【現地レポート】宮城県丸森町、町中心部も被災 続く不便な生活
2019年10月12日の台風19号は宮城県に大きな被害をもたらしました。県内の家屋被害は、全壊304棟、半壊2,974棟、一部破損2,718棟に及びました。人的被害は7市町で19人が死亡し、2人が行方不明となりました。
このうち10人死亡、1人行方不明と、自治体単位では全国でも最多の犠牲者を出したのが丸森町です。住民はいまも仮設住宅で暮らすなど、不便な生活を強いられています。被災から4カ月が過ぎようとする2月上旬、現場を歩きました。
雪がちらつく早朝、JR白石蔵王駅から車で丸森町へ向かいました。山間部を抜けると、国道349号に並ぶかたちで阿武隈川がゆっくりと流れています。
駅から30分ほどで町役場の近くに到着しました。付近には、電気が消えたままの美容室や板で仮補修された家屋があります。道路のコンクリートの表面には今も乾燥した土がこびりついていました。
さらに、町中心部から10分ほど車を走らせると、言葉を失いました。流木に絡まってひしゃげた反射鏡や、流木や家財道具で持ち上げられた状態の車、外壁がはがれて骨組みがむき出しになった家屋もあり、被害の大きさを物語っていました。
堤防18カ所決壊 排水も追いつかず
丸森町は宮城県南部の福島との県境に位置する人口約1万3千人の小さな町です。宅地の多くは町北部にある阿武隈川の支流が流れ、まわりを標高300~500メートルの低い山が囲む盆地にあります。
町は台風接近の情報を受け、10月11日からメールで住民に注意を呼びかけていました。12日午前中には、消防団に出動を要請し、移動式排水ポンプを設置して冠水に備えました。
夕方から雨は強くなり、午後11時台にピークを迎えます。堤防の決壊や浸水が起きたのは日付が変わる頃。阿武隈川の支流3河川の堤防18カ所が決壊したほか、堤防からの越水もありました。
町役場では救助を求める電話が鳴りやみませんでした。「水の流れが速くて危険だったため、助けに行きたくても救助に行けず、情けなかった」。保科郷雄(くにお)町長はこう振り返りました。
12~13日未明にかけて、丸森の観測地点の降水量は400mmを越えました。これは年間降水量の3分の1に相当します。排水ポンプは稼働しましたが、町の冠水を止めることはできませんでした。
このとき、家屋の浸水被害が多かった金山地区の金山まちづくりセンターには、車いすが必要な人を含む住民22人が避難していました。「これまでに経験したことがないような雨が降った。こんなに水が建物の中に上がってくるようなことはなかった」。事務局長の菊地一さん(63)が当時の様子を語りました。
センターは避難所に指定されており、菊地さんは運営にあたっていました。川の水位が上がっていく様子を知り、「この建物も危ないかもしれない」。そう考え、車いすを抱えて全員で2階に上がりました。階段から1階の様子を見ていると、ドアの隙間から建物の中にどんどん水が入ってきました。後に測ると、94センチの床上浸水を記録しました。
13日未明に水は引きましたが、エントランスや事務室の中は泥だらけになりました。
丸森を襲った浸水、土砂、土石流
丸森町で起きた被害の状況は、大きく分けて三つありました。
一つは金山地区のように、堤防の決壊や越水などにより水が平地の市街地や宅地に流れ込み、じわじわと水位を上げていく浸水被害。
二つ目は山間部の家屋周辺の山の斜面が激しい雨で削り取られ、水とともに土砂が家に流れ込んだりのしかかったりする土砂崩れ。
そして三つ目は支流河川で決壊や氾濫が起き、あふれ出る水の勢いとともに川底の石や岩が流れる土石流被害です。
町の2月初旬時点のまとめでは、家屋被害は全壊111棟、半壊868棟にのぼります。174世帯が仮設住宅に入り、95世帯は「みなし仮設」として、民間の賃貸住宅を借りています。
一方で、1階が浸水しても、仮設などに入らずに2階で暮らし続けている人もいます。町は正確な数字は把握できないとしつつ、「かなりの人数がいる」とみています。いまだに多くの人が被災前の日常に戻っていないのです。
ボランティア、全国から駆けつけ
被災直後から、数々の被災地を支援してきた団体が現地入りしました。その一つ、一般社団法人OPEN JAPANはすぐに避難所での炊き出しや重機を使った土砂の撤去にあたりました。
被災から4日後の10月16日には、丸森町社会福祉協議会(社協)と一緒に災害ボランティアセンターを開設。2月半ばまでの4カ月で、全国から延べ1万6千人超のボランティアが駆けつけ、住民のニーズに応じて断熱材の除去や泥出しなどの作業を手伝いました。
また、日本財団は12月に災害復旧サポートセンターを設置しました。住民が壊れた家屋などを自力で立て直すために丸ノコや発電機といった必要な工具を貸し出す支援を続けています。
ボランティアセンターの担当者によると、最近は家屋の泥出しや床はがしなどの依頼は減ってきたそうです。「床をはる作業や壁の再建といった、業者に依頼が必要な家が増えてきた」と、被災者ニーズの変化があることを説明しました。
一方で、OPEN JAPANスタッフの肥田浩さん(53)は、「『他の人が大変だから』と遠慮してきた人から、最近になって土砂の撤去などを依頼されることがある」と言います。多くの支援が入っていますが、まだまだ必要な支援が十分に行き届いていない現状があるようです。
保科町長は「町の復旧は道半ばです。ボランティアや民間の団体と連携しながら、町民が安心して住めるよう、町としてできることをやっていきたい」と話しました。