ち、この社会の中でろう者として生きることを見つめてきた彼女は、なぜ「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」の開催を決意したのか。その胸中を伺いました。

ろう者や手話を「自然と」目にする機会をつくってみたかった
――「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」を開催することになったきっかけを教えてください。
牧原さん(以下、敬称略):前身は、2017年にスタートした「東京国際ろう映画祭」です。ろう者の視点で映画をセレクトして上映する映画祭で、私は代表として、また映画作家として関わってきました。その後、フランスの都市ランスで開催されている、ろう者の芸術祭「クランドゥイユ(Clin dʼOeil)」を訪れた時、ろう者が生み出す多種多様な芸術表現はもちろん、手話がつくり出す独自の空間に深い感銘を受けました。
一方で、ヨーロッパやアメリカ発の作品が中心であったことから、アジアならではの「ろう文化」を背景とした「ろう芸術」を、日本から発信したいと思ったのがきっかけでした。聴者の芸術と同じように、ろう者が生み出す芸術も、隔たりなく感動を与えることができる。そして映像、舞台とそれぞれ、空間言語だからこそできる「ろう芸術表現」があるということを伝えたい思いもありました。
そこで、「東京国際ろう映画祭」から「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」へと名前を変え、開催することに決めました。

――「手話のまち」とあるように、今回は高円寺のまち全体を使って、さまざまな催しが企画されているんですよね。
牧原:そうなんです。杉並区立杉並芸術会館「座・高円寺」を中心に作品を上映・上演するだけではなく、商店街を巻き込んだ「手話のカードラリー」があったり、マルシェ「手話の市」があったり、JR高円寺駅からすぐの広場「高円寺マシタ」や空き倉庫を使った無料パフォーマンスや上映、手話のまちオリジナルビールを飲めたりと、まち全体で手話や「ろう芸術」に気軽に触れられるような設計をしています。

牧原:それも、フランスの「クランドゥイユ」を参考にしています。過去に2度、足を運んだことがあるんですが、世界中から約2万人が集まって、ろう者も聴者もごちゃ混ぜに。同じろう者でも国が違えば手話も異なるので、さまざまな手話と音声の言語が飛び交います。
それでも、その場にいる人たちは積極的にコミュニケーションを取り合って、身振りや思いで通じ合ったり、会話を成立させてしまったりする。その空間自体がすごく面白くて、別の世界に行ったみたいな感覚を覚えました。

牧原:あと、舞台上のパフォーマンスが終わると、会場にいる人たちが床を踏み鳴らす風習があって、ものすごい振動が伝わってくるのが印象的でした。この振動って、盲ろう者(※)でも伝わるんですよね、みんなが一つになっている感じがしたのを覚えています。
- ※ 「盲ろう者」とは、目(視覚)と耳(聴覚)の両方に障害のある人のこと

- ※ 「国際手話」とは、いろいろな国の人にとって分かりやすい身振りや表現でつくられており、ろう者の世界的な交流の場で公用語として使われている
――言葉の垣根を越えるような空間ですね。
牧原:前身の「東京国際ろう映画祭」でも、ろう者が運営していることを知らずにふらりと訪れた聴者が、手話での会話が交わる異文化的な空間に戸惑っていたり、手話やろう者、難聴者をテーマにした映画を当事者たちと一緒に観ることで得られる体験に感動したりしていました。
手話に関わりのなかった聴者たちのそんな姿を見て、「ああ、こういうことがやりたいんだよな」と改めて感じました。それで、日本でも同じような芸術祭が企画できないか、と杉並区に持ちかけたところ快諾いただけて、「手話のまち」というコンセプトを実現できました。

――杉並区では2023年4月1日に「杉並区手話言語条例(※)」が施行されました。ろう者や手話への理解も進んでいるのでしょうか。
牧原:そう感じます。それに、杉並区には新しい文化を理解しよう、受け入れていこうとする風土があるように感じます。商店街の方々にも協力をお願いしに行ったところ、「いいね、やってみようよ!」と言ってくれて、本当に感謝しています。
- ※ 2011年施行の「改正障害者基本法」で手話が言語であると明記され、全国で「手話言語条例」が制定されるようになった。この条例は、手話は言語であるとの認識に基づき、手話に対する理解促進や普及、利用環境の構築を基本理念とする。そして、手話を必要とする方の意思疎通の権利を尊重し、誰もが安心して生活できる共生社会の実現を目的としている

ろう者の身体から生まれた「ろう文化」と「ろう芸術」
――「ろう文化」とは何かを教えていただけますか。
牧原:抽象的なことが多くて説明するのが難しいんですが、簡単に言うと「ろう者の身体から生まれた文化」です。手や顔の動きが文法になっている手話もその一つ。音声言語には翻訳しづらい、手話だからこそ表現できる「ことわざ」のようなものも存在します。
あと、ろう者ならではの空間も「ろう文化」と言えますね。手話という「視覚言語」を使ってコミュニケーションを取るので、ガラス越しに会話をすることもできますし、人との空間の取り方も聴者とは異なるんです。また、カーテンを使って視覚的に仕切ってしまえば、周りの会話が遮断できるので、一つの会議室でも複数のグループが同時に会議を進めることもできます。


- ※ 「デフスペースデザイン」とは、視覚言語である手話でのコミュニケーションが取りやすい設備等を取り入れ、ろう者が過ごしやすいように設計された空間のこと
――その他に「ろう文化」を感じる場面はありますか。
牧原:手話は「視覚言語」なので、会話の際は参加する全員の手話が見える配置が必要です。例えば、横並びで会話をするときは扇形になって、両端の人も中央の人も手話が見えるようにします。
こういった日常生活の中にある、さまざまな「ろう者ならではの工夫」も「ろう文化」と言えるのではないかと思います。



――続いて、「ろう芸術」にはどのようなものがありますか。
牧原:例えば、ろう者が生み出した「ろう芸術」の一つに「ビジュアルバーナキュラー(Visual Vernacular※)」があります。手話から生まれた視覚的表現で、手話を知らない人が見ても、物語や感情が感覚的に伝わるパフォーマンスです。
このように、ろう者が作る芸術表現には、ろう者ならではの視点や言語、身体性が活かされていることが多いです。今回の芸術祭でもそういった作品が鑑賞できるので、一度観ていただけると「ろう文化」「ろう芸術」とは何かが少し分かるかもしれません。
- ※ 「ビジュアルバーナキュラー」とは、手話の視覚的な表現のみを用い、詩やパントマイムの要素を取り入れ、緩急、リズム、ズーム、視点の切り替えなどの技術を組み合わせて表現する視覚的なアート
――「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」では、どのようなプログラムが予定されていますか。
牧原:全て素晴らしい作品ですが、いくつか紹介します。まずは演劇「100年の眠り」。ろう者の劇団を、演劇カンパニー「カンパニーデラシネラ」の小野寺修二(おのでら・しゅうじ)さんが演出されていて、「眠り姫」を題材にしています。手話も音声もなく、身体表現のみで物語を伝える無言劇です。
それから、デンマークの劇団「Teater5005」による演劇「オン・ザ・エッジ」。この演劇では演出を聴者が担当していますが、出演も含め、その他の全てをろう者が担っているんです。フランスで観た時にとても感動して、日本で芸術祭をやるとしたら絶対に呼びたいと思っていたのですが、今回それが叶いました。
映画もさまざまな作品が集まりました。ろう者や盲ろう者による作品もありますし、聴者が作ったものもある。いずれも、いまの時代の眼差しから生まれた、新しいアプローチで新しい気づきを得られる映画ばかりです。上映後には監督や役者などによる舞台挨拶やティーチインがありますので、ぜひお越しいただけたら嬉しいなと思っています。
「知らない世界」を知り、他者のことを想像する力を養う
――映画や演劇で「ろう芸術」に触れ、ろう者が溢れる街を歩く。「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」を体験することで、多くの気づきが得られそうですね。
牧原:そう願っていますし、この取り組みを継続していきたいとも思っています。開催に向けて動いている中で、私自身にもさまざまな気づきがありました。例えば、商店街の方々に協力をお願いした際、「前から手話に興味があったんだ」「デフリンピックも開催されるし、手話で挨拶できたらいいなと思っていたんだ」などと声をかけてもらえたんです。
さらに、芸術祭の会場となる「座・高円寺」のカフェでは、ろう者のスタッフがアルバイトとして働いているんです。私が子どもの頃には考えられなかったような変化が、至るところで起こっています。その流れを次の世代につないでいかなければと感じますね。
――「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」の直後には「東京2025デフリンピック」も開催されますし、ろう者や手話への関心は引き続き高まっていきそうですね。
牧原:デフリンピックが東京都のサポートがある中で開催されることに意義を感じています。だからこそ、この機会に「ろう文化」にもっともっと触れてもらいたいです。
私は、今回のデフリンピックで新たに導入される「サインエール」の制作にも関わっています。「サインエール」とは、声援が伝わりにくいデフアスリート(※)に届けるために開発された、目で伝わる新しい応援スタイルです。

牧原:これを使えば、手話を知らない聴者の観客も、デフアスリートへ応援を届けられます。このように聴者の観客も巻き込んでいくことが、デフリンピックを開催する意味の一つではないでしょうか。
- ※ 「デフアスリート」とは、きこえない・きこえにくいアスリートのこと

――「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」や「東京2025デフリンピック」が、聴者とろう者の言語の違いを超えて、共に過ごす機会を広げていくような気がします。その先の社会に願うことはありますか。
牧原:やはり、ろう者がもっと社会参加できるようになってくれたらいいな、と思います。昔と比べれば改善されてきているとは思うんですが、ろう者がどこにでも普通にいることが実現されればと。
これはろう者に限ったことではなく、他の障害者にも言えることかもしれません。そのために必要なのは、環境づくり。過去に映画祭を主催していたのも、「ろう者が普通にいる映画館」という場をつくってみたかったというのも動機の一つでした。
それから、聴者、ろう者、難聴者に限らず、一人一人が知識や教養を持つことも必要だと思います。自分のことだけを考えるのではなく、この社会で暮らす他の人のことも想像してみてほしい。そのために必要なのは、知識を身につけることなのではないでしょうか。

――そうやって「他の人のこと」を想像していくと、社会全体が少しずつ優しく変化していく気がします。
牧原:芸術と教養って深く結びついていると思うんです。「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」に足を運んでみて、「知らない世界」があることを知る。それが教養の第一歩になるのではないかと思います。だからこそ、一人でも多くの方に楽しんでもらえるよう、全力を尽くします。
きこえる、きこえないの違いを超えていくために、私たち一人一人ができること
きこえる、きこえないの違いを超えて、聴者とろう者がつながっていくために、私たち一人一人には何ができるのか。牧原さんに3つのアドバイスをいただきました。
[1]「ろう文化」や「ろう芸術」の面白さを知る
手話は「視覚言語」と呼ばれる言語の一つで、ろう者の生活や文化と深く結びついている。手話を学んでみる、映画や舞台を見るなど、ろう者が築き上げてきた「ろう文化」や「ろう芸術」に触れ、その豊かな世界の面白さを知る
[2]社会で起こっていることに関心を持つ
自分のことだけを考えるのではなく、同じ社会で生きている他の人のことを想像し、自分とは異なる文化への知識や教養を身につけるように努める。そうすることで、誰もが暮らしやすい環境づくりにつながる
[3]「知らない世界」と関わるために一歩踏み出す
「知らない世界」に恐怖を抱くのではなく、気軽に触れてみる。例えば、「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」に足を運んだり、デフリンピックで応援したりすることで、ろう者と聴者の自然な交流や共生につながり、思いがけない気づきや新しい景色に出会える
「ろう文化」「ろう芸術」とは何か。それを知るために、「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」を主催する牧原依里さんに取材を申し込みました。
ろう者と聴者がごちゃ混ぜになり、互いの文化を理解し合う。杉並区が一丸となって開催する「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」では、きっとそんな光景が至るところで見られることでしょう。その光景がいつか、日本全体に広がっていくことを願ってやまない取材となりました。
撮影:十河英三郎
手話通訳協力:小松智美
〈プロフィール〉
牧原依里(まきはら・えり)
1986年生まれ、ろう者。ろう者の「音楽」をテーマにしたアート・ドキュメンタリー映画『LISTEN リッスン』(2016)を雫境(DAKEI)と共同監督、第 20 回文化庁メディア芸術祭 アート部門 審査員推薦作品、第71回毎日映画コンクール ドキュメンタリー映画賞ノミネート等。2024年にレクチャーパフォーマンス「『聴者を演じるということ』序論」を演出、2025年11月にはTOKYO FORWARD 2025 文化プログラム ろう者と聴者が遭遇する舞台作品「黙るな 動け 呼吸しろ」(構成・演出)が控える。視覚と日本手話を中心とする自分の身体感覚を通した表現を実践し続けている。仏映画『ヴァンサンへの手紙』の配給宣伝など担う他、2017年には東京国際ろう映画祭を立ち上げ、ろう・難聴当事者の芸術に関わる人材育成と、ろう者と聴者が集う場のコミュニティづくりに努めている。
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