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なぜ手話歌にモヤモヤする? 手話文化の前提を知るため、ろう者に聞いた

自身もろう者で、NPO法人インフォメーションギャップバスターの代表を務める伊藤さん
この記事のPOINT!
  • TikTokなどで人気の手話歌。しかし手話文化に対し無知ゆえにろう者がないがしろにされる事態も
  • 日本人の手話には「日本手話」と「日本語対応手話」の2種類があり、これらは異なる言語
  • どんな言語にも思い込みを持たず、理解や関心を寄せることが、共生社会の一歩となる

取材:日本財団ジャーナル編集部

「手話歌(手話ソング)」というジャンルの動画があることをご存知でしょうか?

人気曲の歌詞を手話で表現するというもので、YouTubeやTikTokなどで「手話歌」と検索すると、数多くの動画が投稿されています。

イメージ画像:TikTokを見ている人

しかし、ろう者(※)の立場からは、違和感を覚えるようなものもあるそうです。

  • 日常的に手話を母語、もしくは主なコミュニケーション手段とする人や、聴力損失が大きい人などを指す。逆に聴覚に障害のない人は「聴者」と呼ぶ

情報・コミュニケーションのバリアを解消して、一人一人の価値を最大に発揮できる調和した社会をつくることを目的に掲げる団体、NPO法人インフォメーションギャップバスター(外部リンク)の代表であり、自身もろう者である伊藤芳浩(いとう・よしひろ)さんは、自身のnote(外部リンク)で手話歌に感じるモヤモヤを綴っています。

その理由として「違うコンテクスト(背景や文脈)・文化が混沌としている」「音声言語と対等な日本手話の理解・普及を阻害する」「文化の盗用の可能性がある」と指摘しています。

これらの背景には総じて「手話文化に対しての無知さ」があるのではないでしょうか? 今回、その伊藤さんに「聴者が学んでおきたい“手話の前提”」をテーマにお話を伺いました。

手話は主に2種類。それぞれの手話は全く違う言語

――手話をちゃんと理解するために、前提を学びたく取材を申し込ませていただきました。まず、手話にはいくつか種類があるとお聞きしました。

伊藤さん(以下、敬称略):さまざまな解釈があるのですが、手話には大きく分けて「日本手話」と「日本語対応手話」の2種類があります。

「日本手話」はろう者のコミュニティで育ってきた独自の言語で、主に幼少の頃に獲得した人が使うものです。日本で多くの方が使用している日本語とは別の文法や構造となっています。私も「日本手話」を使っています。

一方の「日本語対応手話」は、主に病気や加齢などにより途中で聴覚障害になった中途失聴者や、難聴者に多く使われているコミュニケーション手段で、日本語と同じ語順で発声しながら、手話単語や指文字を並べて表現します。「日本語対応手話」は、日本語の文法に沿って表現されるため、「手指日本語」と呼ばれる場合もあります。

「日本手話」は手以外も使って表現しますが、「日本語対応手話」は基本的に手と口形のみで表現しています。

取材に応じてくれた伊藤さん。インタビューは手話通訳を介して行った

――手話って手の動きだけで伝えるものではないんですね。「日本手話」は手以外のどの部分を使っているのでしょうか?

伊藤:「日本手話」は手の動きだけでなく、NM表現(※1)と呼ばれる顔や肩などの動き、眉の動き、目の開き方や視線などが重要な役割を果たします。

例えば、手話単語で同じ「お米」を表していても、NM表現によって「お米なの?」とも、「お米はどこ?」にもなるんです。

その他、CL表現(※2)と呼ばれる大きさや厚さなどを表すジェスチャーのような表現などもあって、手で表す手話単語以外にもさまざまなルールや表現が「日本手話」にはあるんです。

  • 1.NMはNon-Manualの略。日本語では非手指表現とも呼ばれる
  • 2.Classifierの略。日本語では分類詞と訳される
日本手話における「お米」は右手親指人差し指でOKマークを作り、あごにつける。

「お米なの?」の場合、そこから目と眉を上げ、首を前に出す。

「お米はどこ?」の場合、眉を寄せハの字に、首は小刻みに振る
日本手話における「お米なの?」と「お米はどこ?」の違い
  • イラストの手話表現は会話の一部を切り取ったものを想定。前後の文脈や、話者の状況によって表現が異なる場合がある

――全く知りませんでした……。ということは、同じ文章でも「日本手話」と「日本語対応手話」で表現方法が変わるんですね。

伊藤:そうですね。例えば、「今日は雨が強い」ということを表現したい場合、「日本語対応手話」の場合は、「今日」「雨」「強い」の順番で手話単語を示します。

「日本手話」の場合は「今日」「雨」の順番で手話単語を表し、「雨」の強さは眉や口などを使用したNM表現と、激しく雨が降る仕草のCL表現の両方を同時に使用します。

NM表現には、強さ、激しさだけでなく、時間や空間も表すことができ、さまざまな情報を並列的に表すことができるのが「日本手話」のすごいところであり魅力だと思っています。

日本語対応手話における「今日は雨が強い」と日本手話における「今日は雨が強い」の違い

日本語対応手話の場合、手のひらを下に向けて「今日」、指文字で「は」、手の指を下に向けて「雨」、指文字で「が」、右手で力こぶを作り、左手を添え「強い」

「日本手話」の場合、手のひらを下に向けて「今日」、「強い雨」を表現する時は、「雨」の手話単語の指を曲げ(CL)、眉毛を下げ、目を細め、口をOの形にすることで「強い」を表現する
「今日は雨が強い」の「日本手話」と「日本語対応手話」の違い
  • イラストの手話表現は会話の一部を切り取ったものを想定。前後の文脈や、話者の状況によって表現が異なる場合がある

――では、手話話者同士でも使っている手話の種類が異なれば、意思疎通ができないということになるのでしょうか?

伊藤:部分部分は分かるけれど、全体を把握できないという感じですかね。例えるなら、「少し日本語を学んだ外国籍の方が、片言の日本語で話しているような感じ」でしょうか。伝えようとしている内容を誤解して受け取ってしまうこともあると思います。

注意しなくてはいけないのが、「混成手話」や「中間型手話」とも呼ばれる、両者の境目の手話を使用している人もいることなんです。

また、日本手話と日本語対応手話の両方をシーンによって使い分けている人もいますし、また、人によっては日本手話を使っているつもりでも、周りの人が「日本語対応手話だ」と、指摘するケースもあるんです。

――「日本手話」と「日本語対応手話」は、どちらを利用する方が多いのでしょうか?

伊藤:「日本手話」を使う人は非常に少ないです。

ろう者の9割は親が聴者というデータがあります。聴者の親が子どもとのコミュニケーションのために手話を学ぼうとすると、「日本語対応手話」の方が習得しやすいので、こちらを学ぶ方が多いです。その結果、家族内で使う言葉は「日本語対応手話」が多くなっていきます。

しかし、日本語対応手話はろう者にとって単語しか分からなく、断片的な情報とならざるを得ないので、日本手話の使用をお勧めします。

――……ということは、「日本手話」という文化が廃れてしまうということが危惧されているということでしょうか?

伊藤:そうですね。聴者が「日本手話」を学べる場や、ろう者が「日本手話」を使用して勉学できる場はどちらも非常に少なく、「日本手話」を使用している人にとっては大きな課題となっています。

「日本手話」の現状を話す伊藤さん

当事者不在のまま、パフォーマンス化して広がる手話歌

――では、SNS等で見かける「手話歌」についてお伺いしたいと思います。伊藤さんのnoteも拝見したのですが、ろう者の方からするとやはり違和感があるものなのでしょうか?

伊藤:賛否両論あると思います。賛成の意見としては、「手話に興味を持ってもらえてうれしい」「手話が普及するきっかけになる」というもの。あとは、カラオケに行って手話歌を見て一緒に楽しむろう者もいるという意見もあります。

――違和感を覚える人の意見としてはどのようなものがありますか?

伊藤:多い意見としては「手話がパフォーマンス化してしまっている」ということです。そしてもう1つが「『手話歌』に使われている手話の意味が分からない」ということですね。いずれにせよ、手話歌はろう者を蚊帳の外に置き去りにしているのが現状です。

普段から手話を使って生活している人からすると、「手話を言語としてではなく、振り付けのように扱い、聴者が楽しむだけのために使われている」と、感じるからではないしょうか。

――確かにそうですね。手話歌をする前に、その手話表現について、ろう者の意見を伺う場がないと、その手話表現の良し悪しは不明のままになってしまい、言葉からかけ離れたただの振り付けになってしまいます。その結果、手話やろう文化を理解することにはつながらないですね。

伊藤:手話を知るきっかけになってくれるのはうれしいのですが、私としては「手話話者であるろう者を理解し、尊重していただきたい」というスタンスです。

歌詞の意味や音楽の音色、リズム等を踏まえた上で、伝わる手話を使用し、ろう者が見ても楽しめるような内容になるといいなと思います。

メディアが発信する情報には当事者性が必要

――他にも、手話になじみのない人に、手話について知られていないことはありますでしょうか?

伊藤:手話にも方言ともいうべき、地域によっての表現の違いがあります。

例えば「名前」という手話単語。関東の場合は手のひらにもう片方の親指をつけますが、関西の場合、親指と人差し指をくっつけた形を胸のあたりに持ってくることで表現します。

関東は右手の親指を立てて、立てた左の手のひらを押す

関西は右手でOKマークをつくり、左胸につける

「名前」の手話単語。左が関東での表現、右が関西での表現
関東と関西における「名前」の手話単語表現の違い

――「手話は言語の1つ」という認識があれば、そういった地域差もあって当然だと考えられますが、そういった認識がないとなかなか気付きにくいことですね。

伊藤:そうですね。話すのにも得意・不得意があるように、手話にもあります。見ていてとても美しい、非常に魅力的な手話表現をする方もいるんですよ。

――とあるドラマにおいて、「ろう者役の方の手話が下手で変だ」という意見をSNSで見たことがあります。ただ、それって聴者は気付かずにドラマを楽しんでしまいますよね。手話歌と同じく、そこに当事者性がなく、エンターテインメントとして消費されてしまうことは危険だなと、お話を聞いていて思いました。

伊藤:そうですね。聴者がろう者役を“ろう文化やろう者のアイデンティティを踏まえながら”演じるというのは、非常に難しいことだ思います。また、それを見た聴者が、「ろう文化」に対して間違った認識を持ってしまうことも避けたいです。

そういった現状に一石を投じるべく、インフォメーションギャップバスターでは、全米ろう協会が発行した「メディアのろうコミュニティ描写をめぐるガイドライン」(外部リンク)というものの日本語訳を2023年の7月に公開しました。

メディアが当事者性の必要な情報を発信する際は、より正確に理解される機会を得られるよう「当事者による表象(※)」を適切に行っていただきたいですね。

  • 特定の出来事や状況に関与している人々が、自分たちの経験や感情・意見を伝えること。当事者自身が自己の立場や経験を表現し、メディアが正確に描写することで、より正確に理解される機会を得ることができ、社会的な変化や政策決定のプロセスにおいて重要な要素となる

公用語がない日本。マイノリティ言語にも公的な権利を

伊藤:話は変わるんですが、日本の公用語は何かご存知でしょうか?

――日本の公用語? 日本語じゃないんですか?

伊藤:実は法律の中に「日本の公用語は日本語である」という規定はないんですよ。多くの人が日本語を使用している事実があるので、わざわざ公用語にするまでもないんでしょうね。

ただ、私たちのような手話話者からすると、自分たちの使用するマイノリティ言語が認識されていないという形になります。アイヌ語や琉球語も同様かと思います。

公用語として認められていないということは、当然、さまざまな場面で使う権利が保障されていないということになります。

——確かにそうですね……。

伊藤:ニュージーランドでは、2006年に公用語としてニュージーランド手話が追加されているんですよ。英語と先住民族が使用しているマオリ語、そしてニュージーランド手話の3つです。

日本においても日本語と合わせて日本手話が公用語に規定されれば、不公平な扱いを受けにくくなると思っています。

――手話についての認知が進んでいないことは大きな課題だと思います。その課題解決のため、読者一人一人ができることはどんなことでしょうか?

伊藤:相手のことを「理解する」「関心を持つ」「思い込みを持たない」。この3点が大事なことだと思います。

日本手話は「音声言語としての日本語」より劣っているとか、日本語に付随した言語であるとかというような誤解もあるので、それもなくなっていけばいいな、と。

――それぞれ独立した言語ですもんね。日本手話の魅力にはどうすれば触れられるでしょうか?

伊藤:ろうの俳優を見ていただくとその魅力は理解できると思います。

2023年12月にNHKで「デフ・ヴォイス法廷の手話通訳士」(外部リンク)というドラマが放送されました。このドラマにはろう者の俳優が20人程度出演していて、これは日本ではとても珍しいことです。ぜひご覧いただきたいと思います。

これが日本手話を学ぶきっかけになればうれしいですし、手話話者が増えることで、ろう者のだけでなく、誰もが暮らしやすい社会にもつながっていくと思います。

「無意識の思い込みはなくすため、さまざまな立場があることを知りましょう」と伊藤さん

編集後記

国連の障害者権利条約の標語に「Nothing About Us Without Us.」という言葉があります。「私たちのことを私たち抜きで決めないで」という意味ですが、当事者抜きに当事者のことを決めている現状が多数存在しています。自身の言動を今一度戒めたくなる取材となりました。

今回、お伺いした話でろう文化を理解した気にならず、あくまで前提の1つで、多数の意見を伺うことが重要だと思いました。

撮影:十河英三郎

〈プロフィール〉

伊藤芳浩(いとう・よしひろ)

1970年、岐阜県生まれ。日本手話を第一言語とするろう者。名古屋大学理学部を卒業後、大手総合電機メーカーにてデジタルマーケティングなどを担当する傍ら、仲間とともにコミュニケーションバリアフリーを推進するNPO法人インフォメーションギャップバスターを立ち上げる。現在は同法人代表を務め、電話リレーサービス法制化や、東京オリンピック・パラリンピック開閉会式放送への手話通訳導入などに尽力した。著書に、「マイノリティ・マーケティング(ちくま新書)」
インフォメーションギャップバスター 公式サイト(外部リンク)

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